二十一章 愛の歌 1
「さあ、次は俺たちの番だ!」
カエマの姿が闇に溶け込んで完全に見えなくなった後、アーチャは吹っ切れたように意気込んだ。
「今か、未来か。生か、死か……」
アンジは多少の鼻声で呟いた。暗くてよく見えないが、その目には涙が溜まっていたはずだ。
「そうね。私たちも選択しなきゃ……自分の未来だもんね!」
シャヌは涙をぬぐいながら笑顔で言った。それに合わせてアーチャがうなずいた。
「しかも、もう本当に時間がないみたいだ……ほら」
アーチャはファージニアスたちが残していった装置をあごで指した。未来へ運んでくれるその金色の光は、時折チカチカと明滅し、箱型の装置は「ビッビッビッ」という不気味なノイズを響かせている。
続いて、アーチャは空に向かって親指を立てた。新世界の大陸が、先ほどよりも遥かに大きく、それでいて風を巻き込む低いうなり声と共に、地上を目指してどんどんと降下してくる。水平線の上空に漂う大陸が稲光に照らされ、そのおかげで山の連なる輪郭を明確にとらえることができた。これらはやはり、新世界を築くための“パーツ”だったのだ。
「何か聞こえないか? ほら……」
アンジがやにわにそう言った。口に人差し指を当てがい、耳を澄ましている。アーチャやシャヌ、マニカ、トナ、じいさんまでもが耳を澄ませた。聞こえてくるのは霹靂と風の轟音だったが、やがてアンジの耳にしたその音を誰もが聞いた。いや、ただの音ではない……歌だ。
「ここから聞こえてくるみたいだ……」
アーチャはフラッシュナッシュから放たれる微弱な光を覗き込みながらそう言った。
「この先はたしか、六十年後の未来に……」
それは、シャヌが言いかけた時だった。今までずっと沈黙していたじいさんがヨロヨロと進み出たかと思うと、震える指先全部を前に突き出して目を輝かせた。ゼルを英雄だと発言した、あの時のじいさんの面影がかいま見えた。
「もしや……これは……」
次いで、じいさんは酔いしれるような声を発した。表情全体が爛々と輝き、二十歳は若返ったように見える。
「じいさん、この歌知ってるのか?」
唖然とした表情でじいさんを見つめながら、アンジが聞いた。
「この歌……俺も聞いたことあるよ」
アーチャは自分の発声で歌の邪魔をさせまいと、小さな声で囁いた。
不思議だった。死の淵に立たされているというのに、この歌声を聞いていると、死への恐怖、苦しみ、絶望感さえも、すべて生きる希望に変えることができた。そして、現実に立ち向かう勇気を得ることができた。
歌が段々とはっきり聞こえるようになってきた時、アーチャはじいさんの体を通して向こうの景色を望んでいる自分に気がつき、夢の世界で強烈なビンタを喰らったような衝撃にかられた。そして、次の瞬間にはもう叫んでいた。
「おじいさん! 体が……」
映写機に映し出される登場人物の一人にでもなったかのように、じいさんのきゃしゃな体は淡い光に包まれ、水のように透き通っていた。当人のじいさんは、それが当然だと言わんばかりに冷静で、顔色一つ変えはしない(もう今となっては、その表情を読み取ることさえ至難の業だと断言できた)。
「どうやら、未来からのお迎えが来たみたいだ……」
じいさんが言った……のだろうか? 今までとは、喋り方も、雰囲気も、どこか違う。
「お迎えって……ここにいる理由が……なくなったってこと?」
アーチャは動揺を隠しきれていなかった。首を横に振るじいさんの平静な態度は、アーチャとは両極端なものだった。
「さっきファージニアスが言っとっただろう……自分をよく知る過去の時間へと赴くなら、これといった目的も、夢も、希望も必要ない。己の存在は、過去の時間を生きた己自身によって確立されるからだ……と」
じいさんは、薄れゆく自身の体に急かされるように早口でそう説明した。
「わしはな、アーチャ。愛の込められた美しい歌に命を救われ、六十年も前の過去へとやって来た。それは、失った記憶を取り戻すためでも、過去に置いてきた悲惨な事実を思い出すためでもない……おぬしとシャヌを巡り合わせるために、わしはこの時代へとやって来たんだ」
じいさんから発せられる声も、どこからか聞こえる美麗な歌声も、アーチャたちの目の前から、その体と共に消滅しつつあった。じいさんが優しく微笑むのを、全員がその目でしっかりと見た。
「シャヌ……君は賢い子だから、大方の察しはつくだろう。君は、君に与えられた最後の使命を、ようやく果たす時が来たんだ。シャヌがその使命を終えた時、わしの存在はアーチャ・ルーイェンとして完結し、この時間の流れから姿を消す」
歌が……途絶えた。