本当にできた子だ
長く伸びた焦げ茶色の髪をシュシュでまとめ、軽くお化粧をして私はアパートを後にした。
「いってらっしゃい」
彼は微笑んで送り出してくれた。
よく知りもしない子を家に一人置くのはどうかなとは思うけど、彼が何か盗んだりとかするようには思えなかった。
それにしてもですよ。
私は至って平凡な顔した人間だ。身長も、160センチないくらい。
特別可愛いわけじゃなく。二重の大きな目が特徴なくらいか。あ、視力もいい。両方とも2.0だ。
そんな人間におりてきた、家事万能な天使のような男の子。
『なにそのゲーム展開』
電話の向こうのミクの声は、とても楽しそうだった。
「そうよねえ。私だって信じらんないわよ」
『会ってみたいなあ。ねえ、今夜行ってもいいよね』
なに、その断定形。
でも断る理由はなくて、私は頷く。
「いいけど。お酒買って来てくれるなら」
『わかった分かった。じゃあ、夕方行くからよろしくね~』
そう言って、電話は切れた。
今、私はスーパーの駐車場にいる。
着いて直後、私はミクに電話してレイジのことを話した。
とりあえず誰かに話したくって仕方なかった。
ある? こんなこと。
レイジが本当にいい子で。
私が着替える時も、覗いたりとかしてこなかったし身体に触れようともしてこない。
部屋にあるソファーは二人掛けだけど、隣に座ろうともしなかった。
ソファーの前に置かれた座卓の横に、座布団おいて座ってた。
部屋も片付けてくれて、家事やってくれて。
洗濯物だけは自分でやるって言ったら、さすがにそうですよね、って言って笑ってた。
着ていた服はデパートで売ってるようなブランド物。
持っていたカバンも高いやつだった。
絶対どこかの坊ちゃんだ。
でもなんでそんな子が身体売って家出なんてしてるんだろう?
お金ないのか? 考えれば考えるほどわからない。
買ってきてほしいっていって渡されたメモは至って普通の、まるで主婦のような内容。
ひき肉だとか、パン粉だとか。
そんな内容。
自分のものっぽいものは何一つ入ってなかった。
店内を回りながら、私は今時の高校生は何が好きなのか考えた。
とりあえず、ジュースは買っておこう。あと、ちょっとおかしと。
自分用にお酒とあとおつまみになりそうなの買って行こう。
うーん。ちょっとわくわくしてきた。
お昼どうしよう? 特に何も言ってなかったな。
パスタあったっけ? とりあえず買って行こう。パスタソースも。
一通り買い物を済ませ、私は帰路についた。
家で誰か待っている。というのはなんだか不思議な気持ちだった。
大学進学を機に家を出て、ずっと一人暮らし。
彼氏がいても同棲はしたことない。
車をアパートの前に止めて車を降りると、私服姿のレイジがいた。
彼は笑顔で、おかえりなさい、と言った。
「車の音が聞こえたので。
荷物運びますね」
「あ、うん。ありがとう」
どこまで優しい子なんですか。
彼は私の了解を得てから後部座席の扉を開けた。
袋は全部で3つある。まず手にしたのはジュースやお酒が入った重い袋たち。
最後に比較的軽いものが入った袋を持って。つまりは買ってきたもの全部レイジがもってくれた。
なんだか申し訳ないんだけどな。10は下であろう子に荷物持たせて。
「あ、鍵は?」
部屋の鍵。私は彼に鍵を渡してない。
彼は申し訳なさそうな顔をした。
「すみません。玄関の靴箱の上にスペアキーっぽいのがありましたので、それを使わせていただきました」
「あ。そっか」
そういえば予備キー、玄関に置いてあったっけ。
荷物を持って階段上って2階にある部屋に行く。
部屋の中はやっぱり綺麗に片付いていて。自分の部屋じゃないみたいだ。
レイジは買い物袋をキッチンに置くと、飲み物飲まれますか? と聞いてきた。
「あ、うん。じゃあ、麦茶お願い」
「わかりました。あと、すみません。お出かけの間に洗濯機使わせていただきました」
「はーい」
ベランダのほうをよく見ると、自分のものとはちがう服が干してある。
私はソファーに腰かけて彼を見た。
ジーパンの裾から見える、見覚えのあるチェック柄。それ、お高いジーパンですよね。デパートなんかで売っているやつだ。
それに、ちょっとだぼついた白いセーター。
首元からちらちら鎖骨が見える。わざとあんな服着ているんだろうか。
肌白くって、細身で。顔よくて。もてるだろうなあ。
テレビを適当に点けて、音楽チャンネルに合わせ、どうしようかと考えた。
とりあえず連休中はいていいと言ってしまった。
深く考えてなかった。明後日には帰るだろうか。ていうか、学校行っているんだろうか。
色々聞いても答えないだろうな。
飲み物を持って、彼はこちらにやってきた。
私の前にコップを置いて、座卓の横に置かれている座布団に座りながら言った。
「お昼、ご希望ありますか?」
「パスタ買ってきたから、それにしようかなって思ったけど」
「わかりました。じゃあ、それで僕、お作りしますね」
当たり前のように、彼は言う。
「え、でも、悪いし……」
「昨日の会話、ほとんど覚えてないみたいですね」
そう言って、彼は微笑んだ。
はい、覚えてません。私何言ったんですか。
私が頷くと、彼は白く細い手にお茶の入ったグラスを持った。
「おいていただく代わりに、家事はすべてやりますとお約束しました」
そう言って、彼は薄い唇にグラスをあてる。
その行動が本当に優雅で。私が10代ならくらくらしちゃうだろうなって思う。
でもお姉さん、10代は守備範囲外なんだよね。
いや、そうじゃない。
私、この子とそんな約束したのか。
うーん、憶えてない。
というか、彼が家事をやっていて、それを当たり前のように受け入れちゃっている自分がいる。
ってことは、たぶん、したんだろうな、約束。
たぶん、その勢いなら昨日何があったのか言っただろうな。
あ、そうだ。
「ねえ。レイジ君」
「はい」
「夕方に友達が来るって言ってたんだけど」
「昨日話されていたミクさんですか?」
ミクの話もしたのか、私は。
私が頷くと、彼は大丈夫ですよ、と言った。
「琴美さんのお部屋ですし。僕はおいていただいている身ですから」
まあ、そうなんだけどね。
私はコップに手を伸ばす。
愛用の、キャラ物のマグカップ。
ケットシーという猫のキャラクターが描かれている。一部マニアに有名なキャラだ。
難点は、ここ田舎だから、扱っている店がほとんどないってこと。
テレビでは、最新ヒットみたいな感じでいろんなアーティストの新曲が流れている。
その一つに、レイジが反応した。
彼っぽくない、激しい音楽。
『φ―ファイ―』という名前のバンドだ。濃いメイクに、きらびやかなドレスを着た男性5人組のバンド。
そういえば、このバンドのギターが「レイジ」だった気がする。
ミュージックビデオを見ると、ギターの子は、レイジに似てた。
肩口まで伸びた、サラサラの髪。メイクをしててわかりにくいけど、二重の大きな瞳。
人懐っこい感じの顔。
「好きなの?」
と聞いたら、首を振った。
「いえ。僕ではなくて、幼なじみが好きなんです」
幼なじみ。
なんでだろうか。心にちくっと刺さったぞ。
彼はじっと、そのミュージックビデオを見つめていた。
唇が歌詞に合わせてかすかに動く。
歌えるレベルってそうとうじゃないかな。これ、歌詞でてないですよ。
「日本のバンドはあまり聞く方ではないんですけどね。
このバンドは好きなんだそうです」
「大事な人?」
そう聞くと、彼はこちらを見て微笑んだ。
答える気はないですか。うん。
仕方ないから話題変えよう。
「私は、こういうのも聞くし、アイドルなんかも聞くけど。レイジ君はどんなのきくの?」
「僕ですか? 僕はクラシックとか、ワールドミュージックとかですね」
テレビから視線を離さず、レイジは今時の高校生っぽくないことを答えてきた。
「幼なじみの家いくと、こういう音楽ばかりかかっているので、ちょっと洗脳されかかってますけど」
そう言って、口元に笑みを浮かべる。
幼なじみ。どんな人ですか。
あ、気になっている自分がいる。
まだ出会って1日も経っていないのにね。
ミュージックビデオが終わり、また違うアーティストの音楽が流れる。
レイジはこちらを見て言った。
「お昼、作りはじめますね。もうすぐ12時ですし」
そして、彼は立ち上がる。
「あ、あと、琴美さん」
「なに?」
「本棚にある本、読んでも大丈夫ですか?」
「え? あ、うん。どうぞ」
本棚にあるのは、最近のライトノベルとシャーロックホームズですけど。
すると、彼はにこっと笑って、
「ホームズ、読んでるんです」
と言った。