表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
チョコレイト・リリィの誘惑  作者:
4.愛憎
53/66

瓜を二つに割りたる如し

 若槻駅で人身事故があり、亮太が乗ろうとしていた電車は運休を余儀なくされた。その上現場にいたために警察から事情を聞かれることとなり、予定よりも帰省が遅くなってしまった。

 大の男とはいえ、さすがにあの現場を直視するのはきつかった。それも彼女がそう(・・)なった過程が過程なので、せっかく実家へ帰って来られたものの、今の気分はナーバスどころではない。

 女性は瑠璃と同じく若槻銀行の職員で、薬物中毒者だったらしく、当時警官に追われて錯乱状態になっていた……という細かな事情は後になってから知った。亮太がホームでぶつかってこようとした女を避けた――そして支えを失った女はホームに落ちた――ことについても、人間だったら当然の反応なんだから気に病むことはないと、警察の人に宥められた。

 ニュースで事情を知ったらしい兄は、わざわざ若槻駅まで亮太を迎えに来てくれた。いつものように感情の機微に乏しい淡々とした声で、彼なりに「気にするな」と声を掛けてくれたが、どうにも亮太の気分は晴れなかった。


 帰ってきて荷物を置き、一息つく。

 あの一件からほとんどまともに食べ物を口にしていない。何か食べないと身体に悪いからいけないと、母と兄には揃って諭されたが、どうにも気分が悪く食欲がわかなかった。

「……ったく。年の瀬だってのに、散々な目に遭った」

 亮太は早速仏壇の前にやって来た。佳月の遺影に対して、いつも自分のアパートでそうしているようにぽつりと独り言をぼやく。

「ねぇ佳月、酷いと思わない? 俺、なんか悪いことした?」

 実家だからという安心感が無意識にそうさせるのか、いつもより話し方も自然と子供っぽくなる。隣の父親は、笑っているだろうか。

 佳月ならきっと『大変だったね、亮ちゃん』と案じるように眉を下げ、駄菓子屋に置いてある懐かしい色合いの缶から、甘くてカラフルなドロップを一つ取り出し、亮太に分けてくれただろう。

『元気になれる、おまじないよ』

 昔から、亮太が悩んでいる時や落ち込んでいる時には、決まって佳月が甘ったるいドロップの香りと一緒に慰めてくれた。昔からパッケージや形の変遷は何度もあったけど、佳月が選ぶのはいつも同じブランドだった。

 佳月が亡くなってからは、いつしか亮太も無意識に、自身でそれを選んで買うようになっていた。佳月の形見、と言えばそうなのかもしれない。

 父と姉の遺影が仲良く並ぶ仏壇に、そのドロップが缶ごと供えてある。母親がいつも買っているのだろう。

 亮太は缶を手に取ると、何度か外からトントンと叩いて、互いにベタベタくっついているであろう飴の中身をばらした。そうして蓋を開け、中から一つ取り出す。久しぶりの食事がドロップ一個というのも妙な話だが、何となく佳月が食べるように促してくれているような気がしたのだ。

 ころり、手のひらに出されたそれに、思わず眉をひそめる。

 黒百合の花弁からのぞく艶やかで健康的な唇と、あの時駅のホームで飛び散った血液を思わせる、憎たらしいほど鮮やかな紅色のドロップだった。


    ◆◆◆


「そろそろ答え合わせ、してもいい頃なんじゃないのか?」

 仕事もあるし、明日にはもう戻らないといけないんだけど……と忍海が半ば呆れて言うと、ふふ、と香澄は不敵に笑った。

「抱いてくれたらね」

「またそれか」

 同じ答えに、いい加減辟易する。

 心から望んでもいないことを、この女はどうしてこうも容易く口にできるのだろう。相手が忍海でなければきっと、今頃その美しい身体をぐちゃぐちゃに穢されている頃だろうに。

 ――まぁ、もうとっくに穢れている、か。

 意地の悪いことを考え、忍海は小さくほくそ笑む。幸い、香澄は向こうを向いていて気づかないようだった。


 一度、香澄が眠っている間にその荷物を――シンプルな黒いポーチの中を、探ってみたことがある。

 彼女の持ち物は些細な小物でさえ徹底して黒で統一されていて、結局普段の服装もさることながら、そこまで黒という色にこだわる理由は何なのかという奇妙な疑問が残った。

 そして、何より彼女が所持する手帳のポケットに挟まっていた、一枚の写真。

 被写体本人は撮られていることにまるで気付いていないようで、どこか別の方向を見ている。……が、その姿は忍海がよく知っている人物。

 そう、宮代亮太だ。

 そしてやはり、疑問が生まれる。

 宮代亮太が、彼女の過去に――そしてこれからの目的に、どんな関係があるというのだろうか。

 忍海は亮太のことを、昔から知っている。けれど、新藤香澄という人物に関する話はこれまで一度も聞いたことがない。これまで彼が付き合ってきた恋人にも、そんな名前と容姿の女性はいなかったはずだし……まぁ、あくまで忍海が知る範囲の中で、だが。

 しかし、この離島で彼女の過去を洗うにあたり、残った疑問点はそこだけだ。香澄本人が教えてくれないなら、忍海が自分で探ってみるしかない。

「お風呂、先に頂くわね」

「あぁ」

 忍海の心情など知る由もないとでもいうように、香澄は読めない笑みを浮かべておっとりと立ち上がる。

 どうやら背を向けている間に、入浴の準備を済ませていたらしい。タオルはホテル備え付けのものを使用しているらしく、黒で統一された他の私物に対し真っ白で染み一つ存在しない。それだけが、ひどく異質のもののように悪目立ちしていた。

 香澄が浴室に消えたのを見計らい、忍海はもう一度彼女の荷物から真っ黒い手帳を取り出し、隠すように忍ばれていたその写真を改めてしげしげと眺める。

「……やっぱり、宮代だよな」

 それもきっと、最近撮られたもの。

 ポケットから出して直接手に取ってみると、そこでようやく、一枚の写真にしてはやたら分厚いことに気付く。

「ん?」

 見てみると、どうやら写真の下の部分は封筒になっているらしかった。何の変哲もない茶封筒に、写真がぺたりと貼られている状態だ。

 封筒は糊付けされておらず、中を見ることは容易だった。

 まず中に入っていたのは、折り畳まれた新聞記事。これは五年前の、香澄が巻き込まれたという交通事故の記事で、忍海も単独の取材中に一度目を通したことがある。ちなみにこの事故による影響なのか、香澄は取材の移動中、かたくなに車の助手席に乗ることを嫌がっていた。

 そしてさらに、ずいぶん昔に撮られたらしい一枚の写真も出てきた。忍海は初めて見るものだ。くすんだ景色の中に、セーラー服を着た少女と、もう一人三十代前後くらいと思しき青年が映っている。

 その姿を、そして新聞記事に掲載されたくすんだ顔写真をよく見比べて、忍海は目を大きく見開いた。

「な、んで……」

 そうだ。どうして気が付かなかったんだろう。

 驚愕に固まる忍海は、浴室から出てきた香澄の気配を逃していた。

 新聞記事には、そして忍海が手にしていた写真の中には、今の香澄を幼くしたような年若い少女と、もう一人――亮太(・・)が、いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ