八章 閉幕 5
アーチャ、アンジ、ファージニアスは、ティガーに別れを告げ、人だかりの少ない西側の観客席へと向かった。あたりは人、人、人で溢れ返り(どれも人相の悪い悪党面ばかりだ)、朝ここへ来た時よりも遥かに人口密度が高くなっているようだった。
「それにしても、トワゴにイクシム族が住んでいたなんて思いもしなかったぜ」
前の座席の背もたれに両足を引っ掛けながら、アーチャは気だるそうに言った。
「扉をノックしたらすぐに彼が出てきて、立ち話も何だからって、家の中に招待してくれたんだ」
アンジは楽しげな口調で説明を始めた。事細かに話して聞かせるアンジの表情は、とても生き生きしていた。同種族に出会えたことが、とても嬉しかったに違いない。アンジを見つめるアーチャまで、心が弾むようだった。
「ティガーは軍が動き出したのを知って、早くに行動を起こしてたんだ。だから捕まらなかった……俺、何か変なこと言ったか? ……なんだよ、その顔」
自分に向かって微笑みかけるアーチャの笑顔が気色悪いとばかりに、アンジは思いっきり顔をしかめた。
「アンジ。俺にはお前の気持ちがよく分かる。俺も一人だった時があるからさ……だから俺も嬉しいんだ。アンジと同じなんだ」
アンジの頬がわずかに紅潮したのを、アーチャは見逃さなかった。
「ヘイ、ボーイズ!」
ファージニアスは二人のやり取りに感極まり、声を詰まらせながら高々と叫んだ。
「友情というものはいつ見ても美しいものです。互いを思い、互いを見守るその心はまさしく、神に仕えし天使のごとく清らかな心。お二人とも、あそこをご覧なさい。今まさに、多くの人々に見守られし若人たちが、ここに姿を現したようです!」
アーチャとアンジはファージニアスの目線の先を追った。そこにいたのは、紛れもない、ルースター・コールズの宿敵レッドワインだ。昨年の優勝チームであり、全員が女性ということもあって、レッドワインは拍手と喝采で手厚くもてなされていた。
「あの三人の内、ちょうど真ん中にいるのがグレア・レヴだ」
口元で笑うキザな笑顔と、大きく手を振って声援に答えるその仕草が不愉快だと言わんばかりの声色で、アーチャはぶっきらぼうに説明した。首元に赤いスカーフを巻き、露出度の高い身軽な服装でトワゴの街中を闊歩するグレア・レヴは、栄華を極めし者であり、また、窃盗団の頂点に君臨する存在でもあるのだ。そうでなければ、称賛の拍手と、尊敬の眼差しを向けられる彼女たちが、こんな街に顔を出すはずがない。
「去年は、世界で最初に製造されたと言われている“レレロイド産赤ワイン・ペナージェ”を、厳重な管理倉庫からまんまと盗み出して優勝したんだ。宝のありかを嗅ぎ取る嗅覚と、真偽の疑惑を物ともしないその図抜けた目利きにおいて、グレアの右に出る者はない……と言われている……」
アーチャは自らの言葉で気分を害してしまった。
言わなければ良かったと後悔し始めたその時、心なしか、グレアがアーチャたちのいる西側の客席に向かって歩み寄って来るような気がしてならなかった。
「おい! アーチャ! アーチャ・ルーイェン!」
アーチャは腰が反るほどギクリとした。グレアが、間違いなくアーチャに向かって手を振り、ここまで来いと偉そうに指示している。
まったく、目ざとい女だ。
「へいへい。今行くよ」
アーチャはぶつぶつと不満げに返答し、アンジとファージニアスに向かって「ついて来いよ」と目配せすると、手前の手すりを飛び越え、階段を使わずにそのまま三メートル下の地面に着地した……が、やがて足の裏から体中に激痛が走り抜けた。ドレイ生活で痩せ衰えていた肉体が、その衝撃の強さに耐えられなかったのだ。結局、アーチャはその場に尻餅をつき、涙目で両足をさするはめになった。
「ンハハ! アーチャ、何だそのザマは?」
足の痛みとグレアの高笑いが重なり、アーチャは心身ともに朽ちていくのが分かった。
「一から説明したところで、お前には一生かかっても理解できない苦痛を俺は味わったんだ。その結果がこれさ」
グレアの細い瞳がイタズラっぽくアーチャを覗き込んだ。
「あんた、かなり痩せたんじゃないか? その様子だと、お得意の抜き足も使い物にならないんだろうね」
「心配ご無用」
尻についた砂埃を払い落としながら、アーチャは物憂げに言った。
「ルースター・コールズはもう終わっちまったんだ……抜き足、差し足、忍び足なんて、もう俺には不要だね」
「おいおい。まさか、またピゲ族とケンカでもしたんじゃないか?」
グレアがせせら笑った。
「それもあるけど……ヴァークスが死んだんだ。一週間以上前に」
グレアの顔から笑顔が消え去った。双方の背後から、アンジ、ファージニアス、レッドワインのメンバー二人がアーチャとグレアの元へ集まった。
「本当か?」
グレアの声はわずかに上ずっていた。アーチャは弱々しくうなずいた。
「ガムダンの国で、誰かに殺されたらしい……ヴァークスは失うし、小人には裏切られるし、ルースター・コールズはもうメチャクチャさ」
アーチャは飛び切り深いため息を吐き出し、グレアの背後に無愛想な表情で立ち続ける仲間の二人を交互に見つめた。右側に立っている女の両手にしっかりと抱えられているのは、淡いパンジー色の綺麗な布で覆われた細長い何かだった。だが、その輪郭からだいたいの見当はつく。
「今年は何を調達してきたんだ? またワインか?」
アーチャは羨ましげに聞いてみた。
「あたしたちはワインしか盗まない。知ってるだろう? どこの代物かは、後で分かるよ……ところで、そこのお二人さんは? 新人か?」
「違うよ。ちょいと訳があって、今アジトで一緒に暮らしてるんだ。あいつはアンジ。そんで、彼が……」
「ファージニアスといいます。初めまして」
アーチャの肩をつかんで向こうへ押しやり、グレアの前に進み出たファージニアスは、軽く一礼し、紳士的に微笑みかけた。
「アーチャからあなたの話はうかがっております。是非一度、お目にかかりたいと願っておりました。クペルマ硬貨型チョコレートなどいかがでしょう? あなたのお口に合うこと、請け合いですよ」
差し出された金紙包みのチョコレートをかなり遠慮がちに受け取ったグレアは、「じゃあ、あたしたちは色々と準備があるから」と、仲間を引き連れ、逃げるようにしてその場を立ち去ってしまった。アーチャは肩を落とすファージニアスの背中をポンと叩いた。
「あのレッドワインを退却させるなんて、なかなかやるじゃないか、ファージニアス!」