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最終章  翼  5

 惨劇は風と共に脇を吹き抜け、恐怖は賛美な歌と共に消滅した。

 アーチャがイクシム族の男を目にした瞬間、六十年前の“過去”が今という“現在”に追いつき、そして、寸分の狂いもなくピッタリと重なった。


「……アンジ」


 気付くと、アーチャはその名を口にしていた。まるで、そのイクシム族の男を、そう呼ぶべき者として初めから解釈していたかのように。


「ほら、行くぞ。何ぼさっとしてる?」


 アーチャは半ば呆然としてアンジの横顔を眺めていた。アンジのその口ぶりは、まるで、「お前とは昨日会ったばかり」とでもいうような、軽い調子だった。混乱状態のアーチャを置いて、アンジはどんどん先へ進んでいく。


「待ってくれ……アンジ……ちょっと待って……」


 石畳に足をとられ、アーチャはよろけて転んだ。厚手のコートは無事だったが、膝がひりひりと痛んだ。吹き止まない秋の冷たい風が傷に応えた。


「大丈夫ですか、アーチャ」


 遠い昔に聞き覚えのある、何者かの声がそう尋ねた。アーチャは四つん這いのまま顔を上げ、差し出された手の主を確認した。陽光の影に顔を覆い隠すその人物は、銀髪を肩まで伸ばし、刺激の強い香水の香りを振り撒き、白く煌くような歯を覗かせ、宝石のように輝く瞳でこちらを見下ろしていた。


「ファージニアス……ファージニアスか!」


 腕を支えられ、よろよろと立ち上がりながら、アーチャは狂喜に満ちた声を発した。ファージニアスはとっておきの笑顔でアーチャにうなずいた。その姿は、ユイツと同じ、六十年前のあの日から一秒も時が経っていないかのように若々しかった。


「ようやく思い出したようですね。私たち“仲間”のことを」


「一体どういうことだ?」


 アーチャは荒々しくいぶかった。ファージニアスはアーチャのコートから埃を払い落とし、飽くまでも冷静な笑顔を絶やさなかった。その笑顔が、アーチャを安心させたのは確かだった。


「一から、ちゃんと説明してくれんか? 老いぼれの埃をかぶった脳味噌にもしっかり理解できるように」


 アーチャは落ち着きを取り戻しつつ、平静な口調で要求した。ファージニアスはこっくりとうなずき、サラサラの髪の毛を秋の風になびかせた。


「六十年前のあの日、アーチャを救ったのは一人の少女でした。少女の歌に込められた愛の力が、世界の人々を救うきっかけとなったのです」


「あの歌声……シャヌ……そうだ」


 記憶を一つ一つ掘り起こしながら、アーチャは消え入りそうな声で言った。


「私たちがフラッシュナッシュの行き先を六十年後にセットし直した理由の一つが、アーチャたちに歌を聴かせるためでした。もう一つは、あなた方を六十年後のこの時代に送り込むため。シャヌ嬢の歌が、アーチャたちを救うことは分かっていました。今アーチャがこうしていられるのも、すべてフラッシュナッシュとシャヌ嬢の力のおかげなんです。二つの力は結束し、希望を糧とした者たちに生きる時間を与えた。そうして、この六十年後の世界へ、人々の意志は送り込まれた」


「シャヌは? シャヌはどうなったんだ?」


 喉を枯らしながら声を張るアーチャを、傍を通り過ぎる通行人がじろじろと振り返った。老いぼれじいさんと道化師のようなけばけばしい風貌をした男が真剣な表情で話し込んでいるのだから、それだけでも振り向く価値はあっただろう。


「アーチャも知っての通り、シャヌ嬢はあの時間の流れにいるべき存在ではなかった。六十年後のアーチャを助けるという使命を果たした彼女は……」


「そうか……そうだったな……もうよい」


 アーチャは肩を落とし、腹の底から深々とため息を吐き出した。


「わしのシャヌを信じる心は、まだまだ腐っちゃいない。だから、わしの粗末な命に代えてシャヌを守ってやれるのなら、どんなことだってする覚悟はできておる」


「ヘイ、アーチャ。そう落ち込まないで」


 ファージニアスはあの優雅な調子を取り戻し、アーチャの肩をポンと叩いた。


「ここは、前の世界とは異なった時間の流れなんですよ。多くの血族が共存するこの世界において、マイラ族は今現在も尚、確かなものとして存在しているのです」


 ファージニアスを見つめるアーチャの瞳が、彼の白い歯の輝きと競い合うようにしてキラキラと輝いた。


「それじゃあ、もしかしたらシャヌはまだ……」


 アーチャはファージニアスの表情が曇るのを見て、思わず口をつぐんだ。


「シャヌ嬢が生きたのは百六十年も前の時代です。今はもう……」


 アーチャは再びがっくりと肩を落とした。


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