四章 また死…… 2
「計画の方はどこまで進んでる?」
椅子に座り直しながら、アーチャは興奮して尋ねた。アンジは部屋の隅からアーチャのすぐ脇に移動した。ジャーニスの声をもっとよく聞き取ろうと配慮したようだった。それは、アンジが本当にジャーニスのことを信じてくれた、確かな証拠だった。
「計画の準備は着々と進めてはいるんだけど、最近になってある問題が浮上した」
その問題とは何でしょう? と問いかけるような視線で、ジャーニスはアーチャを見た。アーチャは聖地で見かけた見張りのことを思い出した。
「さっき、聖地で見張りをしてる兵士を見たんだ。眠ってたけど……」
ジャーニスの表情が少し曇った。
「見張りだって? そうか……すまない、どうやら危険な目に遭わせてしまったようだね。だけど、その見張りのことと今ここで起こっている問題とが密接な関係にあるということを、君たちはまず知っておかなければならない」
ジャーニスは段々と声を低くして続けた。
「先日、ジェッキンゲン・トーバノアという男がアクアマリンに戻って来たのは知っているね? 彼がここを去ったのは今から約半年前。アーチャくんがやって来るかなり前のことだ。手緩いと評判のゼル・スタンバインという少佐に指揮官が代わったことで、兵士たちは自由気ままにドレイを扱い、好き勝手するようになった。もちろん、早朝からの見張りなんてやるわけがない。今日になって突然見張りが現れたのもそのせいだろう。ジェッキンゲンが戻って来たことで警備状態が再強化され、脱走計画が困難になったことに間違いはないはずだ」
「そのジェッキンゲンって、もしかして魔法を使える?」
アーチャがやぶから棒に聞いた。
「ジェッキンゲンは戻ってきたその日に、俺たちの目の前で、双子の兵士の正体を見破ったんだ。魔法か何かを使って、あっという間に」
ジャーニスの表情が更に険しくなった。
「彼が魔力を備えてるって話は聞いたことがないよ。そもそも、魔法の力は人魚族だけに与えられた神の力だ。アクアマリンが彼の体の中に宿っているというなら話は別だが……」
「魔法を使える種族ならまだいるぜ」
アンジがすかさず割って入った。アーチャはジェッキンゲンという男と一緒にいた、あの少女のことを思い出した。
「その時ジェッキンゲンのそばには、滅びたはずのマイラ族の女の子がいたんだ。背中には、本の挿絵で見たとおりの白い翼が生えてた」
ジャーニスの深刻そうな顔つきが、一瞬にして空っぽになった。そして、こいつは何を言っているんだと、いぶかしげにアーチャを覗き込んだ。
「俺もこの目で見たぜ。作りもんじゃないってことは、一目見ればすぐに分かった」
アンジがそう言うと、ジャーニスの表情はより険しさを増した。眉を寄せ、眼鏡を押し上げながらウンウンとうなっている。
「君たちを嘘つき呼ばわりするつもりじゃないが、にわかには信じ難い話だ。というより、そんなことは有り得ない」
やがてジャーニスは、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら、部屋中を歩き回り始めた。アーチャとアンジは不思議そうに顔を見合わせた。
「『マイラ族の足跡』のことは君たちも知っているだろう?」
本棚の前で立ち止まってから、ジャーニスはやっと言葉を発した。二人は同時にうなずいた。
「マイラ族はヒト族を恐れて地上に近づこうとはしなかった……またそれは人魚族も同じだった。自分たちに適合した場所こそが最も安全だということを、ヒトという存在が下劣で貪欲な種族であるということを、彼らは知っていたんだ。だが、このニ種族の共通点はまだ他にもある。それは、魔の力を糧として生きてきたことだ。人魚族はアクアマリンから生み出される力を、マイラ族は翼から生み出される力を、魔力と名付けた……」
「そしてマイラ族は気付き始めた」
アンジが言葉を受け継いだ。
「かつて地上を支配してきたヒト族は、魔の力にはいとも簡単に屈してしまうということに……そして、自分たちが世界を支配する、真の王族として君臨すべき存在だということに」
アーチャはふと、両ひざを汗ばむほど強く握る自分がいることに気が付いた。二人の話を聞いていると、今まで事実だと確信していたことを再認識させられた。確かに、マイラ族という存在は地上のあらゆる生物を震撼させた、恐るべき力の持ち主だった。大陸を空高く浮上させるだけの魔力があると分かっていれば、ヒト族が恐怖するのも無理はない。あの人魚族でさえ一目置いていたほどなのだ……。
「マイラ族の暮らす浮遊島が謎の消滅を遂げたのは、ちょうどそんな頃だった」
語り手はジャーニスに戻っていた。伸びっぱなしの無精ひげで覆われたあごに指を添えながら、ジャーニスは物々しく続けた。
「浮遊島の高度は決して低くはなかったが、快晴であれば地上からでもその優美な姿を目にすることができた……マイラ族がこの世から抹消されたちょうどその日、地上から見る大空は雲一つない快晴だった。そして、目がくらむような一瞬の強い光とともに、マイラ族は浮遊島と共に消え去った」
ジャーニスはまた眼鏡を押し上げた。
「学者たちは揃って首をかしげた。爆音もない、爆風もない、強い衝撃もない……あるのは、奇怪な光だけだ。学者たちは、巨大な浮遊島を一瞬にして消滅させたその光をフラッシュと名付けた。結局、この事件は謎だらけのまま現在に至る」
三人はうなだれて考え込んだ。アーチャは、自分が作業場で見た少女が本当にマイラ族だったのか、どんどん自信がなくなってきた。またそれはアンジも同じだったらしく、気難しい表情で頭をかきむしっていた。