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二十一章  愛の歌  2

 その瞬間、アーチャの視界は全てを飲み込む眩い白銀の光に覆われ、目の前に際限なく広がっていた凄惨な世界を光だけの奇妙な空間に変えた。アーチャはその時、自分たちは脳天に落雷を受けたんだと、そう確信した。そして、シャヌが発動させた何らかの魔法のおかげで命拾いできたのだと、そうも確信した。だが結局は、そのどちらも正解ではなかったらしい。

 なぜなら、次の瞬間にはもう、雲一つない青空と空っぽの大地に姿を変えていたからだ。


「ここって……」


 地平線の向こうを漠然と眺めながら、アーチャは静かに呟いた。

 そこは、かつてアーチャとシャヌが訪れた、フラッシュによって壊滅させられた六十年後の未来だった。その只中で途方に暮れるじいさんの姿を、アーチャはまだ鮮明に覚えている。


「アーチャ」


 誰かがアーチャの名を呼んだ。後ろを振り返ると、そこにじいさんが立っていた。アーチャそっくりの熱い眼差しでこちらを見つめている。


「あなたが六十年後の俺自身だったなんてな……でも、そうだったらいいなって、思ってたんだ」


 アーチャは複雑な心境で言った。


「例え頭がボケても、鏡の中の自分にだけは話しかけまいと肝に銘じておったんだがな」


 じいさんは言葉の一つ一つに皮肉を練り込んでそう言った。消えかかっていたはずの体は、何事もなかったように明瞭な輪郭を保っており、もうそのきゃしゃな体を通して向こうの景色を眺めることもできなくなっていた。


「その……ちょっと聞いていいか?」


 アーチャは自分自身に対して遠慮がちに尋ねてみた。


「俺に六十年分の知恵を貸してほしいんだ。時空連盟の残していった道具を使わずに、俺たちが俺たち自身の未来を歩み続ける方法を、教えてくれ」


 アーチャは言いながらも、『なんて難解な質問だろう』と自分で感服する始末だった。しかも、未来の自分に向かって話しかけるなんて不思議な感覚だ。

 じいさんの表情が柔らかな笑顔に変わった。


「お前がその答えを求める必要はない」


「どういうこと?」


 アーチャはいぶかった。じいさんは目を閉じ、首を横に振るばかりだったが、やがて重々しく口を開いた。


「シャヌがその答えを教えてくれる。ついさっき、未来から届いたあの歌を聞いただろう。お前にも分かるはずだ……あの美しい歌声がシャヌのものだということくらい」


 アーチャは大きくうなずいてじいさんを見た。


「シャヌの歌声は、マイラ族の力によって、過去へ、そして未来へと響き渡った」


 じいさんは夢見るような口調で続けた。


「六十年後の未来で、なぜわしだけがフラッシュの猛威から生き残ることができたのか……それは、そこに愛の力があったからだ。シャヌの歌に込められた愛が、わしの命を救ってくれたのだ」


 不意に、じいさんはクスッと笑った。


「ジェッキンゲンは一つだけ、わしらに素晴らしい存在を残してくれた」


 じいさんの口元に深いしわが刻まれた。


「もしかして……シャヌのこと?」


 アーチャはじいさんの微笑みに向かって聞いた。


「時は繰り返す……人々の過ちを乗せて」


 じいさんは続けた。


「わしはシャヌの歌によってフラッシュから守られ、その力はわしを六十年前のこの時代へと誘った。海底でジェッキンゲンがわしの存在に興味を持ち、作業現場を訪れていなければ、お前とシャヌは出会っていなかっただろう……そうして時は繰り返し、同時に未来は朽ちていく……人々の過ちと共に。しかし……例えこの世界が滅びようとも、我々の存在は生き続ける。この時間という不滅の流れの中で、永久に生き続けるんだ……さあ、行ってやれ。シャヌが待っておる」


 じいさんは右手に広がるのっぺらな荒野へと視線を流した。青々とした晴れ空の下、二人のアーチャに向かって小さな笑顔を見せるシャヌの姿が遠くにあった。


「ここって、六十年後の未来……だよな?」


 シャヌのそばへ駆け寄るや否や、アーチャが当惑じみた声で聞いた。


「他のみんなは? 俺たちだけここに来ちゃったのかな?」


「みんなは……いない」


 シャヌの表情から笑顔が消えた。アーチャはシャヌの視線の先を目で追った……じいさんがいなくなっている。


「ここは私たちの記憶の中。最後に、アーチャと話したかったから、フラッシュナッシュの力を借りて記憶を具現化させたの。……だから、ここを知らない人は決して立ち寄ることができない。見ることも、感じることもできない」


 アーチャは、抑揚のない声で話し続けるシャヌを怪訝な表情で見つめていた。明らかにいつもと様子が違う。


「何か知ってるのか、シャヌ?」


 シャヌの顔を覗き込みながらアーチャが聞いた。とっさに、訴えかけてくるようなシャヌの瞳がアーチャを見つめ返した。


「私という存在がどうしてこの時間の流れに留まっているのか……私、その本当の理由を見つけたの」


「本当の理由……?」


 アーチャはシャヌの口からその“理由”を聞きたくなかった。聞いてしまったら、シャヌがどこか遠くへ行ってしまいそうでとても怖かった。そんな一心から、アーチャは無意識の内にシャヌを強く抱きしめていた。


「理由なんかもういい……ずっと一緒にいよう。君を失いたくない」


 シャヌは泣いていた。アーチャの胸に顔をうずめ、声を押し殺して泣いていた。


「だめ……だよ。だって、私が勇気を出さなきゃ……アーチャ、死んじゃうんだよ」


「それでもいい……それでもいいから! だから……」


「アーチャ、前に言ってくれたよね」


 腕の中で、シャヌが嬉々とした声でそう言ったのをアーチャは聞いた。


「私に救われる命が、きっとどこかにあるって……その時を待ってるんだって。……六十年後のアーチャを助けることが、私に与えられた最後の使命だったんだよ。私の歌が、アーチャをフラッシュから守る大きな力に変わったんだよ」


 アーチャの腕から力が抜け落ち、シャヌの肩を滑って宙を漂った。もうシャヌの意志が揺らぐことはないだろう……そう判断した瞬間だった。


「きっと、シャヌなら……」


 アーチャは心の底から搾り出すような声でそう言った。そうでもしないと、ぐっとこらえていた何かが声を詰まらせてしまいそうだった。


「シャヌなら、俺だけじゃなく、もっとたくさんの命を救えるはずだ。俺、シャヌを信じてる。すべてうまくいったら、一年でも十年でも、百年でも……ずっと君を待つよ。シャヌが帰ってきてくれるその時まで、ずっと……」


 アーチャはもう、それ以上喋ることができなかった。それは、二人の唇がそっと重なり、束の間の愛を分かち合ったからなのかもしれない。あるいは、シャヌの美麗な姿態が宙を舞っていたからなのかもしれない。

 今のアーチャには、そのことを考えている余力さえなかった。青空を背にして翼を揺らめかせるシャヌの姿はとても美しく、陽の光を浴びて眩いばかりに煌く様は、アーチャの心を魅了するほどだった。

 微笑みかけるようなシャヌの瞳が、アーチャをまっすぐに見据えていた。


「アーチャ……ありがとう」


 翼が左右に広がり、風を巻き込んで大きく羽ばたいた。次にはもう、シャヌは大空へと舞い上がり、アーチャの視界からあっという間に消え去ってしまっていた。アーチャは黙ったまま天を仰ぎ続けた。それは、雲一つない青空が、元のどす黒い黒雲の色に戻っても同じだった。荒廃しきった街の真ん中で、アーチャはただ一人、深い闇に向かって翼を羽ばたかせる一人の少女の勇姿を、ずっと見守っていたのだった。


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