五章 正当な行為 4
「兵士たちを殺すの?」
思っていたことがアーチャの口を突いて出たのは、それからしばらく後のことだった。ジャーニスは服の中へ慎重に吹き矢をしまい込んでから、アーチャをじっと見た。
「言っただろ、失敗は許されないって」
咎めるような厳しい口調だった。ジャーニスがこんな言葉遣いで話すのを、アーチャは初めて耳にした。
「計画の失敗は死を意味する、そうも言った。勘違いしてはいけないよ、アーチャくん。ここから綺麗に脱走しようなんて、そんな考えがあるなら今のうちに捨てるんだ。ここを逃げ出すということは、国軍に喧嘩を売るのと一緒だ。つまり、この計画が実行されたその瞬間から、兵士たちは僕らの敵となる。生半可な気持ちじゃ、決してうまくはいかない……決してね」
アーチャはひどく打ちのめされて、何も言えなかった。そして、脱走することの真の意味を履き違えていたことに、今ようやく気付かされた。地上へどう脱出するかなんて、むしろどうでもいい。問題は、それから待ち受ける運命をいかにして乗り越えるか、だったのだ。
「教えてくれ」
アンジがか細い声で言った。
「今俺たちにできることはなんだ? 計画がうまくいくように、ただ祈ってろっていうのか?」
ジャーニスはまじまじとアンジを見つめ返した。揺るぎない真剣な眼差しだった。
「潜水艇が来るのは朝の五時だ」
ジャーニスは、アンジを見つめながらやや大きめの声で切り出した。
「三日に一度、定期的にここを訪れるので間違いないはずだ。そして、潜水艇の改造を頼まれた時に手に入った操縦マニュアルもここにある」
ジャーニスは紐でくくられた分厚い資料を耳元でユラユラさせた。
「潜水艇がやって来る五時きっかりに、監禁されていたギービー族の連中が部屋から解放される。アーチャくん、僕が前に教えたことを覚えているかい? 彼らは集団生活が苦手で、別室に閉じ込められているって」
アーチャはその時のことを途切れ途切れに思い出しながら何度もうなずいた。
「いつも悪巧みしか考えていないギービー族は、かなり長い間、狭い部屋に閉じ込められていた。イタズラだけが生きる糧だったような種族だ。今までのうっぷんを晴らそうと、兵士たちと大いに暴れてくれるだろうさ」
「でも、誰がギービー族を解放させるの?」
アーチャは怪訝な表情で聞いた。
「くどいようだけど、こいつもやっぱりゴーレム族だ。ちょっと細工をして、彼らを手なずけさせたんだよ。僕の指示どおりに働いてくれれば、潜水艇が到着すると同時にギービー族が暴れ出す。兵士たちを動揺させ、その隙を狙って潜水艇を奪う。無論、兵士たちが素直に譲ってくれるわけもないので、襲いかかって来た奴には容赦なく攻撃を仕掛ける。地図と操作方法はしっかりと脳味噌に焼き付けてあるから、あとは追っ手が来ないうちにどこか遠くへ逃亡する」
「何だか、雲をつかむような話だな」
アーチャは賞賛の入り混じった声でそう言った。ジャーニスはクスッと笑った。
「首尾よく事が運んでくれるのを願うよ。とりあえず、計画の全容はこんな感じだ。今君たちにできることは、うん、朝になるまで眠っておくことだ。十分に体を休めて、明日に備えてくれ」
だが、アーチャはしばらく寝付けなかった。コッファのいびきがうるさかったせいもあるが、理由はそれだけではない。明日の今頃、自分はどこで何をやっているのだろうかと、本当に計画はうまくいくのだろうかと、そんなことばかり考えていたせいで、目がすっかり冴えてしまったのだ。
「まだ眠れないのかい?」
アーチャの耳元でジャーニスの声が聞こえた。アーチャが寝苦しそうに姿勢を変え続けるので、心配して声をかけてくれたらしい。
「明日のことを考えると眠れなくなっちゃって……」
自分を情けなく思いながら、アーチャは素直に白状した。
「さっきはきついことを言ってすまなかった」
アーチャと壁の間にあるわずかな空間に寝そべりながら、ジャーニスはそう言った。アーチャは思わず首をもたげてジャーニスを見た。
「でも、アーチャくんにはこれからのことをちゃんと分かっていてほしかったんだ。隠し切れない現実を、心からちゃんと見つめ直してほしかったんだよ」
アーチャはまた天井に目を向けた。いくつも重なったランプの光が眩しすぎて、半分ほどしか目を開けていられなかった。
「地上で俺たちを出迎えてくれるもの……ジャーニスは何だと思う?」
アーチャのやぶから棒な質問に、ジャーニスは戸惑いを隠せないでいた。眼鏡のレンズに付着した土埃を、何度も入念に拭き取り始めたのだ。ジャーニスが口を開いたのは、こんな質問をしなければよかったと、アーチャが本気で後悔し始めた矢先のことだった。
「それは、アーチャくん、君次第だよ。言うなれば、君が描く夢への希望そのものだ。どんなに廃れた未来が待っていようとも、その苦難を克服できるだけの明るい希望が必要なんだ」
心の内にあったもやもやがスーッと消えていくのを、アーチャはしっかりと感じた。ジャーニスの穏やかな優しい声を聞いていると、全身が安堵感でふわりと満たされた。そして、アーチャは思い出すことができた。今は亡き“親”という存在を。
「ジャーニス……ごめん、なんでもない」
言えなかった。「地上へ出られたら俺の父親代わりになってください」だなんて……きっと断られるに決まってる。両親を亡くしてからの十年間、アーチャはずっと求め続けていた何かを、ここで見つけることができた。それは、人魚のうろこでも、マイラ族の翼でもない……父親と呼べるかけがえのない存在を、アーチャはやっと見つけることができたのだ。
アーチャが深い眠りについたのは、それからすぐのことだった。