十九章 黒雲 3
兵士たちの狂喜の叫びは恐怖の叫びに変わっていた。多くの者が撤退し、街を飲み込まんばかりのクレーターの縁に沿って並ぶ軍の装甲車へ我先にと駆け込んだ。足音が地鳴りとなって響き、砂埃を舞い上げた。アーチャはうっすらと目を開け、視界いっぱいに広がる砂の靄を通して向こう側の光景を見つめた。
目の前でメラメラと燃え盛っていたはずの炎が消滅していた。代わりに、地面が大きく半円状にえぐられ、干上がった川のようになって街を横切っていた。深さは大人のイクシム族ほどもあり、滑らかな弧を描く輪郭は底の方まで続いている。その空間にいたはずの者、家屋、戦闘機の残骸、炎、石ころ、空気でさえも、機械から発せられた光に飲み込まれ、荒野へと続く長い傷跡だけを残し、跡形もなく消滅していた。
「ジャーグの翼を焼き切った、あの光だ」
アーチャは身を伏せたままか細い声で言い、膝に手を当ててよろよろと立ち上がった。シャヌもアンジも無事だった。
「こっちへ来る……」
アーチャの手を借りて身を起こしながら、シャヌは囁くように言った。シャヌの言うとおり、殺戮の球体は自らが作り上げた荒地の傷跡を辿るようにして、段々とこちらへ近づいてくる。やや前方に傾き、上部の翼が一際大きくはばたくと、速度を増した。
「本当に逃げた方がいいんじゃねえか?」
アンジはじりじりと後ずさりながら声を震わせた。アーチャは冷静に首を振った。
「光からは逃げられない……それに……」
「あの中にジェッキンゲンがいる……そうよね?」
アーチャは声の主を振り返った。決然とした眼差しで球体を見つめる、シャヌの姿がそこにあった。
「逃げずに立ち向かって、正しいことが何なのかを、私たちが証明するんだよ……目を逸らしちゃいけない現実と戦わなくちゃ」
「そうだよな!」
アーチャは大げさにうなずき、迫り来る殺戮機械なんかへっちゃらだとでも言わんばかりに明るく振舞った。アンジの口がポカンと開いた。
「俺たちがやらなきゃ、誰がやるんだ? 結果がどうであれ、少なくとも、俺たちは答えを見失わなかった。そうだろ? 正義を掲げて戦うんだ。例えその相手が、こんな怪物だろうとな……」
威圧的な雷が明滅する蛍光灯のようにチカチカと光り輝き、耳をつんざくような轟音が雨のように降り注いだ。炎と雷によって照らし出されるその姿は、間近で見るとアジトに並ぶほど大きく、ボン、ボンと音を立てて伸縮する奇妙な容姿を除けば、その美しさにおいて、この空飛ぶ球体の右に出るものはないだろう。それはまるで、誤って地上へ落ちてきた満月の珍事を目の当たりにしているかのようだった。重力に反して浮上を続けるその未知なる球体は、妖美で壮麗な輝きを放ち、鼓動のようなリズムを取って膨張と縮小を繰り返している。
「ヒト族の知恵によって作られた集大成がこいつってわけだ」
アンジはもうすっかり吹っ切れたようだった。そうでなければ、こんなひどいしかめっ面で皮肉を浴びせられるものか。
「ジェッキンゲン!」
足を前後に開脚し、右腕をシュッと振り上げながらアーチャが叫んだ。こうすると、物語の主人公にでもなったようで気分が良かった。そうでもしなければ、とっくに膝がガクガクいっているところだろう。
「お前がそこにいることは分かってるんだ! おとなしく姿を現せ!」
球体に変化があったのはそれからすぐのことだった。不恰好な左右の翼がその動きを止め、地上スレスレの高さまで降下すると、グルリと手前に半周し、ボディに大きく描かれたグレイクレイ国の国旗をこちらに見せつけた。やがて国旗の紋様にバツ印の亀裂が生じ、そこから金属製の強固な外殻を突き破るようにして何者かの頭が突き出した。球体のボディよりも深みがかった濃い銀色の頭髪が覗き、それはすぐにジェッキンゲンのものだと分かった。
「アーチャ・ルーイェン……私のすべてを狂わせた元凶か」
全身を凍りつかせるような冷たい声が聞こえた。
「その目……そうか。二つの体が一つに戻ったようだな」
ジェッキンゲンのより明瞭とした声が呟くようにそう言った時、彼の姿はもう首まで見えていた。アーチャは何か言おうと深く息を吸ったが、金属のきしむ不快な音が響いたので思わず口をつぐんだ。花びらのように折り曲げられた四辺の外殻と、首元のわずかな隙間を縫うようにして突き出てきたのは、青く太い筋の浮かび上がるジェッキンゲンの右腕だった。中から体を引っ張り出そうと、白銀のボディに手を着いて踏ん張っている。
「お前の体を二つに分けた時、やはりヒト族の方は殺しておくべきだった。その強大な力だけを欲するのであれば、ジャーグ族の体だけでも十分だったんだからな。まあ、どれもみな後の祭りだ。あのジャーグ族は精神が不安定で、実験の対象には不向きだったのだからな」
アーチャは、黒々と染まるジェッキンゲンの眼を見つめた。機械というヒト族のおぞましい産物によって支配された、無の瞳だ。
続いて左腕が窮屈そうに抜け出し、右腕に習って体を押し出した。金属のひしゃげる鈍い音と、はらわたを引きずり出すような気色の悪い音が重なり、そこに球体が脈動する鼓動の響きが加わった。世にも珍妙な音楽が奏でられ、その不気味な楽器たちにせっつかれるようにして球体の中から現れたのは、ジェル状の赤い物質で包み込まれたジェッキンゲンの上半身だった。稲光を受けて体全体がてらてらと赤く光り、暗闇の中に不吉な光明を差した。
「絶対の権力と支配だけの世界なんて……そんなの悲しすぎる」
シャヌは一歩前へと踏み出しながらそう訴えた。ジェッキンゲンは身を乗り出し、シャヌの悲愴な表情をじろりと見下ろした。
「シャヌよ……かつては、私もお前と一緒だった」
ジェッキンゲンは、自らの心を取り巻く過去への怒りを剥き出しにし、三人を鋭い目つきで睨んだ。
「私にとっての過去……お前たちにしてみれば、それは百年以上も未来のことだ。機械と力のみが世界を支配する、腐った未来だがな……」