六章 地上へ 7
「あの二人も連れて来たんだな」
グランモニカの容姿に見惚れる双子をちらりと観察しながら、アーチャは囁いた。
「そのせいで時間がかかっちまったけどな。……あいつらだって、腐っても俺と同じイクシム族だ……でも、ほんと言うと、ほっとけなくってな……アーチャのおせっかいが移っちまったかな」
それはいいことだと、アーチャは何度もうなずいた。
「あなたたちがここに来た理由は聞かずとも分かります」
グランモニカがそう言うと、みんなは自然と彼女の前に集まっていた。
「希望という名の軽やかな足取りが、私にそう教えてくれています。そして、あなたたちの呼吸は、地上を包み込む温かな空気を求め始めている。以前ここへ来た、あの女性のように」
「ここから地上へ出られるんですね? 俺たち、この地下から抜け出すためにここまでやって来たんです」
歯がゆい思いにそわそわしながら、アーチャは機敏に尋ねた。それは、ここに集まった全員が最も気にしていたことだった。
「それは自由を手にするためですか?」
アーチャの質問をかいくぐり、グランモニカは平然とした様子で質問を返してきた。
「俺たちが求めているのは明るい未来だ」
アーチャが答えた。
「ここから出られるなら、それ以上のものは求めないぜ」
アンジがそれに続いた。すると、アンジの肩で眠り続けていた人魚の子が突然宙に浮き、シャヌの頭上を越え、グランモニカの元へとゆっくり移動していった。
「私たちはヒト族にすべてを奪われました」
すやすやと眠る男の子の頭を優しく撫でながら、グランモニカは悲哀な声色で言った。
「魔力の結晶体であるアクアマリンを悪用し、我々の住み家であるこの海底を占領した。そして、愚かなヒト族は、ついに神の領域をも超越してしまった」
「ここのドレイさんたちが作り続ける、あの黄金の神殿と何か関係があるのですか?」
シャヌが尋ねても、グランモニカはしばらく何も答えなかった。シャヌをじっと見据えたまま、何か物思いに耽っているようだった。
「ええ。それも一つの要因となっているのは確かでしょう」
グランモニカの深刻な声色は、その表情からも察することができた。
「ですが、それだけではありません。むしろ問題なのは、マイラ族のあなた自身と、そこにいるご老人なのです」
それを聞いて、シャヌは身を引いたが、じいさんはとぼけた顔で耳の裏をかいているだけだった。
「何が問題なんです?」
アーチャはシャヌに負けないくらいの緊張感にかられて、とっさにそう聞いた。じいさんはともかく、シャヌを不安がらせるようなことはしたくない。
「なぜそうなってしまったのかも、それにより引き起こされる問題も、決して語ることはできません。その行為が、万物の流れを乱してしまうからです。ただ、これだけははっきりと言えます」
グランモニカの下あごから牙が突き出し、キラリと光った。
「あなたたち二人がこの瞬間に存在している理由が、必ずどこかにあるはずです。そして、その目的を成し遂げた時、その存在はこの時間の流れから消えてなくなる」
「何を根拠にそんなこと言って……」
重度の焦燥感で錯乱気味のアーチャを、グランモニカは片手を前に突き出すだけで落ち着かせてしまった。まるで、魔法でも使ったかのように。
「先ほども言いましたように、私にはその者が発する音だけですべて分かるのです。心の中を透かして読み取るなんて造作もないこと」
それを聞いて、心の中に次々と浮かんでは消えていくグランモニカへの悪態を、アーチャはとっさに考えないようにした。
「分かりました」
やにわにシャヌが口をきいた。アーチャが思っていたより、ずっとしっかりしているようだった。
「私は、ずっと自分のことが知りたいと思っていました。アーチャやここにいるみなさんと地上へ行き、滅びたはずのマイラ族である私がなぜここに存在しているのか……その理由を見つけ出してみます」
「そういえば!」
後ろの方でボーッと突っ立っていただけのじいさんが、何の予告もなしに突然声を張り上げたので、全員が一斉に振り向くことになった。
「何だよじいさん、脅かすなよ!」
アンジが不快に染まった怒声を浴びせても、じいさんはまるでへっちゃらだった。
「そういえば、わしも何かを探していたような気がするぞ!」
「散歩用の杖じゃないの?」
アーチャが嘲ると、じいさんは悲しそうな表情で首を振った。
「杖はずっと前になくしたんじゃ……」
じいさんがしょげ始めると、みんなはまたグランモニカの方を向き直った。
「アーチャ、先ほどの質問に答えましょう。この地下から脱出することは可能です。私の力を持ってすれば、あなたたちを好きな所へ移動させてあげます。ただし……」
喜びに浸るアーチャたちに平静さを取り戻させるため、グランモニカは声を低くして最後にそう付け加えた。狙い通り、アーチャたちの顔からは笑顔が吹き飛んだ。
「何ですか?」
アーチャは、もう勘弁してくれと言わんばかりの口調で聞いた。
「我々が失い、我々が再び与えた自由を、大切に過ごしてほしいのです」
グランモニカのその言葉は、みんなの心にずしりと感じるものがあった。
「アクアマリンの存在に気付いたヒト族がこの海底を襲撃しに来た時、私だけはここへ避難しました。ですが、多くの仲間はドレイとして捕われ、今も尚、過酷な労働に耐え忍んでいます。私はそんな彼らのためにも、ここにじっと留まり、絶好の機会を狙っているのです。そう……ヒト族への反撃の機会をね」
自分がヒト族であることを、アーチャは段々と申し訳なく思うようになった。そして、同種であるヒト族が、戦争のためにたくさんの犠牲者を生み出しているという事実を知りながらも、何もできないでいる自分が悔しくてたまらなくなった。
「俺は、俺が今できることをやる。それがどんな小さなことでも、背を向けたり、投げ出したりしない。この狂い始めた世界を、俺が元通りにしてやる」
アーチャの言葉は、決して強がりではない。ドレイとしてこの海底にやって来てから、アーチャの考えは変わった。ここへ連れて来られるまでの自分は、戦争には他人事だった。今では、その頃の自分が無知な愚か者としか思えないでいた。
自分のことしか考えられなくなってしまったら、それは世界で一番の不幸と言えるだろう。
「暇つぶしに、俺も手伝うぜ」
「もちろん、私だって」
アンジとシャヌの真剣な眼差しがアーチャを見つめていた。後方で黙って話しを聞いていた双子も、さすがに事の重大さが分かってきたようだった。アクアマリンを抜け出し、再び地上へと戻っていくことの重大さが。
「その言葉、信じましょう。そして、私もできる限りのことはします。世界を平和へと導くために。さあ、時が来ました。あなたたちが求めるその場所を、私に教えてください」
どこへ行きたいか、アーチャの中ではもう決まっていた。
「グレア・レヴにしよう。俺の仲間がそこにいるはずだ。あそこは犯罪者だろうが逃亡者だろうが関係無い。もちろん、種族の違いだって例外じゃないよ……お前たちはどうする?」
双子は互いの顔を見合って、ニヤリと笑った。アーチャは首をかしげた。
「俺たちは戦争のない国で気ままに暮らすぜ」
「ジング兄さん、頭いい! すごくいい!」
ジングはアーチャとアンジの前までのそのそやって来たかと思うと、鼻の頭をちょっぴり赤くしてもごもご言った。
「ありがとよ……この恩は一生忘れねえ」
「ここで死んでいった仲間たちのことも、一生忘れるなよ。約束だぜ」
アンジの返答は素っ気ないものだったが、そこに嬉々とした思いが込められているのが、アーチャには何となく分かった。
「ジングとニールよ、あなたたちはチベルという国に送ってあげます。あそこは海に囲まれたへんぴな所ですし、多くのイクシム族も住んでいるはずです。他の四人はグレア・レヴですね。よろしい」
グランモニカがその大きな瞳を閉じた時、手元の真珠玉が今までで最も強く光り輝いた。
アーチャは足の裏が徐々に暖かくなるのを感じた。その直後、足のつま先から頭のてっぺん目がけて、体の中を何かが猛スピードで駆け抜けていった。そして、その何かに引っ張られるように、体がふわりと宙に浮いた。淡い青色に燦然ときらめく、不思議な光のベールに全身が包まれたかと思うと、目の前はもう真っ暗だった。
アーチャは緑の匂いを感じ、背の低い草花が頬をくすぐっていることにふと気付いた。その直後、アーチャの視界に飛び込んできたのは、青空の真っ只中でギラギラと燃え続ける灼熱の太陽だった。その暖かな射光が、アーチャ、アンジ、シャヌ、じいさんを、明るく出迎えてくれた。
アーチャたちの未来が、その明るい輝きのようであってほしいと言わんばかりに。