アブラコウモリが部屋に入って来た話
「アブラコウモリ」 ……何やら禍々しいネーミングである。
アブラ何某と聞けば、どうしても「油赤子」とか「油すまし」とか「アブラマシマシ」のように奇怪なる妖怪を連想してしまうが、ごく一般的なコウモリにすぎない。
夕暮れの住宅街をヒラヒラしたり、間違って部屋に侵入してきて保護されたりするコウモリは、大概コイツであるらしい。
成長しても10gくらいという、いかにも危険そうな名前の割には、ラブリーなヤツである。
この命名をやらかしてしまったのは、かのシーボルト御大である。
もしシーボルト先生が「妖精コウモリ」とか「羽衣コウモリ」とか、もっと可愛らしい名前を付けていてくれていれば、アブラコウモリもウグイスやシマリスのように愛されていたかもしれない。
なんでこんな変な事を書いているのかというと、『夏のホラー2016』参加作品を書いている最中に、コヤツが私の部屋に侵入して来たからである。
まあ、ビックリしましたよ。 いや本当。
書いていたのは『かしまさま』や『オラビ』みたいな都市伝説系の怪談。
知らない人のために簡単に紹介すると、『かしまさま』や『オラビ』というのは、その話を聞いたり、読んだり、噂したりすると、その人の所へ「やって来る」怪異である。
『かしまさま』の方は、その噂を聞くと一週間以内に夜中にやって来る。
で、「手がいるか?」、「足がいるか?」などと尋問してきて、答えを間違えると……
という話である。昭和期に数度にわたってブームが起こり、子供たちがパニックになった事が有る。
『オラビ』の方は、遠くから「おーい。」と叫びながら、次第に近づいて来る怪異で、これもその話を聞いた人のもとへやって来る。
こちらの方は、対処を誤っても、耳元で「オイッ!」と怒鳴られるだけだから、それほど心配しなくても良い。
説教好きの面倒くさいオヤジに絡まれたようなモンである。
いまこの話を読んじゃった人の所へは『かしまさま』なり『オラビ』なり、あるいはその両方が出現する可能性が出て来た訳だが、両方一ぺんに出たら、大変だろうね。
かしまさま 「手、いるか……?」
おらび 「ぉぉぃ」
かしまさま 「足、いるか……?」
おらび 「ぉおぃぃ。」
かしまさま 「眼、いるか?」
おらび 「ぅおーいぃ。」
かしまさま 「頭!いるか?!」
おらび 「ウオオオイッ!!」
かしまさま 「うるせい!馬鹿者!!」
……まあ、あなたの所へ『かしまさま』なり『オラビ』なりが、出現したとしたら、無責任なようだがそれぞれで善処してもらう(知らない人は適当に検索してみてね!)として、アブラコウモリの話である。
なので、ここからは『裏野ハイツ実録動物パニックエッセイホラー』に路線変更である。
そんな心算は無かったのだが、そうなってしまったものは仕方がない。
世の中には、逆らい難い運命というものがある。
別に「裏野ハイツ」モノにしなければならない理由が有る訳ではないのだけれど、コウモリが入って来た部屋の間取りが、裏野ハイツに似ているために、一々説明するよりも、設定を利用させてもらった方が便利なので、そうさせて頂く。
部屋は203号室が良いだろう。
103号室の一家がお盆の帰省中と言う事にしておけば、夜中にドタバタ騒いでも、一番文句を言ってくる人が少なそうだから。
本当は、ベランダ側と玄関側の2方向にしか窓が無い、102か202号室の方が、間取りは似ているのだけれども、どちらの部屋もお隣さんとかに迷惑がかかりそうなので、諦めることにする。
なので、住んでいるのは203号室、南側の窓は洋間もリビングもハメ殺しで開かない、と言う事にさせていただこうか。
・・・・・・・・・・
今、念のために裏野ハイツの設定を、ちょっと確認しに行っていたのだけれど、103と203号室の南側は、バス・洗面台・トイレ・収納スペースで塞がっているので、窓は一つも無いという衝撃の事実が判明した。
(ベランダ側と入り口側以外にも窓が有るのは、101と201号室の2区画だけなのね。)
ハイ、203号室で予定通り進めますが、ハメ殺しの窓は無しです。
住人である「私」の年齢・性別・職業は、大勢に影響が無いので、割愛する。同居人はいない。
本当は、『嗚呼、何といふ事で有りませうか!』などと大時代的なセリフの似合う、オボコい腺病質の文学系美少女とかにしたいのだけれど、そうすると「202号室の人の気配」というヤツが、203号室の洗濯物目当てに、脚立なんかで202号室のベランダに侵入しようとする変態さん、などという方向に転がって行きそうなので、やめたのだ。
念のために言っておくと、本物の私は、ヒグマやイエティもビックリというムクツケキ大男だからね。
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私は寝る時は布団を使う。
ベッドなど置いてしまうと、洗濯物を干すのにベランダに出るのが大変になるからだ。
風呂場でシャワーを浴びた後、先ほどまでは、リビングで「なろう」投稿用の作品を、ちまちまノートパソコンに打ち込んでいたのだが、そろそろ寝る時間と言う事で、洋間に引っ込んだところだ。
だが、布団に転がってみたところで、手直しをしたい何ヵ所かが気に掛かる。
つまらない作品の割には、調査や取材を含め、手間・暇・愛情を注いでいるのだ。悪かったな、下手くそで。
だから、パソコンを洋間に持ち込んで、布団の中で手直しをしようと決断するのに、さほど時間はかからなかった。
洋間のドア越しに明かりが入って来るから、リビングの電気は点けない。
電源コードを抜いて、パソコンを持って行くだけで良い。
手直し作業には、バッテリーだけで充分だろう。
リビングには、なんとなく私以外の生き物の気配があるが、玄関脇にミシシッピアカミミガメの亀吉君が生息しているタライが置いてあるから、不思議ではない。
亀吉君は、兄が縁日の夜店のカメすくいで獲得してきた、付き合いの長いペットだ。
昔であれば、飼い切れなくなったり、飼うのに飽きたミドリガメは、「さよなら。君の事は忘れないよ!」などど甘く切ない別れの儀式を経て、環境放出されていたのだが、現在ではミシシッピアカミミガメは特定外来種として駆除対象になっているから、適当に放流してしまうと捕殺されてしまうかもしれない。
だから亀吉君とは、別れるに別れられない間柄だ。
亀吉君の主要な飼い主であった兄は、就職すると直ぐに北海道勤務を命じられたため、亀吉君を私に託して北の大地へと去って行った。
「いきなり左遷って、何やったの?」
「お前ね……北海道勤務が左遷って、いつの時代の人間だよ。日光浴と散歩を忘れるなよ。」
私が実家を出る番になった時、私は亀吉君を母に託そうとしたのだが、上手く隠している風を装っているが実は生き物の世話が苦手な母は、「一人暮らしというものは思いの外寂しいから、アンタが亀吉君を連れて行きなさい。いざという時、亀吉君が助けてくれるから。」と、亀吉君を託されるのを拒否した。
だから先ほど「同居人はいない。」と書いたけれども、考えてみると「同居しているのは亀一匹。」が正しい。
亀吉君は私の動静を察知して、タライの中でゴトゴト音を立てた。
美味しいものを貰えるかもしれない、と思ったのだろう。
亀吉君は何でも食べる。
残りご飯、固くなったパン、野菜くず、出汁をとった後の煮干し、消費期限の怪しいソーセージ、お刺身の端っこ。
もしかしたら今、「これは『私』が、死体処理に亀を使う伏線なんじゃないか?」と思った人が居るかも知れないが、残念ながらそれはハズレだ。
いくら大食いで、手足が甲羅に収まり切れなくなった肥満ガメの亀吉君でも、一匹の亀が食べる有機物の総量など、たかが知れている。
死体処理という目的に合致するためには、私は数頭のコモドドラゴンと同居していなければならない。
「夜中に食べると、太るんだよ!」と本来夜行性の亀吉君に言い捨てると、私はパソコンを持って洋間に引き返そうとした。
が、……何? 今の?
視界の端を、黒いモノがヒラヒラ横切った気がするんですけど?!
いやまておちつけなんだいまのはちょっとありえないんですけどなんだあれは?
素早く脳内映像をリプレイ&サーチする。
黒いアゲハチョウじゃないか?
公園のアザレアの花に、よく集っているし。
そうだよ! ナガサキアゲハかカラスアゲハかクロアゲハかはわからないけど、きっとアゲハチョウに違いないよ!
正常化バイアスによる願望は、次の瞬間脆くも砕け散った。
洋間のドアから入る光をバックに、どう見てもアゲハチョウより大質量の生命体が、華麗にリビング内を飛翔しているのを、目の当たりにしたからだ。
『国籍不明の一機、福岡方面へ向かって飛行中! 高度20,000、北北東、超音速!』という『空の大怪獣 ラドン』の名セリフが、脳内に鳴り響く!
パソコンを掴んで、洋間に滑り込み、震える手でドアを閉めるまで、足はガクガクして無限の時間がかかったように感じたが、傍から見れば盗塁するイチローの様に、シャープで無駄の無い動きだったことだろう。
セーフ! とりあえずセーフ!
しかし、正体不明の飛行物体相手に何時までも、援軍の来ない籠城しているわけにはいかない。
孫子曰く「敵を知り 己を知りて戦えば 百戦百勝す。(中略) 敵を知らず 己を知らずして戦えば 百戦して勝つ事 能わず。」
まず、ヒラヒラの正体を見極めなければ。
私は布団を畳んで押し入れにしまい、帽子を被ってキャップランプを装着した。
左手にマグライトを握りしめ、右手でドアを細く開く。
少しは落ち着いたので、飛行物体は小鳥もしくはコウモリではないかという予測は立っている。
キャップランプとマグライトの光が激しく交錯する中、多少の試行錯誤の後に、私は遂にその正体を捉えた。
鳥ではない、スーパーマンでもない。
壁にヒタリと張り付いたそれは、コウモリだ。
小っちゃい。 羽を畳んだら、すごく小っちゃい。
ヤモリのように、あるいはゴキのように、壁にしがみついている「それ」は、実験用マウスよりも小さな生き物だった。
コウモリと言うと、天井から逆さまにぶら下がっているイメージなのだが、コイツは赤んぼなのか?
分からない事はネット検索検索するに限る。便利なものだ。パソコン持って来て良かった!
私は「なろう」ホームページではなく、検索エンジンを立ち上げる。
狂犬病? 感染症? エボラ出血熱?
表示された内容は、顔面蒼白になるのに充分な、戦慄の情報だった。
暗澹たる思いで、情報提供先元をチェックすると、なんだ駆除業者さんである。
もう少し、フラットというかニュートラルな情報が欲しい。
動物園の飼育係さんのブログや、コウモリを保護した事がある人か書いた記事などがヒットする。
ふむふむ。
そう滅茶苦茶にビビる必要は無いようだ。
日本にはエボラは入っていないし、狂犬病は50年以上絶えている。
普通に野生動物と接するのと、同程度の注意を払えばいいようだ。
触る時には、念のためにゴムかビニールの手袋をした方が良いみたいだが、生憎手持ちがない。
後で逆性石鹸で手を洗うとしよう。
ドアの隙間から双眼鏡で敵情を観察しつつ、アップされている写真と照合すると、アブラコウモリで、ほぼ確定だ。
穏やかな性格の、ごく一般的なコウモリと言う事で、とりあえず一安心。
赤ん坊コウモリであれば、山羊のミルクか、乳糖除去ミルクを与えればよく、成熟していればミルワームという餌用の幼虫を食べさせるのがいいらしい。
かなり古い情報だと、「ゆで卵の黄身とバナナをよく練り、液体総合ビタミン剤を混ぜたものを与える。」などと書かれている物もある。
こうして、現実逃避的に無駄な知識が増えて行く。
アブラコウモリが恐怖の対象ではない(主観的には別だが……)ことが理解出来た反面、想定していない困った事実も判明した。
『アブラコウモリは益獣なので、危害を加えてはいけない!!』
なんだってぇぇぇ?!
アブラコウモリは蚊を食べる。
蚊は「日本脳炎」を媒介する。
近頃では「日本脳炎」以外にも、蚊による「デング熱」「ジカウィルス」「マラリア」等々の媒介も懸念されている。
その様な、我々にとっての難敵である蚊を、大量捕食してくれるアブラコウモリは、トンボやツバメと同じく日本の防疫体制の一角を担う、力強い味方だったのだ。
言ってみれば、本土決戦における有力夜間迎撃戦闘機部隊なわけだ。
知って良かった、この事実。危うくフレンドリー・ファイアをやってしまう処だったぞ。
しかしながら、アブラコウモリ氏に退去してもらうのに、困難が増した事も事実だ。
箒で叩き落とすような手荒な真似は勿論、唐辛子を火にくべて『南蛮燻し』を決行するのも躊躇われる。
私のピンチを察知した亀吉君が、突如覚醒巨大化して、アブラコウモリ氏と戦う事態に陥れば、私はアブラコウモリ氏側に立って参戦しなくてはならない。
巨大ガメと巨大コウモリが戦う、某怪獣映画ファンの私にとって、非常に辛い決断だ。
『親の小言とナスビの花は、千に一つも無駄が無い。』と言うけれど『困った時は、亀吉君が助けてくれる。』という母の予言は、見事に外れた。
ヒラヒラの正体は分かった。次はアブラコウモリ氏に穏便に退去してもらう作戦の立案だ。
先ずは、対象の侵入経路の確定だ。
これをやっておかないと、今回の状況が完了しても、再びあるいは第二・第三のコウモリ氏の侵入が発生するかもしれない。
まあ、相手は温厚な益獣であるのだから、「侵入」という言葉は不穏当だろう。
「進出経路」 こう言い換えよう。
玄関ドアは、基本閉めている。
キッチンの窓は、外に鉄格子があって、網戸とサッシ(すりガラス)の構造だ。サッシを開けている時でも網戸が有るから、ここから進出して来る事は不可能。
単に可能性の問題ならば、近所に住むサイコな人が、鉄格子越しに外側から網戸を開けて、室内にコウモリ氏を放ったと言う事も考えられなくも無いが、そんな人を相手にするのならば、サッシを閉めて警戒していても、バールのようなモノで窓を叩き割ってしまうから無駄だろう。
それに、毒サソリや斑の紐を投げ込むならまだしも、穏健なアブラコウモリ氏を放ってどうする。
コウモリが、ペストや狂犬病に感染させられている! というストーリーなら中々味わい深いが、普通そこまで嫌がらせに手間暇かけるぐらいなら、もっと短絡的に放火かなにかでお茶を濁しそうな気がする。
やはり、風呂場の窓から、コウモリ氏が自由意思で進出した、で間違いないだろう。
風呂場の窓にも格子ははまっているが、網戸は無い。
シャワーを使った後、風呂場を乾燥させたくて、窓とドアは開けた。
風呂場を湿ったままにしておくと、カビ易いからだ。
しかも洋間へ向かう際、更に風通しを良くするために、リビングと洗面所の間のドアも開け放った。
コウモリ氏は、風呂場→洗面所→リビングの順で進出して来たのだろう。
風呂場の窓を閉めると同時に、風呂場と洗面所がコウモリ氏の巣になっていない事も、確認しておかなければならない。
もし、今まで気が付かなかったが、洗面台や風呂場で上を見上げて、天井に、無数のコウモリ諸氏を発見したら、どうするか?
その時には、キレイ事を言っている余裕は、多分私には無いだろう。
先ほど見たサイトの駆除業者さんに、電話するに違いない。
かくして『さよなら・コウモリ氏作戦(略称 BB作戦)』は
第一段階 洋間のベランダ側の窓を開け、洋間の明かりを消す。
第二段階 洋間のドアを開け放ち、リビングに進出する。
第三段階 玄関ドアを開けて、リビングの明かりを点ける。
第四段階 洗面所に移動して、風呂場と洗面所の様子を確認し、風呂場の窓を閉める。
第五段階 コウモリ氏が玄関ドアから外へ、もしくは洋間へ退去すれば、そのドアを閉鎖する。
という手順で順次行動する事とした。
上手くコウモリ氏を、ドアなり窓なりから屋外に誘導する事が出来れば、勝利である。
最悪、荷物が少なく比較的狭い、洋間へと誘導出来れば、その後の展開も楽になるだろう。
定規の先っちょにタオルを縛り付けたモノが、唯一の得物だ。
手の届かない所にコウモリ氏が一時避難をした場合、タオル定規で優しく刺激するのだ。
いささか頼りない武装だが、メーサー戦車や24連装ロケット砲の支援が受けられない以上、止むを得まい。
昔の子供は、竹竿の先にトリモチをくっ付けたものでコウモリを採っていたらしいので、定規の先に両面テープを着けようかとも考えたのだが、コウモリ氏へのダメージを考慮すると、粘着物は使用しない方が良いだろう。
さて、これ以上は逡巡していても始まらない。
時は満ちたのだ。
BB作戦 発動!
第一段階
パソコンとマグライトを物入れの中にしまい、誤って踏んだりしないようにする。
洋間のカーテン、サッシ、網戸を開き、大きく深呼吸。
タオル定規を手に持ち、洋間の明かりを消す。
これで、一時的に光源はキャップランプのみ、となった。
第二段階
もう一度深呼吸をして、そっとドアを開ける。
コウモリ氏が、北側の壁に取り付いたまま動いていないのを確認し、反対側の洗面所方面へ回り込む。
まだ、玄関ドアを開けていないが、位置関係を考えて、第四段階予定だった風呂場の確認を先に行う事にする。
臨機応変、というヤツだ。
洗面所に滑り込み、そっとドアを閉めてから、洗面所と風呂場の明かりを点ける。
素早く両ブロックを確認する。
……ラッキー! 我が家に進出したコウモリは、一匹だけだ!
天井に隙間無く群体がひしめいているような事態でなくて、ホッとする。
風呂場の窓を閉鎖する。明日にでも網戸用網かスダレを買ってきて、ガムテープか何かで生き物が入って来られないようにしよう。
第三段階
洗面所を消灯し、再びリビングに進出する。
洗面所のドアを素早く閉め、キッチンの流し伝いに玄関方面へ、ジリジリと前進する。
ガコッ!!
視線を北側の壁に向けていたせいで、亀吉君のタライを蹴飛ばしてしまった。
タライの中で大暴れする亀吉君!
うろたえるな! 心の中で亀吉君と自分とを叱り付ける。(亀吉君を叱ったのは、単なる八つ当たりだ。)
一方、コウモリ氏は微動だにしない。オトナだわ。
玄関に到達。……静かにドアを開放する。
いよいよリビングの点灯だ。
手のひらに、汗が滲んでいるのが分かる。
リビング中央へと前進し、サークラインの紐を引く。
点灯!! 同時に床にしゃがんで防御姿勢!
第五段階
部屋全体が明るくなった為か、遂にアブラコウモリは壁から離れ、飛行を再開した。
壁にしがみ付いている時は、あれほど小さく感じたのに、翼を広げたコウモリは、威圧感を持って頭上を制圧する!
私は、しゃがんだままタオル定規を振りかざし、形ばかりの抵抗を示しつつ、玄関方面へ後退する。
本当なら玄関方面は、屋外誘導経路の一つなのだから、洗面所方向か北側壁方向に移動するべきなのだが、恐慌状態の時に最善の選択をするのは難しい。
今だからこんな風に書いていられるので、その瞬間に私の口からは「ひいいいい!」という悲鳴が、確かに漏れていた。
アブラコウモリは、威嚇するようにリビング中を数回旋回すると、洋間の闇の中に消え去った。
私は猛ダッシュで、洋間へのドアを、乱暴に閉める。
こうして、BB作戦は一定の成果を上げた。
玄関ドアを閉めて施錠をすると、私は冷蔵庫から牛乳を取り出し、リビングの椅子で一息ついた。
全身が汗まみれだ。
まだ怒っているらしい亀吉君に、チーカマを特別配給する。
好物を貰った亀吉君は、直ぐに機嫌をなおす。
しかし、終わっていない事は認識している。
洋間の確認をしなければならない。
『第二次BB作戦』
第一作戦によって分かった事がある。
それは、私がコウモリ氏にビビっているのと同様に、コウモリ氏も私を怖がっているらしい、と言う事だ。
狭い空間での飛翔中、コウモリ氏は私との接触を巧みに避けた。
私がもう少し穏やかに接する事が出来れば、コウモリ氏を恐れさせずに捕獲する事が出来るかもしれない。
また、コウモリ氏が、仮に体当たりを仕掛けてきたとしても、私にはノー・ダメージなのだ。
『当たらなければ、どうと言う事は無い。』ですらなく『当たったところで、どうと言う事は無い。』
第二次作戦を決行するに当たって、マグライトは一次作戦の時に洋間にしまってしまったから、偵察にはキャップランプしか使えない。
ドアの隙間から、キャップランプのみで哨戒活動を行うよりも、大胆に洋間へ踏み込み、一気に明かりを点けよう。
そう! 『当たったところで、どうと言う事は無い。』
腹をくくった私は、大胆に洋間へと押し入った。
ドアを閉めると、中央へと進む。
明かりを点灯すると、素早く部屋中を見渡す。
コウモリは、ドア側の壁、天井近くに張り付いていた。
手の届かない場所だ。
窓から退去していることを期待していたが、そこまで都合良くは行かなかった。
小さく無害で温厚な哺乳類だ。
私は自分にそう言い聞かせ、タオル定規でコウモリを、そっと撫でる。
動かない。
もう少し、強く押してみる。
コウモリが、不意に飛び立つ。
私の周りをクルクルと旋回する。
声が出そうになるが、堪えてコウモリの動きを目で追う。
ひとしきり飛行したコウモリが、別の場所にしがみつく。
何回か繰り返す内に、遂にコウモリが手の届く場所に張り付いた。
ゆっくりと近づき、そっと手で押さえると、コウモリ氏は「ちゅう。」と小さく鳴いた。
手の中のコウモリ氏は、滑らかで柔らかい。
少し疲れたのか、無抵抗だ。
ちょっと不細工だが、愛らしい生き物だ。
先ほどまでビビっていたのが、なにやら可笑しい。
「なにコイツ、もしかしたら、亀吉より可愛いんじゃないの?」
私は窓から手を伸ばし、コウモリ氏を外に放った。
「バイバイ、元気でね!」
が、有ろう事か、コウモリ氏は、ヒラヒラと室内に舞い戻ってしまった。
何故だかは分からない。
もしかしたら、連日猛暑が続いていたから、先ほどまで利かせていたエアコンの冷気が心地よいのかもしれない。
妙に情が湧くが、野生のアブラコウモリを飼育するのは、ご法度なのだ。
何日間か「保護」をすることは許されていても、その後は解放するか、指定の保護施設に連れて行くかしなければならない。
私はもう一度、コウモリ氏を捕まえると、手を伸ばして網戸の外側へコウモリ氏を持ってゆく。
コウモリ氏が網にしがみ付くのを確認し、網戸を閉める。
さよならコウモリ君。
そして、サッシとカーテンを閉める。
やれやれ、私には亀吉君がいるじゃあないか。
『いざという時は、亀吉君が助けてくれる。』 母の予言は、それなりに正しかったのかもしれない。
・・・・・・・・・・・
こうして、私とアブラコウモリの一夜は終わったわけだが、
あなたの部屋は、大丈夫ですか?
風呂場の窓、トイレの窓は、ちゃんと閉まってますか?
アブラコウモリはともかく
『かしまさま』や『オラビ』が、やって来ているなんて事は
ありませんよね?




