十九章 黒雲 4
「どういう意味だ?」
アンジはアーチャとシャヌの後ろから声を張り上げた。言葉と一緒に、身に巣くう恐怖さえも吐き出してしまおうとしているみたいだった。
「これから先、たくさんの国々が殺戮の兵器を持つようになり、世界は『絶対の権力』という名の欲望に飲み込まれていった。そして、ヒト族同士の巻き起こした世界戦争が勃発し、多くの血族が死滅した。百年後の未来から……希望という言葉が消えた」
ジェッキンゲンは目を見開き、顔中に気味の悪い笑顔を浮かべて三人を見回した。
「私は戦争によって腐敗した世界から逃れるため、二百年以上前の過去へとさかのぼった。そして、消滅寸前のマイラ族の浮遊島から一人の赤子を奪った……両親は赤子の名を叫びながら私を追ってきた……私はタイムトラベルの装置をセットし、マイラ族を滅ぼすフラッシュが島を襲うのを待った……事実どおり、島は謎の光によって消滅し、私はその光の力を借りてこの時代へやって来た。当時私には、時空連盟から逃れられるだけの強い力が必要だった。そして、従順な赤子を一から手なずけることで、マイラ族の持つ強大な魔力を利用しようと考えた……十六年後、その計画は完全な失敗に終わった」
アーチャはまっすぐにジェッキンゲンを見上げたまま硬直していた。そして、海底でマイラ族の少女を見つけた時のあの興奮が、再び体中を駆け巡った。根が生えたように動こうとしない足の裏から正常に動作しない頭の中まで、まるまる全部だ。
アーチャは、シャヌがあまりに不敏で、彼女の横顔さえ見ることができないでいた。どう声をかけたらいいのか、それさえも分からずじまいだ。
「本当は……そうじゃないかって、ずっと思ってた」
その言葉に魔法でもかけられていたかのように、アーチャのコチコチだった体は正常に戻り、首を振ってシャヌを振り返ることができた。
「海底でグランモニカの話を聞いてから、ずっと……」
「……グランモニカ」
ジェッキンゲンは呟き、遥か上空に浮かぶ黄金の神殿を仰いだ。
「アーチャ・ルーイェン……私の心は激しい怒りに満ちている。お前と出会ったことで、順調だったはずの私の計画が徐々に崩れ始めたからだ」
虚ろな表情で神殿を見上げたまま、ジェッキンゲンはくぐもった声で続けた。
「ゼル・スタンバインを丸め込んでシャヌを連れ去り、私の手駒だったグランモニカまでお前に手を貸す始末。終いには、ユイツなどという得体の知れない小僧まで現れた。……なぜだ? なぜ私に噛み付く? なぜ強者に従おうとしない? なぜ運命を受け入れない? 時をも制圧する私の力に、なぜ誰も屈しない? ……私は自らに問い、やがてその答えを得た」
球体の正面部分が内部に落ち窪み、左右にゆっくりと割れた。中から淡い光に包まれる、絢爛な輝きを放つオーブが現れた。だがアーチャは、目を細めなければならないほどの美しさにまばゆくその光輝が、まさに死を呼ぶ光だということを知っていた。
「世界を征服することがその答えだとでも言いたいのか?」
徐々に美しさと輝きを増していくガラスのオーブをちらちらと伺いながら、アーチャは上ずった声で聞いた。背後からアンジの嘆きが聞こえ、それは確かに「落ち着け、はやまるな」と聞き取ることができた。
闇に溶け込むような、おどろおどろしいジェッキンゲンの眼光がアーチャを捉え、静かに見据えた。
「時間、空間、光……当たり前のように存在し、常識として周知されているこれらを、世の本当の恐怖として認知する者に、支配など必要ない。なぜなら、その者たちは私と同じだからだ。時間による束縛、空間による閉塞、光による幻影……それらがみな、恐怖そのものであることを、私と同様、彼らは知っている。そして、どうしようもない絶望感で心身が満ちた時、私はある答えを導き出した」
ジェッキンゲンは自らの体を見つめ、酔いしれるような声で続けた。
「強い存在を支配するには、それ以上の力が必要だ。そして、その絶大な力がすぐ目の前にあったことに、私は気付いた。時空を超越し、光を手にすることのできる存在……この殺戮機械こそ、私の理想としていた答えそのものだった」
黒雲が水平線の彼方まで広がり、わずかに残されていた残照のかけらをも飲み込んだ。闇の中からこだまするジェッキンゲンの声は次第にその声量を増し、淡いオーブの光を受けて英気を得た。
「この殺戮機械を完成させるために、我々国軍は数々の生体実験を繰り返してきた。どの種族の血が最もふさわしく、どの種族の体が最も順応するのか? 複数の血を組み合わせ、エネルギー源として適したものを抽出しようとしたこともあった……だが、どれも失敗に終わった。あの当時、シャヌの存在がどれほどいとおしかったことか……だがその点においては、アーチャ、君に感謝すべきだろう。シャヌの生体実験が行われていれば、私は間違いなくそこで満足していただろうから。この世において、マイラ族、ジャーグ族をしのぐ最強の種族が何なのかを知ることもなく……」
ジェッキンゲンの空虚だった瞳の奥に嬉々とした輝きが戻っていた。その奇怪な眼差しで三人を見つめ、並びの良い白い歯が優越そうにきらめいた。
「私が求め、殺戮機械が待ち侘びたその存在こそ、ヒト族という最も身近な種族だった。私は自らの体を機械化させ、殺戮機械を我が身に取り込むことに成功した。誰もが隠し持つ貪欲な心、他人をねたむおぞましい憎悪、弱者を支配する束縛……こいつは、そのすべてを受け入れてくれた! 私はこの世界において、最も強い存在として君臨することができた!」
オーブが今までで最も強い光りを放ち、アーチャたちの目を焼いた。身をかがめる直前にアーチャが見たのは、天に向かってまっすぐ放たれるオーブからの光線だった。深い闇を切り裂くようにして放たれた光芒は、宙をさまよう黄金の神殿に真っ向から直撃した。
アーチャは、まだまともに機能しないままの目を酷使して光の筋を辿り、その先端が神殿の手前まで続いているのを確認した。神殿の周囲には何やら結界のようなものが張られていて、青々とした光の幕が円形状に輝いている。神殿は結界によって厳重に守られ、光は西の空へと跳ね返された。
「結界……? なるほど、踊り場の術式はこのためか」
ジェッキンゲンは悔し紛れに舌を打った。
「ならばこれならどうだ……時をも消し去る極上のフラッシュ……ヒヒ……」
狂ったようなジェッキンゲンの独り言が続いた。
「私が最強であるために、グランモニカ……お前の存在は私の手によって滅ぼされる。廃れた未来を変えるべき者として……万物を支配する最強のヒト族として!」
ジェッキンゲンのすぐ背部の外殻が空へ向かって押し上がり、球体はみるみるうちに変形していった。アーチャが見たのは、ボディを構成していた金属が液状となり、まるで意思を持って動いているかのようにうねうねと変貌していく驚異的な光景だった。完全な円を形成していた殺戮機械は今やその原型をとどめず、面影さえ残っていない。
アーチャたちが目の当たりにしたのは、どんな反撃の手段にも耐えしのげそうなほど立派な白銀の砲台だった。煙突のように太い砲口が天へ向かって伸び、その根元からは先ほど同様、ジェッキンゲンの体が半分ほど突き出していた。砲台の下部は鉄製のかたびらでぐるりと覆われ、まともな足場を探して宙を流浪している。
「どうすることもできねえのかよ!」
アンジは歯がゆそうに地面を蹴った。
「このままじゃカエマが……」
アーチャが己の無力さを痛感させられたのは、これで何度目だろうか? 打開策を考えてみるものの、出てくるのは腑に落ちないため息ばかりだった。