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三章  いかれたじいさんと滅びの一族  1

 アーチャとアンジが共に行動するようになってから四日が過ぎた。いつの間にか、暴行による傷の痛みも薄れ始めていた……あの日以来、アーチャの周りでは小さないざこざさえ起きず、過酷な労働と少なすぎる食事を除いては、特に問題なく時間が過ぎていった。だが、それは少なくともアーチャの周りだけの話だ。

 兵士たちによる体罰は幾度となくアクアマリンのどこかで繰り返されており、何より最も性質が悪いのは、彼らが“情け”という言葉を知らないという点だった。どこかで暴力が始まれば、『お豆』に群がるイクシム族のように、兵士たちはたちまちその臭いを嗅ぎつけて加勢する。そうして弱ったドレイは、アーチャのように簡単な手当てを受けて作業場に戻されるか、そのまま実験の材料になるかのどちらかだった。

 ジャーニスからは音沙汰なしだった。労働開始時刻に聖地で見かけはするものの、話し掛けられるような雰囲気ではない。私語が見つかればほんの一秒でムチが飛んでくる上、その内容はアクアマリンからの脱走を示唆するものだ。時と場所を厳選しなければならないことは、アーチャにだってよく分かっている。

 もし、ジャーニスが教えてくれた脱走計画の話が真実で、首尾よく事が運べば、それはアーチャにとって願ってもないチャンスだ。いや、アーチャだけではない。あわよくば、アンジや他の大勢のドレイたちだってこのアクアマリンから脱出できるかもしれない。


「前にも言っただろう」


 ノッツ族が深い眠りに落ちた夜遅く、アンジは小声で、だがはっきりとそう言った。それは、アーチャが脱走計画の真相を語った夜のことだった。


「長生きしたいならあいつらとは関わらない方がいいって。ルーティー族の血が混じったヒト族なんて、精紳不安定のいかれ狂ったヘンタイに決まってる」


 アンジの反応は、アーチャの予想を遥かに上回るほどひどいものだった。特別な間柄になった今のアーチャでさえ、アンジの断固とした意志を根本からくつがえすことはできなかった。


「とか何とか言って、本当は計画に参加するのが怖いんじゃないの?」


 こう見えて、アンジはなかなか頭の切れる男だ。アーチャの挑発に乗るような無駄はしない。


「計画に参加するジャーニス以外の二人って誰なんだ?」


「一人はコッファっていうノッポで、ちょっと田舎くさい感じの男。もう一人は病気がちなジクスって男。みんなルーティー族だ」


 アーチャは、アンジにもっと興味を引かせようと、疑念を抱かせるような言葉の並べ方をした。


「病気がちって?」


 そら来た。


「体調が悪くて寝たきりだって聞いたけど……詳しいことは分からないよ。なあ、アンジ。今度は俺と一緒にジャーニスのところへ行ってみないか? その機会があればの話だけど」


 そんなことはわずらわしいとばかりに、アンジは天井を向いてあくびを一発吐き出した。


「もう寝よう、アーチャ。俺は今日もクタクタだ」


 その日から更に二日が経った、まだ眠気の残る朝のこと。しばらくは安泰だったアーチャの身に、予期せぬ事態が舞い込んできた。事の起こりは、アーチャがいつものようにアンジの隣で目を覚ました、その時だった。


「おはよう」


「……おはよう」


 ランプの眩い明かりから目を逸らしながら、アーチャは誰かと挨拶を交わした。相手は老いぼれたガラガラ声だ。アンジの声に似ているが、わずかに違う。アーチャは辺りを見回した。暖かそうな毛皮のコートに身を包み(ツルツルの頭は見るからに涼しげだが)、顔中にしわを寄せた謎のじいさんが、アーチャをボーッと眺めて座っている。挨拶を交わした相手が誰なのか、まるで分かっていない様子だ。またそれは、アーチャも一緒だった。


「あんた、誰?」


 アーチャは思わず聞いた。その身なりから、アクアマリンに不適当な人物であることは明らかだ。


「わしは……その……あの……だが……つまり……しかし……であるからして……ようするに……そうそう、じいさんだ」


 いかれてる。アーチャは確信した。いかれてるんだ、このじいさん。


「おじいさんだってことは見れば分かるよ……」


 半ば苛立ちながらアーチャは言った。その時、アンジがやっと目を覚ましてくれた。のっそりと半身を起こし、寝ぼけ眼で二人を交互に見つめている。


「おはよう」


 じいさんが一本調子で言った。アンジは体をブルッと震わせた。目は見開かれ、口は半開きだ。


「アーチャ、一体どこの誰なんだ?」


 アンジは不快を露にして聞いた。また面倒なことになるなあ、という口調だった。


「アンジ。こちら“じいさん”。きっと、どっかの老人ホームで問題を起こして、ここに連れて来られたんだ」


 言い終わると、アーチャは自分の頭を突っつき、首を横に振った。アンジは少しだけ理解したようだった。


「じいさん、名前は? いつ、どこから来た? ドレイ服はどうした? 俺の言ってる意味、分かるよな?」


 アンジはぶっきらぼうにまくしたてた。じいさんは言葉を一つ一つ理解するのに時間がかかっているようだった。


「名前は……そうそう、じいさんだ」


 しばらくして、じいさんはやっとそれだけを答えた。アンジはこの時、アーチャの送ったサインをようやくすべて承知できた。このじいさんはいかれてる。


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