十八章 真紅の戦い 7
「……殺せ」
ゼルはかろうじてそう言うと、口の中に溜まっていた血を吐き出すのにひどくむせ込んだ。
「私は君ばかりか、たくさんの者たちを裏切ってしまった……生かされる価値も、生きていく資格もない」
「……だろうな」
アーチャは考えを巡らせながらそう答えた。
「俺の腕はお前を殺したいと叫んでいる……だが、心の奥底ではその衝動を否定している。何かが……俺の記憶の中で、何かがこの殺意を押し殺そうともがいている」
二人のそばまで歩み寄ってくるシャヌの足音が聞こえた。
「でも、アーチャ言ってたよね? ゼルは自分を助けてくれた心の中の英雄だって……どうして殺したいと思うの?」
「その英雄っていうのは、過去のアーチャが自己否定のために錯覚した、幻影だからだよ」
シャヌはとっさに振り向き、その声の主を確認した。そこにいたのはユイツだった。見る者の心を魅了する、その不思議な笑顔は相変わらずだった。
「どういうことなの?」
シャヌは誰とも指定せずに質問した。
「つまり、そういうことだ」
アーチャが答えた。
「ジャーグ族は己の存在そのものに屈し、体内に宿る力を封印した。そうして長い間、この邪悪な姿をひた隠しにしてきたんだ。もちろん、俺もその一人だった。普段はヒト族の姿でいるように心がけていた。ジェッキンゲンはその特性を利用し、アーチャ・ルーイェンという存在をヒト族とジャーグ族の二人に分けた。ヒト族だった方の俺は、自分がジャーグ族であることを否定するため、十年前のあの記憶を書き換えた……」
落ち着いて喋ることで無意識のうちに痛みを忘れられることに気付いたアーチャは、横様に寝転んだまま話を続けた。
「元の一つの体に戻ったことで、俺の記憶は悲惨な思い出と一緒に甦ってくれた。ゼル・スタンバインのこと、村で起こったこと……十年前のあの日、俺の身に起きたこと……」
アーチャは深く呼吸し、風に揺られる草花を遠くに見ながら続けた。
「ヒト族だった時のアーチャが、十年前の出来事をみんなに詳しく話したはずだ。俺が住んでいた村が敵国の兵士たちに襲撃され、両親や仲間が殺された……ここまではあいつの言うとおりだ。だが、炎の中をたった一人で兵士たちに立ち向かって行ったのは、あいつの思い描く英雄、ゼル・スタンバインじゃなかった……その英雄は、自分自身だったんだ」
アーチャは腕を着いて頭を上げ、そのままゆっくり胴体を起こしてゼルを睨んだ。ゼルは弱りきった体でかろうじて呼吸していた。
「惨劇の発端は、西の海岸に打ち上げられていたこいつを、俺の両親が助けてやったことから始まった。その容姿からすぐに国軍に勤務してるヒト族だって分かった。それでも俺の両親は、村の仲間の反対を押し切り、こいつを看病し続けたんだ。国軍に自分たちの正体がジャーグ族だとばれると、何をされるのか見当もつかない……だからみんなこいつのことを恐れていたんだ。……やがて歩けるまでに回復したこいつは、村を出て行った。そして数日後、村は軍の襲撃を受け、俺は両親とたくさんの仲間を失った」
言い終わると、アーチャはそのままうつ伏せに倒れ、再び襲ってきた痛みの波に耐え忍んだ。シャヌは何か気の利く言葉を探しているようで、肩で息をするアーチャの後ろ姿を見つめたまま押し黙ってしまった。
「私には、この世に存在する理由が必要だった」
町の方から聞こえる空虚な発砲音と重なるようにして、ゼルのかすれ声がそう言った。
「その理由を見つける手段がどんなに冷酷なものだとしても、私はその理由に従ってただがむしゃらに生き続けていた。だが……もうその必要もなくなった」
ゼルはうっすらと目を開け、その瞳に夕焼け空を映すと、また静かにまぶたを閉じた。
「あの時も、そして今でも、私の生きがいは兵士として国に貢献することにあった。任務完遂のためなら手段など選ばず、上官に褒められるためなら靴だって舐めた。その上官がどんなに悪い思想を持った者だろうと、私には関係なかったのだ」
「だから俺たちのことを他言し、村を襲撃させたってのか?」
アーチャは怒りで声を震わせた。ゼルは瞳を閉じたままゆっくりとうなずいた。
「だが……まだ幼かった君一人に、私たち軍隊は全滅させられた。私は命からがら逃げ出し、こんりんざい、ジャーグ族のことには一切触れまいと心に誓った。それから何年も経ったある日、ジェッキンゲン・トーバノアがグレイクレイ国軍に入隊してきた。ドロ将軍を買収して今の地位まで登りつめたという噂が流れていたが、私はそれでも奴に従った……というより、従わざるを得なかったのだ。奴は私の顔を見るなり、誰も知らないはずのジャーグ族の一件を話し始めた。戦闘機の墜落で海に放り出されたこと。漂流した挙句、心優しい村人に命を救われたこと。治療途中、そんな彼らの正体を偶然に知ってしまったこと……」
ゼルは更に激しく咳き込み、ぐったりと口を開けて苦しそうに息を吐いた。口から血が滴り落ち、生い茂る草地の一部を赤く染めた。
「ジェッキンゲンは安い賃金でヴァークスという荒くれと三人のピゲ族を雇い、ジャーグ族の最後の生き残りであるアーチャ・ルーイェンと共に行動するよう命令した」
ゼルは自分の知っている情報を全部吐き出してしまおうとしているかのようにまくしたてた。アーチャは一言も聞き漏らすまいと集中したが、余力が底を尽き始めたゼルにとっては酷なことだったに違いない。
「どうして自分から俺を捕まえに来なかったんだ?」
ゼルの容態の悪さを承知しつつも、アーチャは遠慮なしに聞いた。
「ジェッキンゲンは当初、ジャーグ族にはほとんど無関心なようだった。マープル族の住む海底洞窟を占領する計画も同時進行していたし、何より奴の手元にはシャヌがいた。もっとも、ジェッキンゲンにしてみれば、人々を戦慄させるおぞましいジャーグ族の力よりも、手も足も使わずに生物を殺められる魔力の方が魅力的だったのかもしれない」
ゼルは死んでしまったかのようにしばらく動かなくなったが、やがてまたおもむろに口を開いた。
「海底で十年越しに君と再会した時、私は、こんな子供一人に自分の存在をめちゃくちゃにされてしまいそうで、正直、恐怖を感じていた。だが結局、君は私の存在に気付くことなく、ジェッキンゲンの手によって二人に分離してしまった。そうして私は、完全なヒト族となったアーチャ・ルーイェンと出会い、その勇敢な志に感銘を受けた。この子にならシャヌを託せると、私は考えたのだ。……だがその選択は、上官の命令を無視し、同時に自分の存在理由を否定することにつながった。しかし、それでも尚、私は君にすべてを託してみたいと、本気でそう思った……そして、その判断は間違っていなかった」




