六章 地上へ 3
「おい! ここで何してる!」
ずんぐりな兵士がアーチャのそばまでやって来て、息も絶え絶えに叫んだ。横たわる二つの体を死体と認知できないほど、この兵士は気が動転しているようだった。
「さっさと部屋へ戻れ! 邪魔だ! いいと言うまで部屋から出るな!」
アーチャはほとんど聞いていなかった。人の死を目の当たりにするのはこれが初めてではない。だがやはり、『死』という出来事には関わりたくないものだ。
他人の今際に直面し、自分の力ではどうすることもできないと断念した時、人々は、そのすべてを不幸と呼んだ。己の無力さを肯定できないばかりに、目には見えない力をその元凶と断定することで、人々はようやく『死』について納得することができるのだ。
かつては、アーチャもその一人だった。目の前で両親が殺された時、恐怖とショックのあまりに気を失ってしまった。その当時は、何もできずにいた不甲斐ない自らを罵倒することしかできなかった……だが、今は違う。これから何をすべきか、アーチャにはちゃんと分かっていた。
その時、潜水艇が低いうなり声を響かせた。なんと、ギービー族に根負けした兵士たちがこぞって潜水艇に乗り込み、アクアマリンからの脱出を図ったのだ。一人の兵士が潜水艇に乗り込む際に、残留する部下たちに向かってこう叫んだ。
「ジェッキンゲン大佐を連れてくるから、お前たち、持ち場を離れるなよ!」
部下たちからの返事は悪態ばかりだったが、兵士はおかまいなしに扉を閉め、直後に、潜水艇は逃げ出すようにして湖の底へと沈んでいった。
「ジャーニスの話を覚えてるか?」
二人の死体をジャーニスの部屋へ運び入れた時、アーチャはゆっくりと切り出した。
「フィンが通った隠し通路のことだろ? ああ、しっかり覚えてるぜ」
アーチャがそれ以上話さなくても、アンジにはすべて承諾済みのようだった。潜水艇という頼みの綱を失った今、ここを抜け出す唯一の術は、もうその方法しか残されていないということを。
「おじいさんとその人魚の子を連れて、先に行っててくれないか?」
アンジの怪訝そうな表情がアーチャを見つめた。
「俺は、必ず後から行く。あの子を……マイラ族の女の子を連れて」
アンジは物を言いたそうに口を開いたが、踏みとどまった。見つめ返すアーチャの勇ましい瞳が輝いているのを見て、こいつには何を言っても無駄だと思ったのだろう。
「分かった……だが、一つだけ聞かせてくれ。今ならまだ計画を中止にすることができる。それでも、地上への道を選ぶのか?」
ゆっくりと深呼吸をして、アーチャはうなずいた。そこには、どんな恐怖にも屈しない、アーチャの揺るぎない決意がはっきりと現れていた。
「大切な人を守れ、ジャーニスがそう言った。だから俺はあの子を守る。そして、俺の意思でここを抜け出す。アンジこそ、ここに残る気なんてないんだろう?」
「毛頭ないね」
決まりだった。アンジは眠ったままの人魚をそっとかつぎ、アーチャは扉を開けて先に通路へ出た。
「なあ、アンジ。矢が刺さってなかったんなら、どうして死んだふりなんかしてたんだよ? 危うく俺が死ぬところだった……」
通路を進みながら、アーチャははっと思い出し、咎めるように文句を言った。アンジは少し得意になって答えた。
「不意打ちしようと隙を狙ってたんだ。お前こそ、俺の肌が頑丈だってこと、忘れてんじゃねえよ」
聖地の方から時たま聞こえてくる兵士たちの悲鳴が、アーチャには面白おかしく感じた。日頃のうっぷんを晴らしているのは、どうやらギービー族だけではないらしい。それは、アーチャが聖地を覗き見た時にはっきりと分かった。
「アンジ、あれを見てみろよ!」
後からやって来たアンジに向かって、アーチャはさも楽しげにそう言った。聖地で暴れていたのは、なんと、ジングとニールの双子だった。ギービー族の反乱に加勢し、どさくさに紛れて兵士たちをぶん投げている。日毎に蓄積されてきた苛立ちが、ここに来てとうとう暴走を始めたようだった。双子は驚くほど息もピッタリだ。
「あいつらにもまだイクシム族の血が流れていたなんてな。……アーチャ、必ずあの子を見つけ出して、また戻って来い。地上へ行く時は一緒だ」
二人は別々の道を走り始めた。アーチャは聖地の中央へ、アンジはじいさんの元へ向かって。
アーチャはまず、簡単に騙せそうな兵士を見つけることに専念した。そして、その標的はすぐに見つかった。つい先ほど、その最適な兵士と話したばかりだった。
「おい! 起きろ!」
急降下と急上昇を繰り返すギービー族たちの群れをかいくぐり、アーチャは、まだ気を失ったままの新米兵士のそばへ駆け寄った。肩をゆすったり頬を叩いたりしているうちに、兵士は呆然と意識を取り戻した。そして、聖地を埋め尽くすギービー族の大群と、剣とムチを当てずっぽうに振り回す兵士たちの攻防戦を目の当たりにして、再び気を失いそうになっていた。
「ジェッキンゲン大佐からの命令なんだ!」
アーチャの作戦は効果絶大だった。兵士の瞳が完全にその輝きを取り戻した。
「ジェッキンゲン……ジェンキンゲン大佐から! な、何でしょう?」
「このギービー族の反乱で、マイラ族の少女の生存が危ぶまれた。ただちに救出せよ」
もうこの兵士は水を得た魚だった。ふんぞり返って立ち上がったかと思うと、さも得意げに語り始めた。
「マイラ族の少女がアクアマリンにいるという噂は、何度か耳にしたことがあります。確か、この海底洞窟で一番高い位置にある部屋で生活をしているとか……ところで、どうしてドレイの君がそのことを?」
アーチャがうまい言い逃れを思いつく前に、ギービー族がまた一騒動起こしてくれた。三匹のギービー族がいきなり新米兵士を取り囲んだかと思うと、力を合わせて宙に持ち上げ、湖の中へ放り込んだのだ。
どうやら、ギービー族は敵が誰かなのかをちゃんと承知しているらしい。