ゴーストテロリズム
2016年8月3日、広島。日本を震撼させた『ホンマデパート広島事件』。この事件以降、我々人間は幽霊の存在を認識した。死者22名、重軽傷者100名以上の地獄の中、人知れず警察と共に犯人逮捕と被害者救出に尽力した民間人がいた。その名は筥崎馮貴と玻璃歩美。2人は如何にして、正体不明の犯人に立ち向かったのか⁉︎
その日、ホンマデパート広島は夏休みの家族連れで賑わっていた。最初に異変が起きたのは6階の展示場。当時は円谷英二の展覧会が催されていた。
「ん? 何だここ? 息苦しくないか?」
壁に掛けられたウルトラマンのパネルを眺めながら歩いていた男性客の1人が隣の客にそう尋ねた。
「そうか? 俺はあまり……いや、やっぱり何か変だな」
ホールの客は次第に誰もが体の不調に気づき始めた。そのとき、最初に息苦しさを訴えた男が突如、口から大量の血を吐いて倒れた。悲鳴が響き、デパートはパニックに陥った。逃げようとする客の姿を見た下階の人々も次第に冷静さを失い始める。
ホールには男性客が2人残っていた。倒れた客と、隣にいた男だ。
「おい! しっかりしろよ! 和正! 死ぬな!」
反応しない男に呼びかけていると、背後のエレベーターホールから音が聞こえた。エレベーターが到着した音だ。男が振り返る。そこにいたのは私服の男と、制服の女。彼らこそ、筥崎馮貴と玻璃歩美である。
「ちょっと離れてください。先輩、お願いします」
歩美が隣で水の入ったバケツを手にする馮貴に言った。
「本当にいいの?」
「早くしないと、心臓が止まってからじゃ遅いですよ」
「ああもう、わかったよ」
馮貴はその水を、倒れた男にかけた。
「冷たっ!」
男は起き上がった。
「和正! 生きてたのか!」
「えっ? あれ、俺……生きてたんだ」
「死んだと思いました?」
歩美が上体を起こした男の顔に寄る。出血の痕が無かった。
「あ、ああ。助かったよ」
「死んだと思ってたら本当に死にますよ。幻の体験をさせることで生きる気を削いで魂を奪うんです。そういうのがいます」
「いるって、何が?」
「霊です。そこにいますよ」
歩美はホールの一角を指差した。他の3人には何も見えない。
「僕には見えます。かなり怒ってますね。何で怒ってるんでしょう。まあいいや。さっさと除霊しちゃいましょう」
制服のスカートのポケットから角の折れ曲がったお札を取り出し、指差した壁に向かう。だがその足取りは、階下から聞こえた爆発音と地響きによって止められた。
「なに?」
歩美のポーカーフェイスが崩れた。
「もしかして……逃げられた?」
馮貴の問いに数秒経ってから、歩美はこう答えた。表情は浮かない。
「はい。逃げられました」
爆発したのは1階。早期に逃げようとした客たちは何故か鍵がかかったドアに足止めされていた。しかし、ガラス越しの通行人は誰も館内の状態に気が付かない。何故なら、鍵も爆発も幻だったからだ。爆発に巻き込まれたと思い込んだ客や従業員の屍が広がる。
「お母さん! お母さん!」
女性客に泣きつく少年がいた。
4人は息が上がっていた。エレベーターが動かず、階段を駆け下りてきたからだ。水をかけたり、蹴ったりして手当たり次第に生きていると認識させていく。
「次はあの人か」
まだ子供が泣いている客に向かおうとする馮貴を、歩美は止めた。
「無駄です。あれだけあの子が泣いているのに反応しないなら、もう死んでると思います。他の人を先にして下さい」
その頃、館内からの通報を受けた消防隊が到着した。外部から見れば平和そのものに見えるデパートを見て、隊員たちは悪戯だと思った。一応中を確認しようと一歩踏み出すと、自動ドアが開かない。不審に思って鍵を壊し、侵入すると阿鼻叫喚の光景が広がっていた。まるで、広島出身の隊員たちが学校の授業で見聞きした71年前のこの街にタイムスリップしたようだったという。
馮貴は歩美の言う通りにした。結果、多くの人の命を救った。もうどれだけ揺すっても動かない人もいた。
「お姉ちゃん、死ぬってなに?」
逃走した幽霊の気配を追って5階に向かう最中、例の少年が歩美に尋ねた。消防隊が多くの民間人を脱出させていたが、この無表情な少年だけは馮貴たちに付いて来た。どういうわけか魅入られてしまったらしく、出口に向かえないのだ。
「さあ……何だろうね。中々哲学的なことを聞くね。先輩はどう思います?」
「うーん、とりあえず動けなくなること、かなあ」
少年はぽつりと言った。
「死ぬってなんだろう」
母親の状態を認識できていないということは、2人に悲しさを覚えさせた。
5階は異様な空気に包まれていた。
「いました。犯人です」
普通の人間にも感じられるオーラは凝縮され、人型になって現れた。強い霊ほど見えやすいのだ。
「あれか!」
それは青年の姿をしていた。白いシャツに黒いジーンズという、何の変哲もないただの青年だった。
だが、明らかな敵意を向けていた。
「攻撃を避けて封印するしかないみたいだね」
馮貴が覚悟を決めたように身構えた。歩美は封印用のお札を1枚渡して答えた。
「そうですね。でも、あんまり後ろに下がらないで下さい。その穴から落ちたら、マジで死にますよ」
3人の背後の床には、1階まで突き抜けた大きな穴が開いていた。
霊が放つ雷や炎を、3人は散開して回避した。だが、少年が不幸にも転倒し、穴に落ちてしまった。
「真斗くん!」
歩美が叫んだが、彼の悲鳴は数秒で途絶えた。霊が動きを止め、少年が転落した穴を見る一瞬の隙を馮貴は見逃さなかった。急いで近寄り、お札を貼ることに成功した。
デパートの全フロアを光が包んだ。歩美は思わず目を閉じた。すると、脳裏にある光景が映し出された。大きな通りの横断歩道を渡る男。服装は白いシャツに黒いジーンズ。信号無視の自動車がぶつかり、弾き飛ばされた。男が動くことはなくなった。時は流れ、そこには大きな商業施設が建設された。ホンマデパート広島だ。
「そうか。これが動機だったんだ。不慮の事故で死んだ自分を知って欲しくて……」
歩美が目を再び開けたときには、元のデパートに戻っていた。馮貴の右手の中には、霊が封印された紙切れが残っていた。そこが事件現場であるという証拠は、床に放置されたいくつかの死体だけだった。歩美が背後に気配を感じて振り返ると、床に少年が倒れていた。穴も幻だったのだ。
「真斗くん! 起きて! 死んじゃだめ!」
歩美が駆け寄る。あることを思い出した。
「その穴から落ちたら、マジで死にますよ」
穴に落ちれば死ぬ。そう教えたのは歩美自身だった。極限状態の中、霊が幻覚を見せていることを忘れていた。涙も拭わず、少年の胸に顔を埋める。すぐに驚いた顔で勢い良く顔を上げた。鼓動が感じられたからだ。少年は目を開けた。
「結局、死ぬってどういうこと?」
どうすれば良いのかわからず、母親の真似をして倒れていただけだった。
「良かった……」
馮貴が息を吐いた。
霊が封印されたお札は現存しない。広島県警から長野県の善光寺に渡され、燃やして供養された。当時の裁判所は、強制的に成仏させることは死刑に相当する刑であると判断した。馮貴と歩美はあの日、夏休みの旅行で偶然立ち寄っただけだった。この偶然が無ければ、事件の被害は更に広がっていただろう。幽霊による犯罪が再発しないとも限らない。我々は常に『病は気から』の言葉通り、気を強く持って生きるべきなのかもしれない。