五章 正当な行為 3
そう言うと、ジャーニスはグルグル巻きにされた大きな用紙を引き出しの中から引っ張り出し、三人の前に広げた。それはアクアマリンの地図だった。光沢のある青いインクがランプの明かりに照らされてキラキラと輝き、アリの巣のようなアクアマリン内の構造を事細かに記している。
「こいつは軍から渡された資料の一つなんだ」
地図を覗き込むアーチャとアンジに向かってジャーニスは言った。
「注目してほしいのはここ」
ジャーニスが指差したのは、地図の外側に描かれた円状の通路だった。それは完全なドーナツの形をしていて、他のどの通路からもつながっていない。
「どこにも入口なんてないよ」
アーチャは目をすがめながら気まずそうに言った。
「まやかしさ」
ジャーニスは素っ気なく答えた。
「人魚族って生き物は、どうもこういったカラクリが大好きらしい。魔法を使った様々な仕掛けを、アクアマリンの至る所に施しているんだ。外敵に攻め入られた時の対処法の一つとしてね。部屋の奥の壁に隠し通路の入口を設けたのもそのためなんだよ。入口を開けるのは簡単。ただ念じるだけでいい」
「それなら、俺たちはどうしてその方法で脱出しないんだ? 潜水艇をかっぱらうより安全で確実だろ」
アンジはおかしな部分を敏感に嗅ぎ取り、率直に尋ねた。アーチャも同意見だった。
「僕が本当に考慮しているのは、脱出した後のことなんだよ。その隠し通路を通り、もしここから脱出できたとしても、出口はどこにあるか分からない。僕やコッファでさえ、このアクアマリンがどの国の近海にあるのか知らないんだ。それこそ、海のど真ん中に放り出されてごらん。待ってるのは腹を空かした人喰いザメだ」
アーチャはとっさに地図から目を離した。サメに追いかけられるくらいなら、兵士たちと鬼ごっこしていた方がマシだと思えた。
「とにかく、僕がここを抜け出そうって決心できたのは、フィンのおかげなんだ。彼女には心から感謝してるよ」
ジャーニスは引き出しに地図を戻し、雑然とした机の上の資料を払い除けるように一まとめにし始めた。
「それで、どうやって潜水艇を奪うの?」
アーチャは身を乗り出しながらジャーニスの背中に向かって性急に尋ねた。
「力ずくさ」
振り向きざまに、ジャーニスは揚々と答えた。
「力ずくって、何か武器とかはないの?」
アーチャの声色は絶望的だった。
「そりゃそうだろうよ」
アンジが観念したように言った。
「よく考えてみろ。こんな薄暗い洞穴のどこに武器なんか転がってる? 魔法が使えりゃ話は別だが」
アーチャは何か堅い物で頭を殴られたような感覚に襲われた。ムチと剣を持った兵士たちと素手で戦うだなんて、自殺行為も甚だしい。
「でも、全くないってわけじゃない」
アーチャは顔を上げた。ジャーニスが首元から服の中に手を突っ込んでいる姿が目に入った。そこから取り出しのは、一本の細長い筒だった。
「吹き矢だ」
ジャーニスはアーチャたちに向かって、誇らしげにそれを見せつけた。どこからどう見ても、木製の平凡な吹き矢だ。
「へえ。その穴から弾丸でも飛び出すのかい?」
あざけるような口調でアンジは言った。確かに、見てくれは頼りなさそうな武器だ。
「見た目だけで判断しちゃ駄目だよ。使う矢には毒を仕込んであるから、こいつに射されたら数分で死ぬ」
アーチャとアンジは思わず身を引いた。ジャーニスのその一言で、弱々しかった吹き矢が巨大な機関砲に姿を変えた気がした。
「そんなもん、どこで手に入れた?」
突然、左横の方で太い声がしたので、アーチャはビクリとした。コッファがそこにいたことを、アーチャもアンジも半分忘れかけていた。
「もちろん手作りだよ。机の一部を切り取って、それを半円に削り、二つあわせて筒を作った。矢はゴーレム族に頼んで持ってきてもらった。と言っても、刺繍用の針だけどね。矢に仕込む毒が一番簡単だった。最近、デンキイモが食事に出たのを覚えてるかい? あのデンキイモの根っこには殺傷効果のある強い毒素が含まれていてね。この毒矢を作ろうと考えたのも、そのことを思い出したからなんだ。こいつもゴーレムに頼めばすぐだったよ。デンキイモの根っこなんて腐るほどあったから。……ただ時間がなくて、これ一つしか作れなかったんだけどね」
それを聞いて、三人は素直に喜べなかった。互いに困ったような顔を見合わせて、黙りこくっている。