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十九章  黒雲  2

 街から音が消えた。

 誰もが天を見上げ、そこに我が道を築く鳥たちでさえ翼をたたんだ。戦士たちは互いの首根っこをつかみ合ったまま硬直し、その風貌はまさに生きる彫像のようだった。ギービー族は無重力空間を舞う奇妙な宇宙人よろしく宙を流浪し、ノッツ族と共に天を仰いで口をポカンと開けていた。

 夕空を夜の闇よりも漆黒に染めるのは、神殿の頂から立ち上って宙を漂う黒い雲だった。雲は弾力がありそうなほど厚く、太い柱状になって天へ上って行くその姿は、まるで、漆黒に染まった織物が空から地上へ向かって垂れ下がっているかのようだ。


「どいつもこいつも、頭の中どうなってんだよ」


 ゼルの重みでよろけながら、アーチャは食いしばった歯の隙間からもどかしげに吐き捨て、街へ向かって再び歩を進めた。その足取りはやたらと重たく、靴の下敷きになった草葉は根元から折れ、地にべっとりと伏せて靴底の形を成した。


「……アーチャ!」


 炎の熱と鉄の焼ける臭気に満ちた街へと足を踏み入れた時、アンジのしわがれ声がどこからか聞こえてきた。アーチャは首を振って周囲を見回し、ジャーグ族の針金のような頭髪がすぐ右手にある崩れた家の外壁からちょこっと覗いているのを見つけ、兵士たちに気づかれないようこっそり歩み寄った。


「元の姿に戻れたみたいだな」


 ゼルを外壁にもたせかけるアーチャの姿をまじまじと眺めながら、アンジが落ち着いた声でそう言った。剥き出しになった鉄骨の先端は熱を帯び、暗黒の天に向かってまっすぐ伸びている。


「みんなのおかげさ……それにしても、一体これから何が始まるんだ?」


 アンジはぎこちなく首をひねり、黒ずんで汚れた顔を神殿へ向けた。


「カエマがグランモニカに捕まっちまった。ユイツがムーンホールを使ってグランモニカに手を貸しやがったんだ」


「あいつ、グランモニカの味方だったのか?」


 カエマの安否を心配しながらも、アーチャはユイツへの不信感を高めずにはいられなかった。アンジは、今度ははっきりとその太い首を振った。


「どっちの味方でもないって、あいつ、はっきりそう言ってた。……グランモニカのあの様子だと、カエマに危害を加えるようなことはしないんじゃねえかな……たぶん」


「どういうことなの?」


 静けさを取り戻した街の方角から目を逸らしながら、シャヌは即座に聞いた。


「……ユイツが言ってたんだ」


 アンジはもごもごと答えた。


「グランモニカがカエマに目をつけたのは、天才ジャーニスの娘だからだって。それに、新世界への後継人にさせるためだとも言った……」


「新世界?」


 アーチャは軽く笑い飛ばし、闇の中でより際立って美麗に光り輝く黄金の神殿へと目を向けた。グランモニカの満悦そうな表情が脳裏に浮かび上がっては消えていった。


「ああ、そうかいそうかい!」


 アーチャは聞こえよがしに声を張り上げ、怒りに任せて手振りした。


「どいつもこいつも、自分の危ない思想ぶちまけて好き勝手してるってわけだ。世界支配だの、新世界だの、記憶の中の存在だの、もう訳わかんねえよ!」


 遥か頭上で百枚の紙束を全力で引き裂いたような音が轟き、アーチャの憤った心はやにわに臆病となった。視界いっぱいにまで発達した黒雲が渦を巻き、中心から外に向かって稲光が走り抜けた。


「冷静になるんだ、アーチャ」


 ゼルはうなだれたまま、潰れかけの声でアーチャを説きつかせた。


「今は時を待つしかない。彼らにとって、私たちの存在などちっぽけなものだ……少なくとも、ジェッキンゲンからしてみればな」


「そういや、殺戮機械がどうとか言ってたよな……」


 その時、炎の壁の奥から歓喜の雄叫びが上がり、アーチャは出しかけの言葉をすっかり飲み込んでしまった。街の中央部から絶えることなく聞こえてくるのは、兵士たちの喜びに満ちた叫び声だ。帯のようにたなびく猛々しい低い声が熱風と共に空へ上り、黒雲と混ざって雷鳴と化し、アーチャたちを震撼させた。


「逃げるんだ……ああなってしまっては、もう誰の手にも負えない」


 ゼルの言葉を受け止めきれず、アーチャは廃墟の中から外へ飛び出し、たなびく炎の先端にユラユラとかいま見える謎の球体をその目で見た。百メートルほど前方の平坦な荒地にさまようその球体は、表面は白に近い銀色で、そのつややかなボディが黒雲を縫って射し込むオレンジの光線に照り返ると、闇の中でも不気味なほど鮮明に映えた。心臓がドクンと大きく脈打つように、それは律動的に収縮と膨張を繰り返し、その都度、左右上部にある象の耳のような翼が上下にはためくと、割りに合わないその巨体を地上数メートルの高さまで浮上させた。


「あれが?」


 アーチャの後を追ってきたシャヌとアンジが声を揃えて驚愕した。言葉には出さないが、アーチャも二人と同じ思いだった。


「あんな丸っこいのが殺戮機械だって? まるで耳の生えたカブじゃねえか」


 アンジは露骨にさげすむと、その言葉を否定するかのように、球体にある異変が起こった。ボディを形成する前方中央の外殻が左右に割れ、そこから更に小さなガラス状の球体が剥き出しになると、黒雲の落とす深い影の中でピカッと一閃した。


「伏せて!」


 シャヌが叫んだ。三人は地面に伏せた。アーチャはギュッと目をつぶった。暗黒の視界に一瞬だけ光が射した。音は無かった。だだそこに、恐怖だけが残された。目を開けたくない……アーチャは本気でそう思った。


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