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五章  正当な行為  6

「人魚……」


 アーチャはそれを見て、呟いた。一メートルほど掘られた穴の中に、まだほんの小さな人魚の男の子が眠っていた。アーチャと同じボサボサの髪の毛に、痩せ衰えた小さな体、輝きを失ったうろこ……そのどれからも、まるで生気を感じない。ただ、“かろうじて”生きているのは確かだった。


「どうして人魚が……この子に何をしたんだ?」


 ジャーニスはため息を吐いて首を横に振った。口元で微笑するその表情は、ジェッキンゲンがアーチャに見せたあの小ばかにする笑顔と全く一緒だ。


「いくらバカな君でも、大体の察しはつくだろう? この人魚がジクスの部屋のランプに呪いをかけ、じわじわとなぶり殺していったってことくらい」


 アーチャは愕然として言葉が出てこなかった。だがその代わり、アーチャの頼りない脳味噌は、ある日のゴーレムの言葉を鮮明に思い出させてくれた。それは、アーチャがランプの交換をゴーレムに命じた時のことだった。


『ランプの交換はジャーニスの仕事。我々はそう命令された。だから、我々はランプの交換をしない』


 アーチャは机の上にある『キャッチランプ補給』の木箱を見た。次いで緑の絨毯を、そしてジャーニスを……見た。


「分かった……あなたがどうやってゴーレムたちに命令をしていたのか」


 アーチャは力無く言った。


「ずっと、兵士になりすましてたんだな」


 ジャーニスは歯茎を覗かせるほどニンマリと微笑んだ。


「御名答」


 冷たい声が言った。


「この脱走計画を進行するにあたり、僕にはずっと幸運がまとわりついていた。自分でも不気味に思うほどにね。第一の幸運は、この部屋の絨毯の色が軍服の色と同一だったことだ。これにより、僕は絨毯を軍服に似せて作ることに成功した。この世にゴーレム族ほど単純で純粋な種族はいない。緑の服と帽子さえ着用すれば、あのでくの坊たちを簡単に騙すことができたんだからね。そうして、僕はゴーレム族からランプの交換作業を奪い、計画の遂行における様々な物品を調達させ、君たちに手紙を送り、ギービー族の解放命令を下した」


 アーチャの愕然とした表情を楽しむような笑顔で、ジャーニスは淡々と喋り続けた。


「第二の幸運は、この人魚だ。あれはそう、一ヶ月ほど前のことだ。両親が実験の材料として捕われてしまったこの子は、毎日のように湖のほとりですすり泣いていた。その姿を見て、僕はこの子をうまく利用しようと考えた……そう、ジクスを殺す道具としてこの人魚を選んだんだ。魔力を持った人魚族といえども、相手はまだ子供だ。両親を失ったことでできた心の傷口に入り込み、励ましの言葉の一つや二つ吹き込んでやれば、あっさりと僕になついてくれたよ。『君の両親はすぐにまた君の元へ戻って来る』『それまで僕が君のお父さん代わりだ』……ハハ……笑っちゃうね」


 アーチャは怒りで全身を震わせていた。ジャーニスの冷酷な本性だけがその起因ではない。こんな悪魔のような男を父親代わりにしたいと思っていた自分に、一番腹が立っていたのだ。


「だが、この子は本当に良く働いてくれた。僕の命令どおり、ジクスを何らかの病死だと思わせるため、日毎に段々と衰えていく、程度の弱い呪いをランプにかけてくれた。案の定、ジクスはランプから発せられる死の光を浴び続け、日を追う毎に衰弱していった。そして、とうとう死んだ。僕がランプの交換作業を買って出たのも、ジクスを呪いという力で間接的に葬って、僕のアリバイを成立させるためだったのさ。だが、ただ唯一の誤算は、ジクスが聖地で逝ってしまったことだ。あのまま自分の部屋でくたばってくれればよかったものを……まあ、さすがはジェッキンゲン大佐と言ったところか。あの微弱な呪いの香りを嗅ぎつけるなんてね……危うく、犯人が僕だとバレるところだった。差し詰め、このくだらない手紙をコッファに渡すつもりだったんだろうが、そのために余力を使い果たすなんて、全く、どこまでも往生際の悪い奴だったよ」


 アーチャは憎悪をたぎらせた、殺気立つ瞳でジャーニスを睨んだ。アーチャの感情は、すでに怒りを通り越して我を忘れんばかりだった。


「いかにも気に食わないって目つきだね、それ」


 ジャーニスはアーチャの顔に向かってあごを指した。その時、ランプの明かりが眼鏡のレンズに反射し、怪しくギラリと一閃した。


「お前の血は腐ってる」


 声は怒りで震えていたが、アーチャはそのことにも気付かないほど怒り狂っていた。


「何だって?」


 不快をあらわに、荒立たしい声でジャーニスは聞き返した。アーチャはひるまなかった。


「お前の血は腐ってるって、そう言ったんだ。何の罪もないジクスばかりでなく、人魚の子供やコッファ、それに……それに……アンジまで……」


「誰かが救われるには、誰かが犠牲にならなければならない。それがこの世の摂理だ」


 ジャーニスは首からぶら下げていた懐中時計を服の中から引っ張り出し、ランプの明かりの下で現在の時刻を確認した。物思いに耽るような険しいジャーニスの表情が、再びアーチャを捉えた。


「僕には、この血を汚してでも守らなければならない大切な人たちがいる……だから、これらはみな正当な行為なんだ。……さあ、もう時間だ」


 アーチャは動かなかった。


「どうして俺が? どうして俺がこの計画に……」


「君の血だよ、アーチャ」


 突然、アーチャの心臓が狂ったように激しく脈を打ち始めた。まるで、胸の内側を鈍器で殴られているようだ。そして、壁に手を添えないとまともに立っていられないほどの目まいに襲われた。

 途端に意識がなくなり、アーチャは何も考えることができなくなった……。


「……すべてを承知したなら……」


 ジャーニスの声は、どこか遠くの方から聞こえてくるようだった。そのうち、狭い部屋で怒鳴り散らしているかのように、耳の中でガンガンと反響して聞こえるようになった。それはとても騒々しく、立ったままでは耐えられないほどの不快感だった。

 アーチャは以前にも、これと似た苦痛を味わったことがある……アーチャがこのアクアマリンに連れて来られて、ランプの切れかけた薄暗い部屋で目を覚ました、あの時の感覚にそっくり同じだ。


「君がこれからすべきことはもう心得ているだろう? 君の力が必要なんだ、今すぐにね」


「ああ、十分心得てるさ……この腐れ野郎」


 アーチャの意識はまだ少しもうろうとしていた。だが、本当に今すべきことは、十分心得ているつもりだ。

 アーチャは次の瞬間、ジャーニスを全力で押し飛ばし、扉を開け、暗い通路を疾走していた……聖地にいる見張りの兵士のところへ向かって、疾走していた。


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