十八章 真紅の戦い 4
アンジは三メートルもの高さから黄金の硬い床目がけて尻餅をついた。その痛みと衝撃が全身をほとばしると、まるでトランポリンの上で跳ねたかのようにその場で飛び上がった。鈍痛でもがき苦しむアンジに振り落とされる前に、カエマは自らの意思でそこを脱した。
アンジは涙目で辺りを見回した。そして、眼下に広がる廃墟や、兵士たちとイクシム族の壮絶な戦いを見下ろせる高台にいることに気が付き、そこが神殿の頂であるとすぐに悟った。突然の来客に、グランモニカさえも目を丸くしたほどだった。
「あなたがグランモニカね?」
カエマは背伸びをし、勇敢にもグランモニカと向き合っているところだった。
「いかにも……もしやお前が……?」
グランモニカは、目の前で胸を張って背伸びをする少女を穴の開くほどまじまじと観察した。どうやら、自分の探していた人物が自らひょっこり姿を現したことに、戸惑いを隠せないようだった。
「いかにも。私がカエマ・アグシールよ」
カエマはグランモニカを真似てそう言った。既に足元は爪先立ちになり、プルプル震えている。
「これは意外でしたね。もう少し大人びていて、おしとやかな性格の女の子を予想していたのですが」
「残念だったなグランモニカ。しかもカエマには、詮索好きっていう厄介なおまけ付きだぜ? その上、頑固で意地っ張りときたもんだ」
アンジはカエマをその場から引き離し、グランモニカがカエマのことを見限ってくれるような口実を並べ立てた。これにはカエマも立腹だったが、グランモニカの場合はむしろ、悦に入ったようだった。
「どうやったのかは知りませんが、なるほど、ゴーレムたちをすり抜け、わざわざ自分から私の元へやって来てくれたようですね。それでしたら話は早い……すぐにでもジェッキンゲンを殺し、世界を闇で包み込むまで……」
「そんなわがまま、アーチャやアンジが絶対に許さないんだから!」
アンジの腕の中でカエマがわめいた。グランモニカはカエマの威勢の良さに感心したようで、周囲の騒音をかき消すほどの高声で笑った。
「カエマ・アグシール……愉快で快活な子ですね……さあ、おいで」
グランモニカが長い指と柔らかな手首を使って手招きした。すると、アンジの腕からカエマの体がスルリと滑り抜け、そのまま宙を舞った。アンジは、金切り声で叫ぶカエマのばたつく足をつかもうと飛びかかったが、手は空を握っただけで、うつ伏せに倒れ込んでしまった。
「アンジ。あなたの相手は私ではなく、ヒト族です。履き違えてもらっては困りますね……それ」
グランモニカのうろこに覆われた手が、カエマの時の手招きとはまったく逆の動きをすると、アンジは神殿の外へ向かって軽々と吹き飛ばされてしまった。得体の知れない文字が円形状につづられた踊り場で一度叩きつけられ、後は地面に向かってそのままゴロゴロと階段を下っていくだけだった。
尻餅の時とは比べものにならないほどの痛みが全身を駆け抜けたが、悠長に悶えている暇はなかった。神殿は再び浮上を始め、カエマを連れたまま上空へ舞い上がったのだ。アンジは痛みと自分への不甲斐なさに呆然としていたが、すぐ背後でけたたましいほどの爆発音が連発したので、そちらを振り返らずにはいられなかった。
そこにあったのは戦闘機の残骸だった。今や爆発と炎上で跡形もないが、似たような黒々とした戦闘機の肉片は町のあちこちに飛散していた。これらすべて、アーチャの手によって葬られた戦闘機の、見るも無残な亡骸だというのか?
アンジは天にでも祈るような気分で空を見上げた。遥か上空で戦闘機群と戦うアーチャの姿が、まったく別の世界に存在する、まったく別の生き物に見えたのは、アーチャがジャーグ族として覚醒してしまった確かな証拠なのかもしれない。
アーチャは今、素晴らしい気分だった。破壊する興奮と、膨大な力を惜しみもなく解放できる喜びが、アーチャの体を無意識の内に動かしていた。邪悪な力をみなぎらせたその拳で戦闘機の翼をもぎ取り、機体の中央を貫き、コックピット内のヒト族たちの戦慄した表情を覗き込む……墜落していく朽ち果てた戦闘機の鉄くずを上空から見下ろし、何もかもを無に変えていくその快感に体が震えた。
もはや地上は炎上する戦闘機の亡骸によって火の海と化し、その炎の勢いは空さえも真紅に染めるほどだった。夕空の赤、炎の赤、血の赤……この強烈な赤みを帯びた戦場が、ヒト族への殺意を更にみなぎらせ、気分を高揚させる源となった。
「やめて!」
数え切れないほどの戦闘機を破壊したところで、背後から何者かの声がかすかに聞こえ、アーチャはとっさに振り返った。
同じ赤色に染まるその翼は、自分のものとは似て否なるものだった。アーチャの心に残るわずかな記憶の欠片が、その翼の持ち主がシャヌだということを思い出させてくれた。
「何しに来た」
アーチャの口調は痛烈だったが、シャヌは動じることをしなかった。
「アーチャを助けに来たの。これ以上、誰も殺してほしくないから……」
「冗談だろう?」
アーチャは冷たく笑った。
「俺を助けるって? このとおり、アーチャ・ルーイェンはかつてないほどに生き生きしてるんだぜ」
「あなたはアーチャなんかじゃない」
シャヌは小さな声で、しかしはっきりとそう言った。
「私の知ってるアーチャは、優しくて、思いやりがあって……どんなに心が辛くても自分を見失ったりしなかった」
戦闘機が突風を巻き起こして二人の頭上を海岸の方へ飛び去っていった。アーチャの強烈な睨みが奇怪に輝いても、シャヌはひるむことなく続けた。
「アーチャを返して。私を闇の中から救ってくれたアーチャを……」
「黙れ!」
空気をも震撼させるようなおぞましい声でアーチャは叫んだ。
「俺たちジャーグ族を毛嫌いしていたマイラ族なんかに、一体何が分かる? 自らの邪悪な力と姿に怯えて生きてきたジャーグ族の苦しみが、お前なんかに分かってたまるか! 俺はやっと見つけたんだ……誰もが恐れたこの力を自由に解放できるやり方を……それは、死んでいった両親と仲間たちのカタキを討つこと……そして、ヒト族をこの世から抹殺することだ」
アーチャは西に広がる海岸線の向こう側を見つめた。見覚えのある一機の大型戦闘機が、うなりを上げてこちらに近づいてくる。アーチャの感情が更に高ぶり、戦闘機を見つめるその青い瞳が冷たく微笑んだ。