七章 グレア・レヴ 2
「この丘も、街も、山も、みんなひっくるめて『グレア・レヴ』っていうんだ」
両腕を限界まで広げながら、アーチャは自慢げに説明を始めた。
「グレア・レヴには街が一つしかないけど、住民は助け合いながら仲良く暮らしてる。街のリーダーの名前が『グレア・レヴ』だから、その名が付けられたんだ」
四人はゆるい坂を下り、街へと足を踏み入れた。だが、そこは本当に街と呼ぶべき所なのだろうか?
つい今しがた歩いて来た、野花の咲き誇る丘の優美な面影はどこにも見当たらず、黒と茶に染まった荒地がただ果てしなく広がっている。そして、その荒廃した地の上には、今にも崩れんばかりの、廃墟と化した石造りの家々が立ち並んでいる。屋根の無い家、壁が崩れ落ちて中が丸見えの家、右側だけが綺麗さっぱり切り取られたような家。極めつけは、ござが敷かれているだけの……これはもう、家と呼ぶに値しない家だ。
大型の台風が一日中ここに居座っていたのなら、街がこうなってしまった説明もつくだろう。問題なのは、そこに今も人々が住んでいるということだった。
「アーチャ、お前……」
アンジの声はかすかに震えていた。あの薄暗くて肌寒い海底の方がまだいくらかマシだと思える、そんな光景が目の前に広がっていた。
「スラム街だ」
呆然とするアンジとシャヌに向かって話しかけるアーチャの姿は、声だけで二人を引っ張っているように見えた。今、しっかりと前を向いて歩けているのは、じいさんを除いて、アーチャただ一人だった。
「ちょっと荒れてるけど、ここが俺を迎えてくれる唯一の街、グレア・レヴだ」
アーチャを先頭に、灰色の煙が立ち昇る街の中央に向かって四人は歩き続けた。
「街のみんなはどこにいるの?」
辺りに散らばる瓦礫の山を踏み越えながら、シャヌが尋ねた。
「大人たちの、特に男たちは、都心部へ出稼ぎに行って、夜まで帰ってこないよ。ゴミを集めて売ったり、道路の舗装工事や、建築の雑用をこなしたり……みんな肉体労働さ」
肉体労働なんて言葉を使うのはもうこれっきりにしたいものだと、アーチャは心から思った。
「遊び半分で都心部に出かけたりする子供たちもいるけど、中には、俺よりも年下の子が大人たちに混じって働いていたりもするんだ。老人の多くは、余生を精一杯楽しもうと自分たちなりに努力してるよ……」
さっそうと吹く風が砂を舞い上がらせ、四人の間をすり抜けていった。視界がかすみ、息苦しくなったその時、声がした。女の子の声だ。砂埃の向こうから、誰かがこちらへと駆けて来る。
「にい……にいだ! にいが帰って来た!」
ぼやけた視界の中に、幼い女の子がいきなり現れた。腰まで伸びた滑らかな黒髪をなびかせ、まだまだあどけなさの残る顔いっぱいに、こぼれ落ちそうなほどの笑顔を広げている。白と黒のおしゃれなワンピースを装い、髪の毛は小豆色のカチューシャで束ねられている。
女の子はアーチャの前で急ブレーキをかけ(またも砂埃が舞い上がった)、大きな黒い瞳を輝かせたまま立ち止まった。
「よう、カエマ。悪かったな、長い間連絡もよこさないで。どうしたんだ? その綺麗な服」
「この前の誕生日に、ママに買ってもらったの!」
カエマはつま先立ちになり、その場でクルッと回ってみせた。アーチャは「しまった!」と、自分の額をペチッと叩いた。
「ごめんごめん。色々あって、約束してた誕生日プレゼントのこと、すっかり忘れてたよ」
それを聞いて、カエマの表情はふてくされたようなしかめっ面に変わった。
「男が言い訳するなんて、カッコ悪いぞ」
カエマはそうたしなめてから、アーチャの後ろにいる三人をそれぞれ眺め回した。カエマは、魚のように口をパクパクさせるじいさんにすこぶる驚き、岩肌のいかつい顔つきで見つめ返すアンジに恐れおののき、半分シーツ姿のシャヌには戸惑いを隠せないでいた。
「この人たち、みんなにいのお友だち?」
アーチャを盾に半分ほど身を隠しながら、カエマはおずおずと聞いた。
「俺たちのことが知りたいなら、本でも読むんだな」
アンジはその大きな顔をぐいとカエマに近づけると、声を低くしてそう言った。カエマは顔を真赤にし、きびすを返して走り去ってしまった。
「アンジ!」
アーチャが怒鳴った。アンジは首を振って肩をすくめた。
「子供は苦手なんだ」
アーチャはそれ以上咎めなかった。子供が苦手だなんて、聞くまでもないじゃないか。
「今の子、アーチャの妹?」
脱兎のごとく走り去るカエマの後ろ姿を興味深げに眺めながら、シャヌはそう尋ねた。
「違うよ。二年くらい前にこの街へ移り住んで来たんだ。家族と一緒にね。カエマには弟がいるんだけど、盗賊の俺をいつもしたってくるんだよ」