おしまいの日
もし明日世界が終わるとしたら、最後の一日は誰と過ごす?
そんな質問が流行ったことがあった。あれは世紀の変わり目だったろうか。
ふとそんなことを思い出して、自分の数歩前を歩く相手に声をかける。
「なあ、」
声をかけられた方はちらりとこちらに視線を寄越したが、言葉にしての返事はなかった。
それでもきちんと聞いているという態度の肯定はあったから、気にせず先を続ける。
「もし明日世界が終わるとしたら、最後の一日は誰と過ごす?」
「何、突然」
思ったことをそのまま言葉に出しただけの質問に、相手は怪訝な表情を隠そうともせず足を止めると振り返ってこちらを見た。
「いや、今突然思い出して」
昔そんな質問が流行らなかったか? そう訊くと、相手もああ、と何かを思い出したようだったが、相変わらず足は止まったままだ。
だから、隣に並ぶと促すようにゆるゆると歩を進める。
「なあ、お前は誰と過ごしたい?」
「そんなこと聞いてどうするの?」
少し呆れたような、かすかに笑いを含んだ声には、珍しく毒がなかった。
けれどやっぱり、いつものようにはぐらかすような言葉しか返してくれない。
相手が自分と並んで歩き出したのを視界の外で感じながら、「どうって、」と自分でも首を傾げてしまう。
そう、そんな質問に大した意味なんてありはしないのだ。
思いついたから訊いてみただけ。理由なんて「なんとなく」以外の何ものでもない。
「なんとなく?」
だから可笑しくなって同じ言葉を繰り返してしまう。
「そう、なんとなく」
「なんとなく?」
相手もまた聞き返してきたけれど、その声はさっきのものよりはっきりと可笑しそうな笑いが混じっていた。
だって、今日はいい天気だ。
空は高くて雲は白くて、気温だって暑くもなければ寒くもない。
気持ちの良い午後、というタイトルをつけて飾っておきたくなるぐらい、いい日なのだ。
そんな日には、多少のことは気にならない。
何もしなくても自然に口許がほころぶような昼下がりだから。
それでも、もしも。
「もしも、世界が明日終わるとしたら、」
そうだなあ、とさして深刻そうでもなく相手は呟き、何かを思いついたようにくすりと笑った。
「僕は今日と同じように過ごしたいね」
その答えはどんな想像とも違っていて、思わずぽかんと口を開けてしまう。
「――今日と?」
「そう、」
相手はしなやかな体をぐうっと伸ばすと、そのまま数拍おいて元の姿勢に戻った。
「今日と同じように会社に行って、仕事をして、」
「仕事すんのか?」
思わず問うと「するんだよ」と笑い含みの答えが返る。
「それが僕らの存在意義だろ」と。
「仕事して、ご飯食べて、」
「…こんな風に散歩、とか?」
おそるおそる差し挟んだ提案に、相手が下を向いて笑う。
「悪くないね」
それから、こんな風なおしゃべりとかも、と相手は言葉を補った。
「で、夜は宿舎に帰って眠る。それでいい。いや、――それがいい」
それ以上なんか望まないな、笑いながら告げられた言葉と、それを告げた相手に対して、酷く強い感情が体の中で咆哮をあげた、気がした。
目の眩むような、あまりにも強く、入り乱れた感情。
それは、強すぎるがゆえに小さな「へえ」という呟きでしか、外にこぼれることがなかったけれど。
告げられたのは、「今日と同じ」と言うよりは「いつもと同じ」と言うべき諸々で、他愛のない毎日が相手の中でどんな風に重ねられていっているのか、今度聞いてみたいと思った。
――今度。
今度までも待てるものか。
今、今確かめたい。
この、ひとつだけでも。
「…なあ。今日と同じに、って言ったよな?」
「うん?」
「今日と同じに、――オレと?」
そうとしか聞けなかった相手の言葉を、それでもきちんと明言して欲しくて、答えをねだる。
「オレと、だよな?」
もっとはっきりとした確約が欲しい。
誤魔化しもはぐらかしも効かないほどに、はっきりとした。
その気持ちが逸って、急かすような、畳み掛けるような、問いを重ねてしまう。
「――何を言わせたいの?」
一瞬虚を突かれた相手が、我に返って睨むようにこちらを見た。
その顔は憎らしいほど冷静そのもの。
熱に浮かされる自分が馬鹿みたいだとも思う。
それでも。
「分かってんだろ」
心の内に湧き上がる感情のまま、相手の答えを聞く前に手が出ていた。
その、自分とは違う性別特有の柔らかな曲線を描く体を腕の中に閉じ込めると、相手の呆れたような声が耳のすぐ側で聞こえた。
「絶対、僕は言わないからね」
――言わせてみせる。いつか、きっと。
片方はボクっ娘なのでNLです。ノーマルです。(重要なので二度。)