三章 いかれたじいさんと滅びの一族 4
「あ、そうだ!」
両手をパンと叩きながら、ジェッキンゲンは声を張り上げた。久しぶりのまともな食事に舌鼓していたアーチャとアンジは、骨付きの肉にむしゃぶりつきながらも、声の聞こえる方へしっかりと耳を傾けていた。
「面白いおじいさんがアクアマリンの中に紛れ込んだっていうじゃないか。いえね、仲間外れが苦手な私は、自分だけ知らないことがあるなんて絶対に許せない性質でして。……この作業場にはいないのですか?」
「あのじいさんのことを気にかける奴がアーチャ以外にもいるなんてな。とんだ物好きだぜ」
肉を骨ごとガツガツと噛み砕きながら、アンジは愉快そうに言った。アーチャは言い返そうとアンジに詰め寄ったが、兵士の一人がそれを遮った。
「残念ですが、大佐。あの妙な老いぼれ……いえ……おじいさんは、敵国からのスパイではないかという可能性が浮上しまして。今日と明日を通して精密な尋問を……」
「はいはい、分かった分かった」
ジェッキンゲンは兵士の顔の前に手を突き出し、話すのをやめさせた。
「ですけど、ああ、本当に残念です。こうしてこの汗臭い作業場に立ち寄ったのも、そのおじいさんを見物しようと思い立ったからなんです。アクアマリンにはこんなにもおかしな人たちが働いているんだってことを、この子にも見せてあげたくって。少しでも興味を持ってくれればと考えたのです……でもやはり、あのハラペコくん一人では物足りないみたいですね」
ジェッキンゲンはうつむいたままの少女を見て、肩を落としたようだった。
「あいつ、気付いてないみたいだ。この中で自分が一番おかしな人だってことに」
“ハラペコくん”と呼ばれた腹いせに、アーチャはアンジにそう囁いた。
「では、明後日までにはそのおじいさんをここで働かせるように。でも、休憩はしっかり与えて。そうでもしないと、きっとすぐに死んでしまうでしょうから」
兵士たちは顔を見合わせ、はっと思い出したように突然笑い出した。それを見て、アンジがとっさに顔をしかめた。
「うへぇ。俺、あんなしらじらしい愛想笑い生まれて初めて見た」
ジェッキンゲンはまた大きく手を叩いた。あんまり音が大きいので、壁に反響して手拍子しているようだった。
「それと、大切なことをもう一つ」
兵士たちの表情に緊張感が戻った。
「つい先ほど、潜水艇の中でスタンバインから聞いたのですが、先日、イクシム族のドレイが一人死んだみたいですね」
兵士たちの顔の一つ一つに戦慄が駆け抜け、青ざめた。アーチャとアンジはためらうことなく兵士たちの方へ身を乗り出した。
「私、確かに言いましたよね? ドレイは決して殺してはいけない、と。戦争の道具として生きた血が少しでも多く必要だから、と。確かにそう言いましたよね?」
「そ、それは……その……病死だったんです」
ジングが言った。もちろん嘘だ。そこにいる多くの者が分かっていた……おそらく、ジェッキンゲンもその一人だったはずだ。
「私は“冗談”は大好きですが、“嘘”は大嫌いでね」
ジェッキンゲンは落ち着き払った静かな口調で言った。ジングはたちまち笑顔を取り戻した。
「も、もちろん冗談ですよ! ちょっと力が強すぎたみたいで……その……元から体が弱かったものでして、それで、ちょっとムチでしごいてやったら……」
「黙れ! 嘘つきは大嫌いだって言ってるだろう!」
ジェッキンゲンの怒鳴り声は壁に幾度もぶつかって反響し、拡声器を使ったように大きくなっていた。辺りは水を打ったように静まり返った。恐怖に引きつった双子の哀れな表情が、ジェッキンゲンを見つめたまま凍りついている。
「二人とも、そこに並べ」
ジングとニールは言われたとおり、ジェッキンゲンの指差す方に向かって素直に並んだ。両足はガクガクと震え、腹に蓄えられた脂肪がそれにつられて揺れ動いた。
「私の目をごまかせられるとでも思っていたのですか? ヒト族になりすました、醜いイクシム族のお双子さん」
ジェッキンゲンが双子に向かって右手をかざした。次の瞬間、双子の姿は、イクシム族特有の岩のような肌に包まれていた。軍服の所々が引き裂かれ、ゴツゴツとした黄土色の肌が顔を覗かせている。周りからどよめきが起こり、ジェッキンゲンの高笑いが広がった。
「無様ですねえ。ドレイを免れようとしてヒト族に姿を変えるなんて、無様すぎですよ、君たち。差し詰め、私がここを離れてからマープル族の力をこっそり借りたのでしょうけど、君たちの考えそうなことですよね、本当。まあ、そんなことにも気付かないでいた他の兵士たちの間抜けっぷりの方がよっぽど笑えますけどね!」
あの奸悪な双子の正体がイクシム族だったなんて……アーチャとアンジはショックのあまり口がきけなかった。それに、今、ジェッキンゲンは双子に向かって何を施したのだろう? 一瞬にして双子の化けの皮を剥がしてしまったではないか。
双子は返す言葉さえ見つからないようだったが、肩を怒らせて息を荒げているのは確かだった。イクシム族の姿に戻っても、その醜悪そうな表情はほとんど変わっていなかった。
「このまま牢屋に入れるのも惨めですけど、ドレイ服を着させて労働させる方がもっともっと惨めですよね! うん、決まり……んー……そら!」
ジェッキンゲンはぶつぶつと呟き、何か思いついたように指をパチンと鳴らした。その瞬間、双子の着ていた軍服がドレイ服に変わった。しかもなんと、白黒のしま模様が横ではなく、縦に並んでいるではないか……これでは、双子があまりにも惨めすぎる。ジェッキンゲンは満足したようにまた笑った。
「すごくお似合いですよ、二人とも! 今日から君たちもドレイとして心を入れ替え、身を粉にして働きたまえ。この神殿を一刻も早く完成させるために!」
ジェッキンゲンは回れ右をし、少女の肩に手を置いて優雅に歩き出した。アーチャはもう一度しっかりと少女を見ようとした。だが、先ほどのように目を凝らす必要はなかった。少女が自ら、アーチャの方を振り返ったのだ。大人びた綺麗な顔立ちに悲しげな表情を浮かべ、アーチャに助けを求めるように、その鮮やかな緑に輝く瞳をこちらに向けている。
少女を呼び止めようと、アーチャは思わず立ち上がっていた。アーチャの不意の行動に驚いたアンジは、手にしていたパンの欠片をポロリと落とした。
「いきなりどうした? びっくりするじゃねえか」
パンを拾い上げながらアンジは言った。そして、突っ立ったままのアーチャを見て言い添えた。
「……おい、アーチャ。ジェッキンゲンを敵に回すようなことはするんじゃねえぞ。絶対だぞ」