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八章  閉幕  4

 薄暗がりの一本通路を抜けると、そこはもう別世界だった。三人の視界に広がった光景は、簡単に言い表すとすれば、『天井付きの街』が最もふさわしいだろう。かつて、剣闘士たちが血を流して戦ったと伝えられている荒野の上には、今や人の住む古風な家々が建ち並び、その戦いを見守るべく高い場所へ設けられた観客席には、骨組みの質素なテントがあらゆる所で組み立てられている。点々と存在するテントに群がる大勢の人だかりと、その賑わいぶりから見て、どうやら何かの商売をしているようだった。

 崩れ落ちてぽっかりと穴の開いた天井部分から暖かな陽光が入射し、世界に名高い劇団でもしっかりとした芝居を演じられるくらい大きくて立派なステージを、これでもかと明るく照らし出していた。まさにあのステージ上で、『トラッシュ・ラッシュ・トワゴ』の受賞式が行われるのだ。今は、酒と宴で酔っ払った数人の男たちが強烈なだみ声で熱唱しており、それを見物する窃盗団のある一味が、足を踏み鳴らしたり、太い声を猛烈に張り上げてはやし立てたりするので、ステージ周辺は特に盛況しているようだった。


「よし!」


 悪党面に群青色のヘルメットをかぶった空賊と思しき連中が三人のそばを通り過ぎた時、アーチャが威勢よく声を張り上げた。


「別れて探すぞ。ここはそう広くないし、盗みに失敗して青筋立ててる窃盗団にからまれなきゃ、特に問題はないはずだ。ただし、深追いはするなよ。小人たちを見つけ次第、他の俺たち二人を探し集めて、行動はそれからだ。シャヌは絶対に小人たちのそばにいるはずだから、奇襲をかければ逃げる暇だってないはずだ」


 アーチャは出発直後から練っていたシャヌ救出計画を口早に説明し、二人の半ば呆然とした表情を交互に見た。アンジとファージニアスが曖昧にうなずいたので、アーチャは更に続けた。


「ファージニアスは客席を探してくれ。あそこにある階段が見えるか? あれを使えばすぐに客席へ上がれる。アンジはここら辺一帯を頼む。家を訪問する時は、ノックを忘れるなよ。トワゴの住民は何かと警戒心が強いからな。俺は内部のことに詳しいし、あいつらがうまく隠れそうな場所はもう見当がついてるから、まずはそっちに探りを入れてみる。説明は以上だ……何か質問は?」


 とどめに、「こんな切羽詰まってる時に、質問なんかあるわけないよな?」と聞こえるような強い語気で締めくくると、アーチャは二人をぐいっと眺めた。アンジもファージニアスも揃って首を横に動かした。二人とも、ここは素直に従っておくべきなんだと、とっさに察知したようだった。


「それじゃあ、急いで見つけ出すぞ! さあ、駆け足!」


 クルリと背中を向けたかと思うと、アーチャの姿は人ごみに紛れてもう見えなくなっていた。


「はあ……」


 ため息をつくアンジは、アーチャへのやり切れない思いで胸がいっぱいだった。


「アーチャの奴、一つのことに夢中になるとどうして周りが見えなくなっちまうのかな」


「大丈夫ですよ、アンジさん」


 ファージニアスが声を弾ませた。


「恋ほど人を夢中にさせるものは、この世に二つとしてありませんからね」


 ファージニアスはそう言うと、意味ありげに目配せし、客席の方へと行ってしまった。


「コイねえ……」


 アンジは興味深げに呟いたが、雑踏の中を一人で突っ立っていることに気付いた瞬間、そんなことはもうどうでもよくなってしまった。そして、今はシャヌを見つけ出すことが先決なのだと、気持ちを切り替え、震える足取りで歩き出したのだった。




 あれからどれだけの時が流れたのだろうか?

 たそがれ時の青とオレンジ色に染まる夕空が、抜け落ちて空白となった天井部分からこちらに顔を覗かせるその様子は、闇を迎え入れる前準備だということを物静かに告げているようだった。

 スポットライト風で使い勝手の悪い、たくさんの街灯がトワゴの中を照らし出した時、アーチャは、最も高見のできる客席につま先立ちしてトワゴ全体を見回していた。小人たちどころか、ごくわずかな手がかりでさえ、まだ見つかっていなかったのだ。そのことで、アーチャは完全に参っていた。


「まさか、俺の読みが外れたとでも?」


 自らに問いをかけたが、返ってくる返事はなかった。三人がかりでの捜索を何時間も続けたのに、辿り着く先は常に「ここにもいない」だった。

 宿の部屋という部屋は手当たり次第に顔を突っ込んだし、顔見知りの酒場のオーナーに頼み込んで倉庫の扉を開けてもらいもした。ゴミ箱の中身をひっくり返し、商品棚の奥まで手を伸ばした。女性専用トイレの前には小一時間も張り込んだ。翼の羽でも抜け落ちていないかと、脇目も振らず、地面を這うように探している自分をこっけいに思いながらも尚、アーチャはどんなに小さな手がかりも見逃すまいと、必死に探し続けた。

 だが、これだけ探しても見つからないとなると、やはり……。


「さて、困ったことになりましたね」


 アーチャの左手前方からファージニアスがひょいと姿を現し、出し抜けにそう言った。


「何か手応えはあったかい?」


 アーチャは聞いたが、ファージニアスの深刻そうな表情がその答えを教えてくれていたので、彼が力無く銀髪を横に振る姿を見る必要はなかった。


「閉会は九時ですよね? アーチャ、今の時刻は?」


 ファージニアスはアーチャの首からぶら下がる懐中時計を指差してそう尋ねた。アーチャはその言葉にハッとして、懐中時計を手に取った。あんまり長い間首からぶら下げていたせいで、そこに時計があったことを、アーチャはすっかり忘れてしまっていた。海底でジャーニスと初めて出会ったその日に、この懐中時計を受け取ったのだ。


「六時を過ぎたところだよ……アンジはどこに行ったんだろう?」


 民家の井戸付近で昼飯のサンドイッチを手渡して以来、アンジとは顔を合わせていなかった。二人は横幅の狭い石段を下り、脇に井戸のある赤屋根の民家の前に辿り着くと、窓から家の中をちらりと覗きこんだ。イクシム族が二人、脚の長いテーブルを間に挟んで椅子に座り、何か楽しそうに会話していた。一人は間違いなくアンジだったが、もう一人はアーチャの知らないイクシム族だ。アンジが窓から覗き込むアーチャとファージニアスの存在に気付いたのは、その直後のことだった。


「悪い悪い。つい会話が弾んじまってよ」


 家の中から出てくるや否や、アンジは朗らかな笑みでそう言った。アンジのこんな笑顔を、アーチャはかつて一度も見たことがなかった。テーブルいっぱいの御馳走を目の前にした昨夜でさえ、ここまで満面の笑みではなかった。


「いや、別にいいんだけど……それで……そちら様は?」


 アンジの頭越しにこちらを覗き込むイクシム族のいかめしい顔を見上げながら、アーチャは恐々と尋ねた。


「わしはここの住人。名はティガー」


 そう言って、ティガーはその小さな瞳をキラリと一閃させ、警戒心を丸出しにした。そのたくましい体格や、岩のような地肌はイクシム族そのもので、背はアンジよりも頭一つ分抜いていた。どうやら、アンジよりずいぶん年上のイクシム族らしい。


「俺はアーチャだ。ティガーは、ずっとトワゴに住んでるのかい?」


「さっきも同じ質問を受けた」


 ティガーは不機嫌そうに答えた。


「わしは血族狩りが始まったニ年ほど前から、ここに住んでる」


 アーチャはしめたと思い、唐突に質問を変えた。


「今日ここで、ピゲ族の三人と、シーツをまとった女の子を見なかった?」


「さっきも同じ質問を受けた」


 ティガーは一本調子で繰り返した。


「そんな奴らは見ていない。それに、この時期はどうも人が多くてかなわん。夜が明けるまでどんちゃん騒ぎだ……だからわしは、あまり窓の外を見ないようにしている」


 アーチャは同情するように優しく笑いかけた。


「このお祭りも今日で終わりさ……ありがとう、ティガー」


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