エピローグ:復讐の鎮火
これにて終了です。お付き合いありがとうございました。
後日、身元不明の遺体が川岸に流れ着いたとの報道があった。ずいぶんと腐敗が進んでいたらしく、もとは服だったらしい黒色の布切れが周りに纏われていたという。
その後行われた司法解剖でようやく成人済の女性であることが判明し、富広中学校勤務の若い女性教諭が行方不明になっていることから、遺体の身元はこの女性教諭である可能性が高いとのことだった。
「まったく、物騒な事件が多いことだ」
ばさり、と新聞記事が乱暴にデスクへ置かれる。三面記事には『副島商事、明日にも破産申告。ついに倒産へ』とか『社長殺害容疑で逮捕の元社員、採決待たず脱獄か』などといった見出しが躍っていた。
これについても保阪はもちろん事情を知らないので、いつものように「怖いねぇ」と肩をすくめるだけ。
けれど亮太は、いつもそうしているように同意する気にはなれなかった。
枯れた花は、もの悲しいほどに無残だ。
そしてほぼ同じ頃、ビルの二階が空き家になった。弁護士の八神が、事務所を閉めて引っ越したらしい。
餞別にと、事務所にちょっとした菓子折が届いた。兎をモチーフにした、彼のペットを思わせるココアクッキー。どこで買ったのか、それともオーダーメイドにでもしたのだろうか、細かいことは知らないが……。
彼もまた、目的を達したのだろうか。
最愛の黒兎と一緒に、今頃どこかで平穏に暮らしているのだろうか。
連絡先も繋がらず、今となっては知る由もないことだ。
雪の吹きすさぶ崖で亮太とともに保護された瑠璃は、亮太と引き離された後に若槻の街から出され、どこかの何とかという街にあるらしい大規模な精神病院へ送り込まれた。
前回、精神科病棟から無断で抜け出したことを考慮して、病室は個室になり、厳重に鍵がかけられているという。ベッドに両手両足を固定されたまま、栄養分を点滴によって補給しているらしいと聞いた。
いわゆる、飼い殺しというやつだ。
範子が一方的に送りつけてきた動画には、充血した目をカッと見開いた瑠璃が映っていて、時折ギャーとかワオーとか意味をなさない奇声を上げていた。痩せ細った腕の動きに合わせてギチギチと音の鳴る鎖や、動き回ったせいで傷だらけになったボロボロの肌が、なんとも痛々しい。
手入れが行き届かず別人のようにボサボサになった髪も相まって、その様子はまるで檻に閉じ込められたライオンのようだった。
『娘の何もかもを狂わせた、あなたを許しません』
そのメッセージに、亮太は佳月の遺影を添付してこう返信をした。
『あなたの娘さんも、俺の姉と同じ目に遭えばいい』
瑠璃関連の連絡先を全てブロックし、完全消去した携帯電話を、亮太は何の感情も宿さぬ顔でズボンのポケットにねじ込む。仕事が落ち着いたら、引っ越そうと決意した。
いずれ彼女は、あの閉鎖空間の中で狂い死ぬのだろうか。きっともう、同じ空の下に戻ってくることは二度とないだろうが……。
ようやく解放されてホッとしたような、でも少しだけ心に穴が開いたような、不思議な心持ちだった。
こうすることは、果たして姉への弔いとなりえたのか。
亮太の望み通り、瑠璃の人生は確かにめちゃくちゃになった。それでも、姉は……佳月は、戻ってこない。
もう二度と、あの懐かしい声で「亮ちゃん」と呼ばれることはないのだ。柔らかく慈しみに溢れた笑みを、向けてもらえることはないのだ。
忍海は、あの日のことに関して何も言わない。もちろん――気づいているのかいないのかは分からないが――あの日、連絡が取れなかったことについての謝罪もなかった。
「そういや、前言ってたスクープがどうとかって……あれはどうなったんだよ」
「え、スクープ? 言ってたっけ。そんなでかい特ダネ、あるなら俺の方がむしろ教えてほしいくらいだけどなぁ」
いつものように感情の読めない、うさんくさい笑みを浮かべるだけだ。
ただ、少しだけ。少しだけ以前より、不思議と憑き物が取れたような、スッキリした表情をしていた――ような気がした。彼自身も佳月の件に関して、あるいは『黒百合』の彼女に対して、個人的に何やら思うところがあったのかもしれない。
彼自身の口から聞くことはきっと、これからも二度とないのだろう。
亮太自身も、日常にすっかり戻っている。
事務所に出勤して、担当する会社の帳簿をチェックして、たまに得意先の人間と飲む。休みの日には羽を伸ばし、気が向いたら実家へ帰り、忍海と会って近況を報告する。これまでのことで多少欠けた存在はあっても、いつも通りの平和な生活。
そろそろ、時期的に確定申告が始まる頃だ。ますます忙しくなるだろう。
それでも、時折ふと思い出す。
黒いワンピースを身に纏った、美しい女のことを。
彼女が最後に見せた、絶望と諦めに満ちた瞳の色を――そして口元に浮かんだ、美しく凄絶な笑みを。
あの瞬間、彼女が何を思ったのか。
分かる日が来るとすれば、おそらく自分が死ぬときだろう。
それはもう、この記憶が薄れるほど何十年も後のことなのか。あるいは今から五分も経たない頃なのか、分からないけれど。
その時までは、せめて――……。
心の片隅に小さな黒百合の花を咲かせ、亮太は今日も何気ない顔で。
日常に、溶けこんでゆく。




