表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/134

六章  地上へ  6

 ぬかるんだ地面を踏みしめながら、アーチャとシャヌは歩き続けた。黙々と歩き続けて数分後、細い一本通路はいつの間にか青緑色へとほのかに輝き、剥き出しの岩壁を美しく照らし出していた。高い天井からは聖地と同じ、無数の岩のつららがこちらに向かって突き出している。二人が地を踏み鳴らす音以外は全く何も聞こえない。無音の空気に包まれた空間が果てしなく続いているようだった。


「たくさんの魔の力が、ここに集まってるみたい……」


 シャヌはアーチャのすぐ後ろを歩いていたが、その声がどこから発せられたのか分からないくらい、通路の壁という壁に反響し、二重、三重になってアーチャに聞こえた。


「分かるの?」


 声を低く落としながら、アーチャはすぐに尋ねた。


「感じるの。どんどん強くなってる」


「いつもと変わらないけどなあ……壁が綺麗ってこと以外は」


 アーチャは周囲をくまなく見渡した。ふと、シャヌと目が合った。


「怖い?」


 アーチャをじっと見つめたまま、シャヌは首を横に振った。


「だけど、この海底に来る前までは毎日が怖かった」


 そういえばと、アーチャは思った。シャヌがアクアマリンへ来る前のことを、アーチャはまだ何も知らない。


「シャヌがここへ来た時、ジェッキンゲンと一緒だったよね? 彼と住んでたの?」


 シャヌは力無くうなずいた。


「物心ついた時から、私はあの人の屋敷にいたの。でも、その屋敷からは一歩も外へは出してもらえなかった。だから私は、一日のほとんどを自分の部屋で過ごしたわ……色々な本を読んだり、窓から見える風景を絵に描いたりして」


 シャヌの表情は、エメラルドグリーンの美麗な輝きでさえ補えきれないほど、どんよりと暗くなっていった。


「そして、つい最近読んだ本でやっと分かったの。この翼の意味が……私がマイラ族という、百年も前に滅びたはずの種族だということが。本当の親が誰なのかも、どうしてここにいるのかも……私が存在する理由でさえ、何も分からない。そのことが、とても怖かった」


 シャヌは足を止め、アーチャも即座に立ち止まった。あの日、作業場でシャヌが見せた、あのすがるような悲哀な表情が、アーチャをじっと見つめていた。


「アーチャ……私って何なの? 人目を避けて、隔離された部屋で何十年も生きてきた私って、一体何なの?」


「シャヌはシャヌさ」


 アーチャは心からきっぱりと言い切った。


「マイラ族としてじゃなく、シャヌはシャヌのまま、自由に生きていけばいい。だから、いつかその翼を隠さなくてもいい日が来るように、俺は精一杯努力する。さっき言ったろう? 俺はシャヌを守るって」


 いつの間にか、シャヌの顔は溢れんばかりの笑顔に変わっていた。これから待ち受けるどんな苦難にも打ち勝てる……そんな晴々とした笑顔だった。




 上がりも下りもしない道を、二人は縦に並んで歩き続けていた。周りの様子も、この静けさも、何ら変わりはない。アーチャの記憶では、確か、この隠し通路は完全な円形だったはずだ。だとすると……。


「もしかしたら俺たち、同じ所を歩き続けてるかもしれないぞ」


 アーチャは困惑を隠しきれずにそう口にした。


「でも、足跡がないわ」


 シャヌは青緑色に照らし出される、アーチャの数メートル先の地面をしっかりと指差し、正確な事実を証明してみせた。確かに、ここの通路は足跡がはっきり残るほどぬかるんでいた。だとすると、これも人魚族のまやかしなのだろうか?


「それに、魔力はますます強くなってる……あれ、何かしら?」


 アーチャは前へ向き直った。先細くなりつつある通路の先に、大きく開けた、ここよりも遥かに明るい輝きに包まれる謎の空間が存在していた。二人はそこへ向かって、同時に走り出した。

 そこで二人が見たのは、水のようにしっとりときらめく青い衣に身を包んだ、一人の年老いた人魚だった。空間の中央で堂々と身構える苔だらけの大岩に腰かけ、目をつむって物静かに瞑想している。うろこに覆われた繊細に輝く青緑色のその手には、メロンほどの大きな真珠が握られ、長い指に包み込まれながら淡い光を放っている。アーチャとシャヌは恐る恐る近づいて行った。


「この世に二つとない神秘、それが音」


 ほんの数メートル手前まで来た時、人魚が突然口を開いた。


「音は、すべての事物に対し、その裏の顔を私に教えてくれる。真実に覆い隠された虚実が、私に語りかけてくるのです。あなたたちの吐息や足音でさえ、その対象となる」


 シャヌに劣らないほど綺麗な声だが、じれったくなるようなゆっくりとした喋り方だった。


「あなたは誰?」


 礼儀もわきまえず、アーチャは出し抜けに聞いた。しかし、人魚の目がぎょろりとこちらを見たので、アーチャはとっさに愛想よく笑っておいた。改めてよく見ると、人とも魚とも見て取れない顔をしている。だが、繊細に織り込まれた衣の裾から伸びるその下半身は、確かに魚の尾ひれだ。


「私の名はグランモニカ。この海底で二百五十年以上生きてきた、人魚族の長です」


 アーチャとシャヌは顔を見合わせた。鏡を見ているかのように、二人の驚いた表情はそっくり同じだった。


「私には分かります。あなたたちの他にもまだ、こちらに向かって歩いて来る者たちがいる……」


「きっとアンジたちだ!」


 アーチャは大きな声でそう言った。その声に反応するように、どこからか別の声が聞こえてきた。しかも、何だかやたらと騒々しい。


「本当に外に出られるんだろうな? もし何か悪巧みしてるんだったら……」


「さっきからしつこいぞ……おい、じいさん!」


「あの老いぼれ、また立ち止まってるぞ。ニール、連れて来てやれ」


「いいよ。俺、お世話大好きだから」


「信用できねえ言葉だ」


「あいつはああ見えて純粋だ。俺は筋金入りの薄情だがな……ところでその人魚、非常食にしちゃあ豪華過ぎねえか?」


「ばか。非常食なはずないだろ」


 不意に、アーチャとアンジは互いを見つけた。アーチャは通路から出てくるアンジを、アンジは満面の笑みでにおう立ちするアーチャの姿を。


「よう、親友」


アーチャは『やってやったぞ』という得意げな笑顔でアンジに言った。


「うまくいったみたいだな、親友」


 シャヌの方にちらと目配せするアンジの表情は、どこか嬉しそうだった。折りしも、ジングとニール、そしてじいさんが通路を抜けてアーチャたちの元へと集まった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ