十八章 真紅の戦い 3
「計画に必要な人物として、グランモニカがカエマを選んだからです。これはどの時空の流れにおいても変わらない事実として存在している……決められた流れに逆らってはいけないのです」
「訳の分からないことを……」
カエマの背中に手を添えながら、マニカが言った。
「グランモニカの計画って何なの? これ以上私たちを巻き込まないで……」
「僕はジャーニス・アグシールを知ってる」
ユイツが不意にその名を口にした途端、マニカから声が奪われた。
「二年前、ヒト族は今までにないまったく新しい種族を誕生させた。そして、それがジャーニス・アグシールの血を使って作られたルーティー族だった。彼はその天才的な発想力と図抜けて高い知能指数を高く評価され、新種創造の実験の材料として選ばれたのです。そんな彼の血を引くカエマもまた、グランモニカに目をつけられてしまった。マープル族の配下となるヒト族の象徴を築くため……そして、新世界への後継人にさせるため」
たそがれ時の冷ややかな空気が周囲を包み込んでくれていたおかげで、アンジたちは冷静に物事を考えることができた。ユイツが何を言おうが、グランモニカがどんなにいかれた思想をぶちまけようが、つまり、結論は単純なことだ。
「象徴? 新世界? どんな理由だろうと、カエマは渡さないぜ。絶対にな」
アンジが言い放つと、ユイツの表情が一気に険しさを増した。
「だったら、こうするまでだ」
ユイツはさっと身を伏せ、地の上で右手を素早く、大きく振った。アンジの足元にムーンホールが現れ、アンジは底なしの水たまりに飲み込まれるかのように、カエマと共にその中へ落ちていった。
マニカの絶望に震える泣き声と、固い地に向かって姉の名を呼び続けるトナの声が重なった。いたたまれないほどのもどかしさと焦燥感によって生み出された怒りの矛先は、すべてユイツに向けられた。
レッジはユイツに飛びかかったが、ひらりとかわされ、地面に手を着いて倒れ込んだ。
「送りやがれ……」
起き上がろうともせず、レッジが地面に向かって言った。その真下で、くるぶしほどまで伸びた一束の雑草が、風に揺られてユラユラと前後していた。ユイツはレッジのそばまで歩み寄り、彼の背中をじっと見下ろした。
「俺をジェッキンゲンのいる所まで送りやがれ! こうなったら、親玉のあいつと正々堂々戦ってやる!」
「無駄なことです。そんなことをしても、歴史上の事実は変えられない……いや、変えさせない」
「違う!」
ユイツが冷酷に言い放っても、レッジは引き下がらなかった。
「俺は自分に悔しいんだ。相棒がいなきゃ悪あがきさえできない無力な自分が……軍からこそこそと逃げ回って生きてきた自分が、たまらなく悔しいんだ!」
レッジはゆっくりと立ち上がり、ユイツに詰め寄った。ユイツは微動だにせずにレッジの顔を見上げていた。
「軍に立ち向かっていくアーチャを見ていて、気付いたんだ。俺の選択は間違ってたんだって……ルーティー族は天才かもしれないが、導き出される答えはすべて正解じゃないんだって。だから、例え死んだっていい……俺を、ジェッキンゲンのいる所へ送ってくれ」
「私もお願い」
マニカとトナに付き添っていたフィンが、レッジの話を耳にして勇気を奮い起こしたようだった。もうその表情のどこにも、迷いの色はなかった。
「あの高い鼻をへし折るまでは、絶対に死んでたまるもんですか」
ユイツは半ば呆れ気味に視線を落としたが、やがてすべてを理解したようにコクリとうなずいた。
「分かりました。ジェッキンゲンは今、200−ヘガという大型戦闘機の中で、西海岸の上空をこちらに向かって飛行中です。……片道切符です、後悔しませんね?」
二人は互いを見合い、同時にうなずいた。ユイツはいつものようにムーンホールを作り出し、その場から離れた。
「マニカさん」
ムーンホールを目の前にして、フィンが泣き崩れるマニカに向かって声をかけた。
「あの子なら大丈夫。アンジも一緒だし、それに……お父さんと同じで、しっかりしてるもの。ジャーニスはね、自分がどんなに苦しくても、相手がどんなに強くても、決して希望を捨てたりしない、立派なヒト族だったわ。……それじゃあ、さようなら」
マニカが顔を上げると、そこにはもう二人の姿はなかった。
「むごいのう」
赤い空を眺めながら、じいさんがぼんやりと言った。
「人がどれだけ不幸になっても、戦争は終わらないんじゃなからな」
じいさんの視線は、母親の肩に顔をうずめて小さく嗚咽するトナに移っていた。マニカはそんな息子の頭を、慰めるように優しく撫でている。
「さて、僕は町の方へ行きます。まだやらなくちゃいけないことが残ってるんで」
「その前に、一つ聞いてもよろしいですか?」
何事もなかったかのように立ち去ろうとするユイツを引き止めつつ、ファージニアスは質問の認可を要求した。ユイツは立ち止まって振り向き、ファージニアスを見た。ファージニアスはその動作を見て、「結構ですが、手短にお願いします」という意味なのだと勝手に解釈した。
「あなたもしかして、私よりも遥かに遠い未来から来た時空連盟の関係者じゃないんですか?」
ユイツは目をパチパチさせた。ファージニアスは銀髪の前髪をかき上げ、じっとユイツを見つめた。
「時空連盟……設立当初は、確かにそのような名称でしたね」
ファージニアスは心の中でほくそ笑んだが、それは束の間だった。
「確かに、僕には過去や未来の情報を知る力があります。だけど、僕は時空連盟の類とはまるで無縁です。それに、僕の実体は何百年も過去の時間の流れにあって、未来ではないのです」
「実体……ですか?」
ファージニスは首をかしげた。
「そういえばアーチャが言ってましたね。あなたは人々の記憶の中で生きているのだと」
ユイツの口元に微かな笑みが浮かんだ。
「ええ、それは本当です。僕は生まれ持って手にしたこの力を使い、永遠に生き続けるための術を見出しました……すみませんが、話はここまでです。行かなければいけませんので」
ユイツがムーンホールを使って町へ出向いていった直後、ファージニアスは、マニカ、トナ、じいさんを振り返り、陽気に声を張り上げた。
「さあ、私にもまだ残された使命があります。ここは一旦街の中枢へ向かい、みんなと合流することにしましょう」