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五章  正当な行為  2

 その日の作業が終わったのは、十一時を少し過ぎた頃のことだった。午後に言いつけられた仕事は、指示された絵を神殿の壁に刻み込むというもので、これはなかなか楽しかった。どちらがより“下手くそ”に描けるかをアンジとこっそり勝負したり、兵士たちに見つからないよう、落書きやメッセージ(「アーチャとアンジが世界を変える!」)を残し、些細なスリルを味わうなどして時を過ごした。それに、わずかだが、疲れを癒すこともできた。

 二人がそんなイタズラを決行している傍ら、陰ながらの厄介者はじいさんだった。じいさんときたら、指示にはない、自分そっくりの自画像を描いてしまうものだから、世話を任されていたアーチャとアンジがこっぴどくなじられたのは、誰に言うまでもない事実だった。しかしこの自画像、ドレイたちの間ではなかなか好評で、兵士たちの目を盗んでよくここまで描けたものだと、じいさんに数々の賞賛の言葉が送られたのも、また事実だった。

 作業終了後、アーチャたちは誰よりも早く作業場を抜け出し、一目散に自分たちの部屋へと戻った。


「おじいさん、もうおやすみの時間だ。でも俺たちはちょっと用事があるから、先に寝ててくれ」


 曖昧に言葉を並べながら、アーチャは静まり返った部屋でじいさんにそう言い聞かせた。じいさんは脱出の際に迎えに来ようと、アンジと相談して決めたのだ。その余裕があればの話だが……。


「いざとなったら、死ぬ気で行動を起こすまでさ」


 疲れ果てたドレイたちでごった返す聖地を横切りながら、アンジは陽気に話しかけた。計画の失敗が死に値するということは、ジャーニスの話で認識済みだった。


「だけど、死んだら意味ないぞ。ほどほどにね」


 扉の前でアーチャが冷静に忠告した。そして、アンジ以外、誰も近くにいないことを確認してから、扉を三回、軽く叩いた。扉はすぐに開き、ジャーニスの青白い顔がそこにヌッと現れた。


「さあ、入りなさい」


 周囲を確認した後、ジャーニスは早口で二人を促した。最後にもう一度辺りを確認してから、ジャーニスは扉を閉めた。部屋の中には、ジャーニスの他にもう一人、コッファがいた。緑の絨毯の上にどっしりと尻を据えており、相変わらずの怯えた表情で、アーチャとアンジを交互に見つめている。


「コッファ、彼がさっき話したアンジくんだよ。力強いイクシム族の味方さ」


 アンジとコッファは無言で握手した。それはまるで、互いの心の内を詮索するかのような奇妙な姿だった。


「ずっと待ち望んでいた時が、とうとうそこまでやって来た」


 二人がコッファの横に座ると、ジャーニスは唐突に話し始めた。


「噂どおり、ジェッキンゲンは今日の昼過ぎ、ここを去った。ほんの一時的だが、こんな好機会はめったに訪れるものではない。外壁は崩れ、頼もしい仲間が集い、最適な時刻に外からのお迎えがやって来るんだ」


「それってもしかして、潜水艇?」


 アーチャはとっさに聞いた。興奮で心臓は高鳴りっぱなしで、体が自然に前へと乗り出していた。ジャーニスはにっこり微笑んだ。


「そのとおり。明日の早朝、潜水艇が交替用の兵士と多くの研究資料を持ってアクアマリンへやって来る。僕たちは、その潜水艇を奪って逃走する」


 コッファは体をブルブルと震わせ、アーチャとアンジは顔を見合わせて目をパチクリさせた。


「ここから脱走するなんて狂気の沙汰だ」


 ジャーニスはおもむろに続けた。


「少なくとも、ここへ連れて来られたばかりの頃は、その考えが僕を支配していた。だが、現れた。この地獄から抜け出した、唯一の人間が」


「つまり、この地下から脱走した奴がいるってことか?」


 アンジは腑に落ちないという表情で尋ねた。ジャーニスは机に腰かけ、三人を見下ろした。


「もう一年以上前の話だ。フィン・ラターシアという女性がアクアマリンにいた。彼女は、僕と同じルーティー族だった。我々混血はその賢い頭脳ゆえ、二つの種類に分かれた。一つは、アクアマリンで無難に生き続けようと考える者。もう一つは、命を懸けてでも地上へ戻ろうと決意する者。フィンは、ここから脱走することを選んだんだ」


 早く続きを聞きたいとばかりに、アーチャは熱い眼差しでジャーニスを見つめ、激しくせっついた。ジャーニスはすぐにその期待に応えてくれた。


「僕はもちろん、フィンの考えには反対だった。だが彼女は頑なに自分の意思を貫き通した。そして、彼女の持つ希望が、とうとう見つけ出した。地上へと通じる入口の存在を」


 アーチャは息を呑んだ。手が汗をつかんでいる。


「それは、長い間ここに住みついていた人魚たちだから知っていた事実だった。フィンは教えられた入口を通って、地上へ戻っていった。それからのことは分からない。もしかしたら、途中で力尽きたかもしれないしね。……確かなことは、その入口はどの部屋にも存在しているということだ」


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