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二十章  アーチャの選択  1

 光の命がジェッキンゲンを包み込んだその瞬間、純白の閃光が矢となって周囲に拡散し、アーチャたちの全身を貫いていった。無数の光の矢は一瞬にして大海を越え、黒雲という分厚い闇の天井にぶつかって掻き消えた。

 その数秒後、アーチャは右腕で自らの顔を覆い、左腕でしっかりとシャヌを抱き寄せている自分に気がつき、同時に、生きていることを実感した。

 顔を上げるとそこには、暗闇の中に溶け込む凄惨な光景が広がっていた。墜落した戦闘機の破片が赤黒い炎を上げ、街を横断する光の傷跡の向こうには兵士たちの亡骸が覆い被さるようにして横たわっている。瓦礫の中に埋もれたイクシム族の体はピクリとも動かず、誰とも区別のつかない血痕が川のようになって地を流れ、乾いた大地を紅色に染め上げている。

 その街並みは以前と変わらぬ深閑な空気を漂わせていた。だが、地上では強風が吹きすさび、稲妻は雲の中を疾駆し、黒雲の落とす暗黒の影は今や全世界を覆い、人々の希望を絶望へと変えていた。

 アーチャはその只中で、本当の敵は神殿の頂きからすべてを征するグランモニカであることを再認識し、世界に待ち受ける史上最悪の瞬間をその眼で察した。天にそびえる黄金の神殿を見つめる、その二つの眼で。


「この時間の流れにおいて、僕の役割は終わりました」


 気配も無く歩み寄るなり、ユイツは出し抜けに言った。


「ジェッキンゲンは死に、グランモニカの計画はとどこおりない。それに君たちは、未来を見ることができた……。あとは、時の終わりを迎えるだけだ」


 ユイツが何を言いたいのか、三人には分からずじまいだった。互いに怪訝な顔を見合わせ、返す言葉も見つからないうちに、ユイツは踵を返して三人から離れていった。向かった先は、地面に横たわるゼルのところだった。


「大丈夫。まだ息はある……かろうじて、だけどね」


 後を追ってやって来た三人に……特にアーチャに向かって、ユイツは言った。どうしてこんなに冷静でいられるのだろうかと、ユイツの態度を見ていてアーチャは不思議に思った。


「……終わったのか?」


 案じ顔で覗き込むアーチャに向かって、ゼルはしぼり出すような弱々しい声で聞いた。表情は青ざめ、潤んだ瞳はまっすぐにアーチャを見つめたまま据わっている。


「終わったよ……終わったんだ。……さあ、もう喋らないで」


 アーチャは気分を落ち着かせるような静かな声でそう言い、ゼルの肩に手を置いてそっと微笑んだ。ゼルは眠りにつくような安堵した表情でまぶたを閉じ、口元に柔らかな笑みを浮かべた。

 その時、雷の遠音とも突風の風音ともとれない、微かな音の響きが鼓膜に伝わり、アーチャたちは音の聞こえる方へ一斉に顔を向けた。ファージニアスが飛び出してきた溝の辺りから聞こえてくるようだった。


「……チャ! アーチャ!」


 それは聞き覚えのある子供の声だった。アーチャは連呼される自分の名前の出所を目指して足を進め、溝の中の暗がりに目を凝らした。声は段々と大きくなり、やがて、その声の主がトナだということが分かった。


「アーチャ! こっち、こっち! ここから出して!」


 アーチャは四つん這いになって溝の中を覗き込んだ。土の壁を打ち鳴らすトナと、その足元でうずくまるマニカ、そして途方に暮れたような表情のじいさんがそこにいた。


「今出してやる! アンジ、手を貸してくれ」


 アーチャとアンジが二人がかりで三人の救出を試みると、数分後には無事、全員溝の中から這い出ていた。トナ、マニカ、じいさん……三人全員が、激しい泥んこ遊びでも繰り広げた直後のように、服も顔も土だらけ、泥だらけ、傷だらけだった。


「どうしてこんな所にいたの?」


 シャヌが聞いた。


「ファージニアスだよ!」


 トナが熱っぽく答えた。


「僕たち、ファージニアスに連れられて街まで来たんだけど、途中で兵士たちが逃げ出していくのを見つけたんだ。お母さんはアジトまで引き返そうって言ったんだけど、ファージニアスったら、どうしても聞かなかったんだ……あいつがいるからって」


 トナはここまで一気に説明すると、突然うつむき、何事かを考え始めた。きっと伝えるべき内容を思い出しているんだなと、アーチャは思った。その証拠に、トナは何か思い出したように不意に顔を上げ、また早口で話し始めた。


「この穴にこっそり飛び込んでから、僕たち、ジェッキンゲンの姿を見たよ。丸い乗り物に乗ってたよね? ファージニアスはずっとジェッキンゲンを見上げたまま、僕にじっとしてろって言うんだ。だから僕、おとなしくしてた。そしたら、大きな剣がいきなりおじいちゃんの上に落ちてきて、おじいちゃんはもう少しで頭を真っ二つにされるところだった」


 トナは呼吸を整え、小休止をとると、また説明を再開させた。少し休んだおかげか、その口調は輪を掛けて早くなっている。


「ファージニアスはその剣を見て、何かひらめいた。ポケットからスイッチのたくさん並んだ小さな機械を取り出して、凄い速さでそれを打ち始めたんだ。後ろから覗き込もうとしたけど、その時にはもうポケットの中だったよ。そうしたらファージニアス、今度は剣を持って外へ飛び出していった。それからすぐ、ジェッキンゲンの叫び声が聞こえて、その……僕は怖くなかったけど、お母さんが心配だったから、一緒にくっついて空を見上げてたよ。僕、雷は平気なんだ」


「ファージニアスさんは無事なの?」


 トナが喋り終わるのを待ってマニカが聞いた。虚ろな瞳がアーチャを見つめている。


「ファージニアスは……死んだんだ。ジェッキンゲンにやられた」


「でも安心しろよ!」


 トナとマニカの顔がそっくり同じに驚嘆したのを見兼ねて、アンジが空元気に声を張り上げた。


「カエマはきっと無事だ。グランモニカは、カエマに手出しするような雰囲気じゃなかった。だから……絶対に帰ってくるさ!」


 カエマを守りきれなかったことを遠回しに詫びているのだなと、アーチャには何となく分かった。だがアンジの心意気も空振りで、むしろ余計に二人を不安がらせてしまった。


「あの神殿に、グランモニカとかいうマープル族と一緒にいるんでしょう? その人のことはファージニアスから聞いたわ。とても恐ろしい計画を企ててるって……でもそれくらい、私にも分かってた。神殿から黒い雲が噴き出した時、とても不吉な予感がしたもの」


 マニカの表情が漆黒の空にも劣らぬほどどんよりと曇った。かつては美麗な姿を保っていたブロンドの髪の毛も、今や砂混じりの強風にさらわれ、見るも無残に痛めつけられている。

 アーチャはもう、こんな姿のマニカを見ていられなかった。二年前、まだあどけない二人の幼子を連れ、お金どころか寒さをしのぐ毛布さえ持たず、素足のままグレア・レヴへやって来たマニカのことを、アーチャはこの中の誰よりもよく知っていた。

 とても仲の良い親子だった。お金がなくても、一日満足に食べられる食料がなくても、それでもそこには笑顔が絶えなかった。そしてその笑顔の奥に隠されていたのは、溢れ出しそうなほどの悲しみや、苦しみや、寂しさだった。ジャーニスの最期を見届けたアーチャだからこそ、あの時マニカが見せた笑顔の本当の意味が分かるのだ。


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