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四章  また死……  5

 ドレイたちの予想通り、この日から兵士たちの目つきが変わった。その数は以前の二倍ほどに膨れ上がり、行動が遅いだの、力が弱いだの、もっと頭を使えだのと大声を張り上げて怒鳴り散らした。挙げ句の果てには、吐息がうるさいときたもんだ。兵士たち自身が、ジェッキンゲンが戻ってきたことに一番動揺しているようで、ドレイに対する善悪の見境がつかなくなりつつあったのだ。

 先ほどのジクスの死がこの悪状況に輪を掛けているのも確かだが、彼らがゼル・スタンバインのような優しさを見せるという間違ったことは、やはり一度だってありはしなかった。荒々しい鼻息でドレイたちを監視するその姿は、しつけの行き届いた優秀な番犬そのものだった。


「アンジ、これ」


 食事の時間、アーチャは口の中の血肉ソーセージを力いっぱい噛むふりをしながら、アンジにそうささやいてある物を手渡した。アンジは、噛むたびに血が吹き出す血肉ソーセージが気持ち悪くてしょうがないという表情でうつむき、アーチャから受け取ったある物を見た。それはくしゃくしゃの手紙だった。だが、くしゃくしゃなのは紙だけではない。書かれた字さえも、まるで大きな横揺れ地震の中で書いたかのようにひどく歪んでいた。内容はこうだ。


『私は死期を悟った、もう長くない。話すことさえままならないのだ。いいか、コッファ。ジャーニスとは縁を切れ、危険すぎる。あいつはもう駄目になっちまったんだ。コッファ、お前だけでも逃げろ』


 最後の一文字は力尽きたようにかすれていたが、何とかすべて読み取ることができた。アンジは前を向いたまま、食事の続きを楽しむかのように物静かだった。


「どう思う?」


 アーチャは近くで兵士が盗み聞きしていないかを目だけで確認しながら、こっそり尋ねた。


「どう思うって、アーチャ、こんなのいつどこで手に入れたんだ?」


「聖地さ。ジクスの死体が運び出された時、手から落ちたんだ。彼、死ぬ直前に拳を握っていただろ? きっとその手紙をコッファに渡そうとしてたんだと思う」


 アンジはまた手紙を読み返した。この文面を見れば、アーチャの言っていることが事実であることに間違いはないだろう。


「あいつはもう駄目に……コッファ、お前だけでも逃げろ」


 アンジは考えを巡らせながら、その部分だけをぶつぶつと繰り返し呟いていた。


「危険すぎる……コッファはここから逃げられるけど、ジャーニスは逃げられないってことか?」


 アンジが意見を述べた。アーチャは首をかしげた。


「ジクスはその手紙をコッファだけに読ませようとしていた。だろ? ジャーニスには見向きもしなかったんだから。きっと、あの三人の間に何かがあったんだよ」


 アーチャが声を低くしてそう言うと、アンジは長いため息をついた。


「“何かがあった”だって? 冗談きついぜ。仲間の一人が呪い殺されたその渦中に、俺たちは真っ向から飛び込もうってんだからよ」


 アンジは手紙を乱暴に突き返し、アーチャを睨んだ。アーチャも負けじと睨み返した。


「ジクスの死とジャーニスは何も関係ない。コッファもだ。あの二人には呪い殺す力なんてないんだ。そんなこと、アンジだって分かってるだろう? もしかしたら、今度はジャーニスが殺されちゃうかもしれないんだぞ」


「何者かが脱走計画のことを小耳に挟んで、実行を阻止しようと企んでいるとでも? そりゃいい。本だって出せるぞ。『ドレイ探偵アーチャの事件簿〜奴は聞いていた! 死体に残された微細な呪いの臭気、ルーティー族を狙う殺人鬼の脅威のまじない!〜』。絶対読むもんか」


 アンジは楽しげにそう言ったが、その表情はあちこちが不安だらけだった。眉は垂れ、目は据わり、唇は紫色だった。


「それでも、俺はここを出たい……出なくちゃ。仲間の所へ帰るんだ、絶対に」


 奮然と言ってみたはいいものの、アーチャには、誰が正しいのか、何を信用すべきなのか、さっぱり分からなかった。だが、計画実行の日はそう遠くない。今ジャーニスを頼らないで誰を頼れというのか。もう一度陽の光を浴びるには、彼を信用するしかない。他に手はないのだ。


「この手紙をコッファに渡さなくちゃ……おい、アンジ」


 アーチャはアンジの肩をさすって通路の出入り口付近を指差した。ドレイ服を着たあのいかれたじいさんが、そこに立っていた。アンジの表情が引きつった。


「アーチャ、分かってるよな? 他人のフリだ」


 というより、他人になってしまいたいと言わんばかりにアンジは言った。声がわずかに上ずっている。アンジはどうしても、あのじいさんを好きになれないらしい。


「でも良かった、おじいさんが牢屋から出られて。スパイなわけないじゃないか」


 二人の兵士がじいさんの脇に立ち、あれやこれやと作業についての説明をしているようだった。だがアーチャは、じいさんにそんなことをしてもくたびれ損だと思った。何せ、あのじいさんはいかれてる。


「それにしても、ジェッキンゲンってのは底無しのアホだな。あんな奴を働かせようなんて……」


「静かに!」


 アーチャが声を殺してアンジを黙らせた。兵士がじいさんを連れて、アーチャたちの元へ歩み寄って来るところだった。


「お前たち、この老いぼれと同じ部屋だったな?」


 二人の目の前に到着するや否や、兵士の一人が出し抜けに聞いた。


「そうでしたっけ?」


 アンジがとぼけた声で言った。二人の兵士は同時にムチを取り出し、脅すようにしてアンジを睨みつけた。アーチャは肘でアンジの脇腹を小突いた。


「そう……そうだった」


 アンジは観念し、うつむいて舌を打った。


「ならば、この老いぼれの世話をしろ。今日からずっとだ」


「でも、僕たちにも仕事が……」


 今度はアーチャが睨まれた。兵士たちへの口答えは決して許されない。


「仕事と世話を同時にやれば済むことだろ。ジェッキンゲン大佐がたいへんお気に召された者だ。丁重に扱えよ」


「まるで悪夢だ」


 じいさんを置き去りにして兵士たちが去っていった後、アンジはうなるように言った。じいさんは相変わらず何を考えているか分からない表情で、二人の前に突っ立っている。


「こんにちは」


 じいさんが不意に挨拶した。


「こんにちは」


 アーチャが笑顔で返した。何気ない挨拶が、なぜだかとても嬉しかった。




 それから二日が経った朝のこと。ジャーニスからの連絡は、ゴーレム族の朝の挨拶と共に突然やって来た。


「こいつを俺に? 誰から?」


「兵士さんです」


 ゴーレムがアーチャに持って来た物は、小さな四角に折りたたまれた、手紙らしきものだった。アーチャは状況がよく呑みこめないままそれを受け取ると、アンジとじいさんのいる部屋の奥の方へと戻った。そして、なるべくじいさんには見えないようにしながら、アンジと手紙を読んだ。まだ記憶に新しい、ジャーニスの丁寧な筆跡がそこにあった。


『いよいよ明日だ。今日の作業が終わり次第、僕の部屋に集まってくれ。明日の朝、計画実行だ』


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