三章 いかれたじいさんと滅びの一族 3
「あのおじいさんって、結局は何だったんだろうな?」
その日の食事時間、アーチャは一人に一つずつ配られた『デンキイモ』にかじりつきながら、アンジにこっそり聞いた。デンキイモは舌がしびれるくらい辛くて、口を動かすのでさえ一苦労だった。
「さあな」
デンキイモを一口で頬張り、鋭い牙の生え揃った強じんなあごでむしゃむしゃと噛み砕きながら、アンジは興味なさげに言った。
「ただ一つ言えるのは、あのじいさんは完全にいかれてるってことだ」
アンジのじいさんに対する無関心さには納得のいく部分もあるが、なぜだか、アーチャはあのじいさんのことが心配で放っておけなかった。
「ゼルに頼んで、おじいさんを牢屋から出してあげられないかな?」
デンキイモの最後の一口を頬張りながら、アーチャは唐突に言った。アンジの胃の中でデンキイモがひっくり返った。
「じいさんの症状が移っちまったんじゃねえか? さっきの状況を思い出して冷静に考えてみろ。あんなじいさんを野放しにしてたらこっちの身がもたねえ。正気に戻れ、アーチャ」
アーチャの頭の中に、アンジの言葉は半分ほどしか残っていなかった。ゼルにどううまく説明すればじいさんを助け出すことができるだろうかと、そのことばかり考えていたのだ。
ジングとニールの大きな体が作業場に現れたのは、ちょうどその時だった。ハイカラなけばけばしい色の服を着こなす、あごの尖った背の高い銀髪の男と、白いワンピースを着た小柄な少女が、双子の巨体に見え隠れして共に歩いている。双子の顔は、アーチャが今までに見たことがないくらいの笑顔だった。
「誰だろう?」
アーチャは呟いた。ちょうど、その周りでのん気に昼食をとっていた兵士たちが弾かれたように立ち上がり、真ん中の男に向かって敬礼したところだった。
「ジェッキンゲン・トーバノア。グレイクレイ国軍事総司令官、ザイナ・ドロ将軍のペットだ。前に一度、ここで見かけたことがある」
珍しくも何ともないと言わんばかりの口調でアンジは説明した。
「その後ろの女の子は?」
「知らないな……いや、ちょっと待て……ばかな」
アンジは平静を失い、いきなり四つん這い姿勢になったかと思うと、前方にあるレンガのうず高く詰まれた所へ移動し、その陰で背中を丸めて身を潜めた。少女をもっとよく見ようとしているようだった。
「マイラ族だ」
ようやく追いついたアーチャに向かって、アンジは震える声でそう言った。アーチャは鼻先で笑った。
「アンジ、お前こそ頭がいかれちまったんじゃないのか? マイラ族は百年も前に滅びた種族だ。こんな所にいるわけない……」
アーチャが目にしたのは少女の後ろ姿だった。純白のたおやかな翼が背中を覆い隠し、しとやかに折りたたまれている。マイラ族である動かぬ証拠だ。
「本物か? あの翼は本物なのか? なあ、アンジ!」
高鳴る胸の鼓動のせいか、アーチャの声は自然と大きくなっていた。だがアンジはそのことを咎めようともせず、アーチャと同じくらい興奮して少女に見惚れていた。ただアーチャと違う点は、それを表に出さないということだった。
ジェッキンゲンと兵士たちの会話が聞こえてきた。二人はとっさに聞き耳を立てた。
「私が留守の間、ちゃんとドレイたちを見ていてくれたんだよね、君たち?」
虫唾の走る喋り方だ。兵士たちは揃いも揃って笑顔だ。
「もちろんですよ、ジェッキンゲン大佐!」
ジングとニールが気味の悪い笑顔のまま踊り出た。
「ご覧のとおり、今は食事の時間でして。ドレイたちにはこうした適度な休憩を与え、腹いっぱい物を食べさせ、睡眠にたくさんの時間を費やすようにと言いつけております!」
ニールが兵士たちの食料を皿ごと引っつかみ、高々と持ち上げた。
「飯をおかわりしたい奴はいるか? 満腹になるまで食べたい奴はいるか?」
なんと珍妙な光景だろうか。兵士が豪勢な食べ物を高々と掲げ、「食べたいドレイは寄っといで」と叫んでいる。この機会をものにしない手はない。
「はーい、はい! まだ食い足りないよ!」
アーチャはやんちゃにはしゃぎながら食べ物を受け取りに行くと同時に、ジェッキンゲンとマイラ族の少女にこれでもかと接近した。ジェッキンゲンの表情はわずかに笑顔だったが、それはアーチャのような弱い立場の者を小ばかにする、冷たい笑顔だった。シャベルのような輪郭に大きな黒い瞳と気取った口元、高い鼻が重なり、より一層性悪そうに見える。しかも、鼻の奥を強く刺激させる香水の匂いが体中から発せられている。
少女はずっと下をうつむいたままだったが、年齢はアーチャとさほど変わりないように見てとれる。今にも泣き出してしまいそうな表情がちらとうかがえた。本当にマイラ族だろうか?
深皿いっぱいの食料を脇に抱えてアンジの元へ戻ると、ジングがジェッキンゲンの目の届かない所で、歯を剥き出しにしてアーチャを睨みつけている姿が見えた。アーチャはおかしくて吹き出してしまいそうになるのを必死でこらえた。
「アーチャ、よくやったぞ」
野菜と肉とパンのご馳走を目の前にし、思わずよだれをすすりながらアンジは言った。周囲にいた大勢のイクシム族たちが、肉の香ばしい匂いにつられて集まり始めた。アーチャとアンジは自分が食べる分だけを取り、余った分はすべて他のドレイたちに分けてあげた。遠くの方から兵士たちの物欲しそうな視線が向けられているのを、アーチャはちくちくと感じていた。