プロローグ
「これから始まるおとぎ話」の姉妹編「空へ、未来へ」。始まりです!
開け放たれた出窓からたそがれ時の涼風が舞い込み、鏡台の前に座る少女の前髪をふわりと撫でた。鏡に映る少女の眼は、その鮮緑色に輝く麗しい瞳で自身を見つめ、窓から射る西日の射光を受けてキラキラと煌いた。
肩まで伸びた露草色の髪の毛は水を流したように繊細で、純白のワンピースがそのほっそりと痩せた全身を優しく抱擁するように少女を包み込んでいる。
瞳の中の広い草原にその身を溶け込ませる少女は、目の前の自分を見つめ、そして、己自身の過去と未来を見据えていた。
「シャヌお嬢様」
シャヌは鏡の中の扉が開くのを見た。柔らかな声と一緒にメイド姿の女が部屋に入ってくる。それは、いつもシャヌを世話してくれるメイドだった。ふくよかな体を機敏に動かし、鼻歌を交えて少女へと近寄る。
「着替え、お持ちしましたよ。ここに置いておきますね」
女はそう言って、スパンコールの輝く黄色いドレスをベッドの上へそっと置いた。それはまるで、生まれたての赤子でも寝かしつけるような優しい手つきだった。
「今日はジェッキンゲン様の昇進を記念した祝賀会の日ですからね。美しく正装しなくっちゃ」
女は鏡台に置いてあるべっこう素材の高価なくしに手を伸ばしながら、楽しげに声を弾ませた。シャヌは鏡に映る女の笑顔を見つめた。
「私、ある本を読んだの」
シャヌはメイドにというより、鏡の中の自分に向かって言葉を投げかけた。一メートル向こうの話相手にも届かなさそうな、か細い声だった。
髪をすいていたメイドの手が止まり、その大きな丸い目は、鏡の世界の無表情な少女をただまっすぐに見つめていた。
「また恐ろしい挿絵の入ったローロー教の本をお読みになったんですか?」
メイドは深刻そうな声色で聞いたが、やがてクスクスと笑いだした。
「ごめんなさい。夜怖くなってトイレに行けなくなったお嬢様の幼い頃を思い出したんです」
メイドの言葉を聞いて、シャヌの顔にもようやく笑顔が広がったが、それは束の間だった。
「それとは違うの。……私はね、私自信に関する本を読んだの」
「もしかしてお嬢様……」
メイドは口をつぐみ、鏡の中でも一際その存在感を知らしめる、優雅な神秘を見つめた。シャヌの背中にふわりとなびく、その神秘という名の白い翼を。
西日を受けてオレンジ色に輝くその翼は間違いなくシャヌの背中から伸びていて、しなやかで厳かな雰囲気をかもし出すそれは、まさに天使の翼そのものだった。
シャヌは鏡の中の自身を断ち切るようにメイドを振り返り、不安げに見つめ返すその表情をまっすぐに見つめた。
「この16年間。誰も、何も教えてくれなかった理由がやっと分かったわ」
シャヌは力強い眼差しと揺るぎない口調でそう言った。
「その昔、背中に白い翼を持つマイラ族は、黒い翼を持つジャーグ族と空に漂う浮遊島で共存していた。けど、マイラ族は徐々に力をつけ始めるジャーグ族を恐れ、彼らを地上へ追放した。そして今から百年前。浮遊島は謎の大きな光を放って消滅し……マイラ族は滅びてしまった。私ただ一人を残して」
シャヌはそこまで言って、また鏡に向き直った。メイドの案じ顔がその様子を静かに目で追った。
「でも分からない……なぜ百年も前に滅びたはずのマイラ族の私がここにいるのか……どうしても分からない。そして、それがとても怖いことだと知ったの」
「シャヌお嬢様がマイラ族だということは、何年も前から分かっていました」
メイドは曇った表情のままそう言い、指先で翼にそっと触れた。
「ですが、お嬢様の抱かれるその疑問は、私たちにも到底理解できないものだったのです。その答えを知っているのは、おそらく、御主人であるジェッキンゲン様だけ……」
シャヌは鏡の中のメイドと目を見合わせた。
「近く、あの人は私をここから連れ出そうとしていると、そう聞きます。物心着いた時からこの屋敷に閉じ込められていた私にとって、外界の世界は本の中と同じ……完全な空想上の世界でしかない。でも、私は確信してる。きっとこの広い世界のどこかに、私がこの時間に存在しなければならない本当の意味が隠されてるって……私は、いつかきっとその答えを見つけてみせる」
窓の向こうに広がっていく無限大の可能性を見据えながら、シャヌは自身の心に強く誓った。
そして、ある一人の青年が深い暗闇の中で目を覚ましたのは、ちょうどそんな時のことだった。
前書きにも記しましたが、この物語は「これから始まるおとぎ話」の姉妹編です。続編ではありません。
内容はどちらから読んでも楽しめるようにできていますので、読み比べてみるのも面白いと思います。
ゆっくり更新していくので、読者の皆様も時間をかけて、焦らずゆっくり読んでみてください。
それでは、これより本編スタートです^^