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二章  惨劇の始まり  5

 朝の五時四十分。アーチャは寝返りをうった拍子に頭を壁にぶつけ、おおげさに驚いて飛び起きた。しばらくボーっとしていると、二日目のドレイ生活の始まりを告げる合図がやって来た。ゴーレム族の一人が部屋の出入り口の真ん前までやって来て、からっぽな声で叫んだのだ。


「労働開始三十分前です! みなさん、今日もしっかり働きましょう!」


 どうやら、これがゴーレム族の仕事の一つらしい。巨大な木彫り人形のような姿をしたゴーレム族は、よく富豪の大屋敷に召し使いとして雇われていることが多い。だから、こういった兵士たちが面倒くさがるような仕事はゴーレム族にとってはうってつけなのだ。従順で、文句の一つも口にしないゴーレム族は、兵士たちの大のお気に入りというわけだ。

 ゴーレムが立ち去ると、アーチャの周りで眠っていたノッツ族の面々が、あくびと疲れ切った表情と共に目を覚まし始めた。ノッツ族は、昨日アーチャと話した二人の他にも六、七人ほど増えているようだが、誰が誰だがさっぱり見当もつかない。何せ、みんな同じ体格と顔をしているのだ。番号を覚えるのでさえ一苦労だ。

 三十分後。今日こそ、アーチャは時間通りに聖地へ行くことができた。あのイクシム族の男も一緒だ。昨日二人が部屋に戻った時、あの死体はなくなっていた。だがきっと、それで良かったのだろう。あの男も、これで踏ん切りがつくはずだ。

 聖地には時間通りに集まった他のドレイたちが湖を囲うようにして綺麗に並んでいた。イクシム族、ノッツ族、ゴーレム族、そして、ルーティー族……総勢で五百人ほどはいるだろうか? それぞれが生気を失った虚ろな瞳と土気色の表情で、青緑色に輝く天井からの光を見つめている。まるで、この壮麗な光輝を、大地を焦がす灼熱の太陽の代わりとして崇めるかのように……。

 好奇心を剥き出しにして辺りをキョロキョロしていたアーチャは、人魚族が岸に身を乗り上げている姿を、ゴーレム族のどんぐりのようなたくさんの頭の間からかいま見た。

 ノッツ族に出会った時もアーチャはそこそこ興奮したが、それも人魚族と比べれば雲泥の差だ。『人魚のうろこ』はどの地方にも出回っていない、盗賊でなくとも喉から手が出るほど欲しがる、希少価値が高い代物なのだ。アーチャの所属する窃盗団、『ルースター・コールズ』が作った“絶対いつか手に入れるお宝リスト”に『人魚のうろこ』が入っているのもうなずける。

 ジャーニスの話から、いつかここで会えるのではといささか期待してはいたものの、まさか本物の人魚族をこの目で見ることができるなんて、アーチャは夢にも思っていなかった。人魚族はこんな海底洞窟に住んでいるものだから、地上でもその美麗な姿を目撃した者は数少ない。上半身は水で出来ているかのような、繊細な布で織られた衣に包まれ、下半身は魚の尾ひれだ。噂通り、その瞳は海のように青く、ダイヤモンドのような輝きを放っている。そう、まさにその瞳の輝きこそが『アクアマリン』なのである。


「時間だ! 全員持ち場へ移動! 駆け足!」


 突然、ずっと前の方で兵士の一人が声を張り上げてそう叫んだ。その言葉どおり、聖地にいた何百という数のドレイたちが、己の持ち場に向かって駆け出し始めた。アーチャは高波に呑まれるように、何の抵抗もできないまま押し流されてしまった。気付くと、イクシム族のゴツゴツとした肌に囲まれており、アーチャは仕方なくその流れに乗った。ここで踵を返そうものなら、押し潰されて全身が粉々になってしまうかもしれない。

 アーチャはそのままある穴へと入り、しばらくその狭い通路内を走り続け、やがて、聖地にも負けないほど巨大な大部屋に辿り着いた。アーチャは、空間の中央にそそり立つものを見て肝を潰した。

 それは、黄金に輝く神殿だった。まだ建造途中だが、土台の真ん中に築かれた踊り場付きの階段は二階部分まで完成しており、それだけでも十分な見応えはある。ジャーニスの言っていた神殿作りというのが、まさかここまで壮大なものだったとは。兵士たちはこれほどまでに壮麗な建物を、すべてドレイたちの手で作らせたというのだろうか? 一体何のために?

 光彩を放つ黄金の神殿に、いつまでも見惚れている暇はなかった。集まったイクシム族たちはすでに作業を始めていたのだ。壁際に高く積まれたたくさんのレンガを運び出したり、そのレンガに得たいの知れない黄色い液体を塗ったり、大きな岩石を削ったり、車輪付きのイカダのような台の上に十メートル以上はある石柱を十人がかりで載せたり……。

 黙々と作業をこなす何百というドレイたちは、見渡す限りイクシム族だ。それを見て、アーチャは自分がここにいることがますます場違いなように思えてきた。力仕事は怪力のイクシム族にはもってこいだが、純粋なヒト族にとっては過酷そのものだ。

 その時、軍服姿の兵士が十数人ほど姿を現した。全員が暗緑色の服に、軍指定の白と緑の帽子を浅くかぶっている。その中に、ジングとニールの双子も混じっていた。アーチャは液体塗りの作業場までとっさに疾走し、兵士たちに背中を向けてしゃがみこんだ。ペンキ塗り用の大きな刷毛を手にすると、イクシム族の手つきを見よう見まねして、兵士たちからなるべく目立たないようにした。とはいっても、周りのイクシム族とその体格を比べれば、アーチャなんてまだほんの子供だ。双子の、特にジングに見つかりでもすれば、どんな恐ろしい処罰(仕返し)が待っているか想像もつかない。

 アーチャは双子のいる方をちらと見た。神殿を指差して何か熱心に話していた。ジングの痛々しく腫れ上がった左の頬が、ニールの顔で覆われて見え隠れしている。アーチャは再びイクシム族に成り済まし、どうかあと三日くらいは気付かれませんようにと心底願った。そんな矢先、液体を塗りつけたレンガの表面が金色に変化していったことに、アーチャは目を丸くして驚いていた。

 飯の時間まではあっという間だった。昨日から腹が悲鳴を上げっぱなしだったので、ゴーレム族の集団が深皿いっぱいに野菜やら肉やらパンやらを詰め込んで現れた時は、思わず小声で歓声を上げた。だが、それらは兵士たちにすべて持っていかれてしまった。


「なんだよ、もったいぶりやがって」


 次のゴーレム族の集団がやって来た。今度は、平たい大皿の一面に緑色の豆が敷き詰められている。アーチャが目を疑うのと同時に、ゴーレム族の抑揚のない声が周囲に響いた。


「今日の食べ物は、パナッツ高山地方の大豆を再現した“お豆”ですよ。残さず食べよう」


 大皿の一つを作業場に置いていくゴーレム族には何の悪気もない。そんなことはアーチャにも分かっていた。だが、『これ』が一日に食べることのできるただ唯一の食べ物だというのか? 冗談にも程がある。アーチャは、ゴーレム族の一人に文句を言ってやろうと意気込んだが、そんな暇はなかった。なんと、今まで大人しく作業をこなしていたイクシム族の面々が、目の色を変えて豆にむさぼりついている。アーチャはとっさに『お豆争奪戦』に加わったが、イクシム族の体格の良いこと。まるで壁だ。アーチャは簡単に弾き返されて床に転がったが、皿からこぼれ落ちた一粒のお豆を見逃しはしなかった。

 味は無い。むしろ、食べなければよかったとさえ思えてきた。口の中にお豆のわずかな甘みが残ってしまったせいで、食前より空腹感が倍増し、喉も渇いた。アーチャはふと、ここへ来る前の食生活を思い返した。美味いものでもなかったが、少なくとも腹いっぱいまで食べれたし、自分の分を他人に取られるなんてこともなかった。


「お前たちってほんと、並外れた生命力の持ち主だよ」


 まともな食べ物さえもらえず、十分な休憩も与えられないこんなドレイ生活をよく続けられるものだと、アーチャはイクシム族のタフさに感心してそう呟いた。


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