三章 いかれたじいさんと滅びの一族 5
その日の夜、アーチャはなかなか寝付くことができなかった。今日一日だけで一週間も過ごしたような気分だ。謎のじいさんやジェッキンゲン、あの双子のことも気掛かりだが、何より、百年も前に滅びたはずのマイラ族の少女が、なぜこんな所にいるのかがさっぱり分からない。
マイラ族は人魚族さえもしのぐほどの強大な魔力を持ち、その力を使って空に島を浮上させたと伝えられている。だが今から百年前、天高く漂うマイラ族の浮遊島は、ある日突然、何の予兆もなく消えてなくなったという。地上でその時の様子を目撃していた人々は、口を揃えてこう言った……「光って消えた」と。
この手の専門家や学者たちは、巨大な浮遊島を一瞬にして消し去った謎の光に“フラッシュ”という名を付け、今尚『マイラ族の足跡』と題して研究が続けられている。
アーチャは目をつむった。目の前に広がる暗闇の中に、少女の姿がぼんやりと浮かび上がった。涙を流す少女に向かって、アーチャが語りかけている。
「大丈夫、俺は君の味方だ。だから安心して。俺は君を救いたいんだ」
アーチャはまた目を開けた。どうしても、あの少女のことを一時も忘れることができなかった。
朝が来た。
アーチャは、切れかけのランプがチカチカと明滅する薄明るい部屋で目を覚ました。まぶたが鉛のように重い。
「労働開始三十分前です! みなさん、今日もしっかり働きましょう!」
ゴーレムが目覚し時計代わりの大声を部屋中に響かせた。アーチャはまだ半数ほど眠ったままのノッツ族の上から、そのゴーレムを呼び止めた。
「ねえ、ここの部屋のランプ、すぐに取り替えてくれない? こんなのじゃゆっくり眠れやしない」
ゴーレムはゆっくりと首を横に振った。アーチャはきょとんとした。
「ランプの交換はジャーニスの仕事。我々はそう命令された。だから、我々はランプの交換をしない」
アーチャはゴーレムの言っていることがよく理解できなかったが、とっさに、ある名案が浮かんだ。
「それじゃあ、今すぐこの部屋のランプを取り替えてほしいって、ジャーニスに伝えてくれ。これならいいだろ?」
「分かりました」
アーチャの思惑通り、ジャーニスに会う時間をうまく作り出すことができた。前に会った時から、すでに一週間以上が経っていた。
「ジャーニスがここに来るのか?」
満悦な表情のアーチャに向かって、アンジは不満そうに尋ねた。アンジはジャーニスのことを完全に信用しているわけではないので、アーチャとまだ密接な関係を保っていることが許せないようだった。
「アンジが心配してるようなことにはならないって。絶対に大丈夫! アンジも一度ジャーニスと話してみるといいよ。そうすれば、彼がどんなに心優しい人なのか分かるはずだから」
数分後、ランプを手に持ったジャーニスが部屋を訪れた。アーチャの心は交換されたばかりのランプのように明るく輝いた。
「アーチャくん、久しぶりだね」
新しいランプに取り替えられたばかりの部屋は、まるでそこに太陽が昇ったかのようにまばゆかった。眼鏡の奥から熱い眼差しを送り続けるジャーニスは、無精ひげがまた少し伸び、わずかに痩せたように見えた。
「ジャーニス、久しぶり。あの、紹介したい人が……」
「それじゃあ、またね」
ジャーニスはアーチャの言葉を遮り、満面の笑みでそう言うと、そそくさと部屋を出て行ってしまった。アーチャの手に小さな紙切れを押しつけて……。
アーチャはしばらくそのくしゃくしゃの紙切れを眺めていたが、やがてそれがジャーニスからの手紙だということに気がついた。アーチャはアンジと向かい合って座り、ノッツ族から盗み見されないようにかがみ込んで黙読した。そこには、これぞジャーニスの筆跡だと納得させられる、綺麗で丁寧な文字がつづられていた。
『明日の朝、五時頃までに僕の部屋へ来てくれ。君といつも行動を共にしている彼も一緒に。読み終わって地図を暗記したら、この手紙はちぎって部屋のどこかに埋めておいてもらいたい。兵士たちに見つかると厄介なことになるからね』
文字の下には聖地の分かりやすい絵図が描かれており、アーチャたちのいる部屋からジャーニスの部屋まで迷わないで行けるように、一本の線が引かれていた。
「ジャーニスのやることって、本当に抜かりがないよな」
アーチャはやたらと感心してそう言った。アンジはまだ気に染まないという表情だったが、アーチャはそのことに関しては何も咎めなかった。ジャーニスに対してアンジがそんなしかめっ面をできるのは、明日の朝までなのだから。
アーチャは指示されたとおり、手紙を地中に埋めようと伸びた爪を使って穴を掘った。途中、何か金属片のようなものに当たったが、気にせずアンジと一緒に掘り進め、バラバラに千切った手紙を地中に埋めた。