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五章  正当な行為  5

 誰かに肩を揺さぶられて、アーチャはふと目を覚ました。ジャーニスがアーチャを覗き込んでいた。


「さあ、もうすぐで時間だ。あと三十分」


 緊張からか、ジャーニスの声はわずかに上ずっていた。アーチャは疲労で強張った体をきしませながら、ゆっくりと起き上がった。アンジとコッファはすでに起きていて、ジャーニスに負けないくらい緊張しているように見えた。アンジは壁にもたれて右足をしきりに細かく動かしているし、コッファは耳まで青ざめていた。アーチャはというと、自分でも驚くほど平静を保っていられた。きっと、昨夜にジャーニスと会話したことが心の支えになっているのだろう。


「それじゃあ、僕はちょっと聖地の様子を見てくるから。僕が戻って来るまでじっとしているんだよ」


 ジャーニスは大きな音を立てないよう慎重に扉を開けて、部屋を出て行った。アーチャはふと、ジクスがコッファ宛てに書いた手紙のことを思い出した。ずっとドレイ服の中に隠しておいたのを忘れていたのだ。


「コッファ、これ。ジクスからの手紙……渡すの遅れちゃったけど」


 コッファの青白い顔が、差し出された手紙を見て、それからアーチャの顔を見て、また手紙に戻った。コッファは震える指先で手紙を受け取ると、読み始めた。すると、その表情がみるみるうちに強張り始めた。目は見開かれ、あごがガクガクしている。まるで、極寒の地で寒さに震えているかのような姿だった。


「今なら、まだ間に合う」


 手紙を見つめたまま、コッファはうつろな声を発した。アンジの右足が、その動きを止めた。


「二人とも、ジャーニスを信じちゃいけねえ……あいつがジクスを……ジクスを殺したんだ!」


 扉が大きな音を立てて開いた。部屋の向こう側に立っていたのは、口に吹き矢をあてがうジャーニスの姿だった。驚いたのも束の間、「フッ」という音と共に、コッファはもうその場に倒れていた。長さ四センチほどの針が左肩に突き刺さっていた。

 アーチャが止める間もなく、二度目の「フッ」が聞こえた。アンジがひざからくず折れ、うつ伏せに倒れた。全身がヒクヒクと痙攣している。

 アーチャはあっという間にパニックに陥った。今は、扉の前で吹き矢を構えるジャーニスの姿しか目に入らない。すべてが、悪夢のような光景だった。


「どうして……?」


 アーチャの声は今にも消え入りそうだった。


「どうしてこんなこと……」


 ジャーニスは短く笑った。吹き矢を手にしたまま扉を閉め、奇妙な笑顔でアーチャの方へ歩み寄ってくる。アーチャは感覚のない足で後ずさりした。すると、左足のかかとに何かがぶつかった……すでにピクリとも動かない、アンジの大きな肢体だった。頭の中は真っ白に、目の前は真っ黒になった気がした。


「それはこっちのセリフだ」


 ジャーニスは冷たく言い放った。


「どうして僕の言うことにおとなしく従わないんだ? 君が牢屋に閉じ込められた時だってそうさ。兵士には逆らうなと、あれほど釘を刺したじゃないか」


 ジャーニスの発言を理解するのに、アーチャはしばらく時間がかかった。そして、はっと思い出した。


「兵士を殴り飛ばした新人が牢屋に入れられたと聞いた時、僕がどれだけ苦労して君たちを救い出したか、アーチャくん、君には分からないだろう。ゼル・スタンバインほど物分かりの良い兵士がここにいなければ、君たちは今ごろ実験の材料として使われていただろうな」


 ジャーニスはコッファのそばに落ちていた手紙を拾い上げ、読み始めた。アーチャは生唾をゴクリと飲み込んだ。


「警戒していた甲斐があった」


 横たわるコッファに視線を移しながら、ジャーニスは言った。


「ジクスは、コッファに色々と厄介なことを吹き込んでいた。だから、僕にいつ手の平を返してもいいようにと、ずっと警戒してたんだ。さっきだって、聖地の様子を見に行くフリをしただけさ。僕がそばにいない時こそ、コッファの本音を聞きだす絶好の機会だからね」


 ジャーニスはまた手紙に目を戻した。


「『あいつはもう駄目になっちまったんだ』……ハッ! 怖気づいた臆病者が、よくこんなこと書けたもんだよ」


 ジャーニスは手紙をくしゃくしゃに丸めて、コッファに向かって投げつけた。手紙はコッファの頭に当たり、跳ね返ってアーチャの足下に転がった。


「コッファがさっき言ってたことは本当?」


 無精ひげの生い茂る、ジャーニスの細いあごの先端を見つめながら、アーチャは勇気を振り絞って尋ねた。


「その……ジャーニスがジクスを殺したって……」


「本当だ」


 よどみない口調だ。


「僕が殺した」


 その言葉を聞いた時、アーチャは心の中で拳を握った。アンジの警告は正しかった。ジャーニスとは関わるべきではなかったのだ。そのアンジも、今はもう指一本動いていない。アーチャは、極限の罪悪感にさいなまれ始めていた。


「正当な行為だった」


 ジャーニスは落ち着き払って続けた。


「君がここへやって来る二ヶ月前、僕はコッファとジクスをこの脱走計画に誘った。当初、二人は快く計画の参加を引き受けてくれた。だが、日が経つにつれ、ジクスは怯え始めた。『私にはできない』『こんな計画は無謀だ』と、弱音を吐き始めたんだ。終いには、計画のことを兵士たちに告知すると言い始めた。この時、僕はジクスを殺そうと決心した」


「だけど、あなたにそんな力はなかったはずだ。ジェッキンゲンはあの時、ジクスは呪い殺されたって、確かにそう言ったんだ」


 アーチャは鋭い視線で、今度はしっかりとジャーニスの目を見た。レンズの奥に見えるその瞳は、氷のように冷たかった。


「確かに、僕には命あるものを呪い殺す力なんてない」


 突如、ジャーニスは机の端をひょいと持ち上げ、手慣れた感じで部屋の隅へと移動させた。アーチャの呆然とした表情をちらと見てから、ジャーニスはしわの寄った緑の絨毯をつかみ上げ、バッとめくり上げた。今しがたそこにあった机の真下に、上げ蓋式の小さな木製の扉が現れた。アーチャはますます訳が分からなくなった。


「僕にはない……だが、こいつは違う」


 ジャーニスは取っ手の部分に足先を引っ掛け、思い切り蹴り上げた。その中にあるものが何か分かった瞬間、アーチャは呼吸を忘れた。


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