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七章  グレア・レヴ  7

 野菜たちがぐつぐつと煮える良い香りが嗅覚を刺激し始めたところで、アーチャは一旦、二階へ上がることにした。ヴァークスのこともあるが、今はとにかく、少しでも体を休ませたい。過度の重労働で体も精紳もボロボロだ。


「あ……聞いてたのか」


 アンジとシャヌが、底抜けした六段目を挟んで階段に腰を落ち着けていた。どうやら、小人たちとの会話を聞いていたらしい。


「ま、そんなつもりじゃなかったんだけどな」


 窮屈そうに腕組しながら、アンジがたどたどしく話しかけた。


「とりあえず、アーチャ……ヴァークスって奴のことでいつまでもくよくよしてんじゃねえぞ。これだけは言っておく」


「ご忠告ありがとさん……どうした、シャヌ? 顔色が悪いぜ」


 シャヌのいちじるしい容態の変化に、アンジはずっと気付いていなかったらしい。青白い顔に薄紫色の唇が重なり、全身が小刻みに震えている。


「ごめんなさい……ただ、ちょっと具合が悪くて……」


 震える指先で口元を押さえるその姿は、声を出すのでさえかなり辛そうだった。アーチャはすぐさまシャヌの腕を取り、ゆっくりと立ち上がらせた。


「色々あったから、きっと疲れたんだ……さ、上れるかい? アンジ、手を貸してくれ」


 二人がかりでシャヌを二階まで運び終えると、ファージニアスの陽気な声がすぐに三人を歓迎してくれた。


「ヘイ、君たち、やっと来てくれましたね! 私だけで子ども二人と老人一人を世話するのは、とても容易なことではありませんよ。さあ、三人とも、ここへ座って。一緒に“一石二鳥ゲーム”でもやりましょう!」


 この瞬間、アーチャは「しまった」と思った。この四人のことをすっかり忘れていたのだ。たった一つしかない部屋の中央をまるまる占領し、使い古しの『一石二鳥ゲーム』に使用する灰色の石ころで辺りは埋め尽くされている。


「だから言っただろう。聞くつもりはなかったって」


 アーチャの耳元でアンジがぼそっと呟いた。


「アーチャだ! アーチャが帰って来たんだ! アグシール山賊団の復活だ!」


 叫びながらアーチャに駆け寄ってきたのはカエマの弟のトナだった。アーチャからくっついて離れないトナは、今やアーチャの一番弟子ということになっていた。世界中を駆け巡る窃盗団のアーチャを、心の底から尊敬しているらしい。


「やっと帰ってこれたぜ、トナ。だけど山賊ごっこはしばらくお預けだ。今はこのお姉ちゃんを助けなきゃいけないからな」


 アーチャは窓のそばに置いてある肘掛け椅子までシャヌを連れて行き、彼女をそっと座らせた。それから、出窓を開け放ち、空っぽの花瓶から濁った水を外へ放った。


「気分はどう? ……とは言っても、こんな所じゃ一向に良くはならないか」


 部屋を見回しながら、アーチャは呆れ顔で首を振った。


「そんなことないよ。大分良くなったもの」


 本人の言うとおり、少なくとも全身の震えは止まったようだった。窓からのそよ風が、シャヌの前髪をそっと揺らしていた。


「とってもいい眺め。私が閉じ込められていた部屋からは、いつも同じ街並みしか見えなかった」


 夏の暖かな風に包み込まれるシャヌの横顔に、ほんのちょっぴり元気が戻ったようだった。


「下の階に比べれば、ここはまさに楽園だな」


 『一石二鳥ゲーム』に興味津々のアンジは、ファージニアスたちの輪の中にもうすっかり溶け込んでいた。


「見てみろ。ほら。腕を自由自在に動かすことができる!」


 アンジは長い両腕を前後左右に振り回し、その一言一言に皮肉を叩き込んだ。


「ここは寝室として使ってるからね。下よりも広いし、窓は開けられるし、日当たりもいい」


 それからしばらくの間、昼下がりの穏やかな時間をみんな気ままに過ごした。アーチャはルースター・コールズが盗み出した数々のお宝の話をシャヌに語り聞かせていたし、『一石二鳥ゲーム』に興じていたアンジたちは、カエマが負け知らずなせいで、大人げなく躍起になっているようだった。


「はい! また私の勝ち!」


 いつもどおりの勝敗にファージニアスは高声で笑い飛ばしたが、アンジは納得がいかない様子だった。


「だってアンジったら、ルールが理解できてないんだもん」


 カエマがせせら笑うと、アンジは胸の内に込められた怒りの矛先をどこに向けようかと、鋭く目を走らせた。


「アーチャ。さっき小人たちと話してたトラッシュ・ラッシュ・トワゴって何なんだ?」


 アンジの乱暴な問いかけに、アーチャは「ああ、そのこと」と答えた。


「トラッシュ・ラッシュ・トワゴっていうのは言わば、窃盗団の、窃盗団による、窃盗団のための“隠された大会”さ」


 アーチャは部屋にいるすべての者に聞こえるようにと、大きな声でそう切り出した。


「悪漢たちのはびこる危険な町トワゴが、ここグレア・レヴの近くにあるんだけど、そこで年に一度夏に開催されるのがトラッシュ・ラッシュ・トワゴっていう秘密の大会なんだ。世界中から名の知れた盗賊、山賊、海賊、空賊たちが集って、その腕を競うのさ。ただでさえ危険な街なのに、筋金入りの悪党どもが寄り集まるせいで、トワゴは完全な無法地帯と化すわけだ」


「それは恐ろしい! ですが、絶壁に咲く花ほど華麗と呼べるものは、この世に二つとして存在しないでしょう!」


 ファージニアスが興奮気味に割って入ったので、アーチャはしばし面食らったが、やがて気を取り直し、説明を続けた。


「ルールは単純。決められた期間内に、より珍しく、より高価な物品を盗んで来た窃盗団が優勝だ。どんなにずるい手を使っても、どんなに冷酷な手段に出ても、誰からもお咎めなしというわけさ」


「ルールってのは苦手だね」


 アンジが吐き捨てるように呟いたが、アーチャの耳には入らなかった。


「優勝賞品は、本人たちが持ち帰った盗品と、その道を本業とする者であるなら誰もがうらやむトワゴの称号だ」


「ルースター・コールズの優勝経験はあるの?」


 そう尋ねるシャヌの瞳は、アーチャへの大きな期待でキラキラと輝いていた。だが、アーチャはその期待に応えることはできなかった。


「残念ながら、まだ一度も。俺がルースター・コールズの一員として数えられたのはつい昨年の話なんだけどね……ちなみに、前回の優勝チームはレッドワイン。その首領の名をグレア・レヴといい、名も無き街の優勝者として、窃盗団の頂点に立つ女だ。ここら一帯がグレア・レヴと呼ばれるのも、彼女がこの街の出身者だからなんだ」


「それじゃあ、今年こそアーチャたちが優勝して、この街をルースター・コールズっていう名前にしてよ!」


 トナに発破をかけられても、アーチャは素直に「うん」と言えなかった。


「そうしたいのは山々なんだけど、今年は色々とあってね……」


 首領であるヴァークスの死を告知すべきか、アーチャは迷った。『死』なんて言葉は、幼い子供にはまだとうてい理解できないものだ。だが、首領のいなくなったルースター・コールズが自然消滅するのも、時間の問題だった。


「例え……」


 結論に至らないまま、アーチャは喋り始めた。


「例え俺たちが優勝できたとしても、この街はグレア・レヴのままさ。何があろうと、これから先もずっと」


 誰に言うでもなく、アーチャは虚ろな声で言い終えた。窓の向こう側に際限なく広がる青空をぼんやりと眺めながら。


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