最終章 翼 6
「ファージニアス、なぜわしの前に現れたんだ?」
アーチャはどんよりと重たい空気を吐き出しながら尋ねた。
「知らせるためです」
待ってましたとばかりに、ファージニアスはすかさずはきはきと答えた。
「六十年前、シャヌに助けられたアーチャ、アンジ、マニカ、トナは、それぞれ別の時間の流れに飛ばされてしまいました。時空連盟に勤務する私は、長い時間をかけて彼らを探し出し、事情を説明したのです……今のアーチャのようにね」
「アンジがあんな調子なのも納得だ。……ということは、さっき会ったあの家族はもしや?」
ファージニアスは穏やかに微笑み、うなずいた。
「姉の名はカエマ。弟の名はトナ。そして、母親の名はマニカです」
今日はひどく驚かされっぱなしだったので、アーチャは自分の心臓を心底かわいそうに思った。
「道理で、どこかで会ったことがあるような気がしたわけだ」
アーチャの笑い声はすっかり乾き切っていた。ファージニアスの顔は、またも真剣な表情に切り替わっていた。
「過去において、カエマ嬢だけは、シャヌ嬢の力を持ってしても救い出すことはできなかった。おそらく、グランモニカの力の影響が直接及んでいたためでしょう。時空連盟が総力を上げてカエマ嬢を捜索しましたが、見つけ出すことはできませんでした。……しかし、時間とは不思議なものです」
ファージニアスは夢見るような声を発した。
「どの時間の流れにおいても、心が通じ合う者たちは必ずどこかで巡り合う。だから、この世界において、アーチャとアンジは昔からの古い親友としてその関係を確立させている……もしかすると、時空連盟にも見通すことができなかった“奇跡”が起こるかもしれない」
「奇跡って?」
ファージニアスの答えを聞く前に、アーチャの名を呼ぶしゃがれ声がそれを遮った。声の聞こえた方を見てみると、太い腕を大きく振り回しているアンジの姿がすぐに飛び込んできた。腕の振り回しっぷりを見る限り、かなり憤っているのは明確だ。
「ありがとうな、ファージニアス。お主のおかげで……ファージニアス?」
ファージニアスが立っていたその場所にはもう、彼の影さえ残ってはいなかった。アーチャは人々の雑踏に目を凝らしたが、ファージニアスの姿を見つけ出すことは遂にできなかった。
「一体何やってたんだ?」
アーチャがようやく追いついた矢先、アンジがとげとげしく尋ねた。六十年経っても、時間の流れが変わっても、その性格は相変わらずだった。
「若い頃はいつも俺を引っ張り回してただろ? さあ、早く行こうぜ」
「行くって、どこに?」
アーチャが突拍子な声で尋ねると、アンジの驚き呆れた顔がアーチャを覗き込んだ。
「そのことを忘れちまったのにここまで来たのかよ。大したもんだぜ!」
アンジは感服して目を見開き、大げさに驚く仕草をした。どうやら、アーチャの記憶はまだ完全ではないらしい。
「俺たち、今から歌のコンサートに行くんだろ? 前にチケットを渡したはずだぞ」
アーチャはギクリとしてコートのポケットをまさぐった。すると、右のポケットの中からしわの寄った一枚のチケットが出てきて、アーチャは思わず歓声を上げた。
「そういえば、歌手のウェノア・エルマータが他界してから、歌とは無縁の生活だったのう」
「ウェノアは、俺に“ユーモア”を教えてくれた歌手だ」
歩きながら、アンジは満悦そうに言った。アンジがウェノアの生涯の生き様について語り続けるその傍らで、アーチャは別のことに興味をそそられていた。それは、ポケットの中からチケットとは別に出てきたもう一枚の紙切れだった。紙切れはしっかりと折り畳まれており、かじかむ手でゆっくり広げてみると、どうやら最近の新聞記事らしいということが分かった。日付はアーチャの誕生日と重なる……。
『ザイナ・シュロ将軍の勝利宣言。光爆弾“フラッシュ”をついに解禁』
アーチャは目を疑った。何度も瞬きし、何度も深呼吸を繰り返し、そしてもう一度記事に目を落としてみた。すると……。
『ザイナ・シュロ国王の小粋な気配り。飛行船から銀のチョコレート』
記事の内容はすっかり変わっていた。裏を返してみても、先ほどの記事は見つからなかった……いや、見つからなくて良かったのだ。
「平和っていいもんだ」
アーチャは空にポツンと浮かぶ飛行船を眺め、幸せそうに呟いた。そのすぐ脇を、老夫婦を乗せた農作業用の馬車がゆっくりと通り過ぎ、アーチャたちにほほ笑んだ。
二人は開演時間ギリギリになって会場内に駆け込み、ハアハア、ゼエゼエ言いながら空いている席に滑り込んだ。中は薄暗かったが、来客者たちの多くがヒト族だということはすぐに分かった。中にはピゲ族の団体やイクシム族の夫婦もかいま見え、みな楽しそうな面持ちで会話に興じている。
「ところで、誰のコンサートだったかな?」
アーチャは窮屈そうにコートを脱ぎながら、今ごろになってそれを聞いた。アンジは折り畳まれたリーフレットをかざし、天井から射すほの明るい照明に当てて、字を読み取った。
「『時を超えて……マイラ族による天使の歌声』」
「マイラ?」
静まりゆく会場内で、アーチャはすっとんきょうな声を出した。それと同時に、開演合図のブザーが頭上で鳴り響き、アーチャの声を掻き消した。場内は一寸先さえも暗闇に覆われ、吐息の音さえも聞こえない完全な静寂に包まれた。やがて幕の上がる音が聞こえ、ステージ上のライトが眩く輝いた。
ステージの左裾から姿を現したのは、純白のドレスに身を包み、背中に翼を持つ一人の少女だった。その瞬間、会場中から小さなどよめきが起こり、中には歓喜の声を上げる者もいた。
少女は満員の会場に向かって一礼し、ステージ中央まで歩み出ると、手に持っていたマイクを口元に近づけた。