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チョコレイト・リリィの誘惑  作者:
3.失望
40/66

新たな飛び火

今回は、自分でも書いてて若干引きました。

エログロ好きさんには全然大したことないのかもしれませんが、一応注意願います。

 ――え、何それ? いきなりいじめを止めろって。

 ――自分が率先してやってたくせに、都合いいこと言っちゃって。どういう風の吹き回しよ。

 ――委員長? まさか、うちのクラスの委員長は確かに賢いけど、あたしたちと同じ人間だよ。中学生のオンナノコ。そんな程度の権力に屈するほど、あんたって弱い人間だったの?

 ――自分はあんなに一人の子を散々いじめて追い詰めといてさぁ、誰かにばれたらすぐさま手のひら返し。すごい神経。

 ――先生にチクられるのがそんなに怖いわけ? まじ、チキってる。

 ――やだぁ、ゲンメツ。


 ――ねぇねぇ。じゃあさ、あの子のこといじめちゃダメっていうなら。


 ――あんたが、身代わりになってくれるってことよね?


    ◆◆◆


「シズルさんが? まさか」

 妻はフッ、と笑った。

「あの人はもういないでしょう」

「でも、間違いないんだ。この間、瑠璃と一緒に歩いていた男」

「瑠璃ちゃんだってもうお年頃よ。お付き合いしている方がいらっしゃるのは、普通のことでしょう」

「そうじゃないんだ。あいつは……間違いなく、シズルそのものだった」

「いい加減に目をお覚ましなさいよ」

 奇妙な宗教相手に信心し、黒いワンピースの美しい女を盲目に慕っているような頭のおかしい女にだけは言われたくない。そう思いながらも、言い返すことは叶わなかった。

 自分が心身ともに追い詰められつつあることに、薄々気づいているから。

「あの人はもう死んでしまったの。罰が当たったんだわ」

 ――当然よね。

「彼は、あなたを(・・・・)裏切った(・・・・)のだから」

 事実が自然と歪曲されていることに、彼女はきっと気づいている。知っていてわざと、そう言っているのだ。

 自身の作り上げた心地よく都合のいい楽園の中に閉じこもっていつまでも出てこない彼女は、本当は誰よりも聡明だ。だからこそ、何も知らない愚鈍な女の仮面を被り、自分の理想郷の中でその存在を示し続けている。

 哀れな女だと思うにつけて、その事実は夫である自分を、じわじわと真綿で首を絞めるように苦しめる。

「疲れているんだわ、あなた」

 食後のダイニングテーブルに、温かい煎茶の入った湯呑が置かれる。ゆらゆらと陽炎のごとく揺れる白い湯気を見ながら、佐川は不安定な自分の行く末に思いを馳せた。


    ◆◆◆


 ――ガタンッ、

 空き教室に雑多に置かれたテーブルに、以前より痩せた身体は呆気なくぶつかった。また新しいあざができるのだろうが、攻撃を加えた側である帆波はまるで他人事のように素知らぬ顔。

 先日、帆波に『犬』として認定された元いじめっ子の女生徒は、椅子の丸い角に喉をぶつけたらしく、ゲホゲホと嗚咽交じりに咳き込んでいた。

 のけぞった拍子に、セーラー服の襟元からちらりと肌がのぞく。そこに、明らかに自身はつけた覚えがない火傷の跡を見つけて、帆波はピクリ、と眉を動かした。

「何、お父さんに煙草でも押し付けられたの」

 無感情に尋ねれば、涙を浮かべた弱々しい瞳が帆波を見上げた。それがまた無知な母親によく似ていて、腹立たしい。

「こ、れは」

 帆波に見つけられたことが何か不都合だったのか、『犬』は言いよどむように口を開閉させた。先ほどから顎を蹴りあげ歯をガチガチと鳴らせたり腹を思いきり踏んづけ昼の給食を吐き出させたりといった攻撃を繰り返していたが、それもそろそろ飽きてきたので、帆波はいったん一休みするために近くの椅子へ腰かける。

 靴の先っぽが、吐瀉物で少し汚れた。あとで洗わなければいけないな、と思いながら、帆波は淡々と続けた。

「ちょっと服、脱いでみて」

 シンとした空間に、苦しげな吐息だけが聞こえる。帆波がちらりと一瞥すると、その場に倒れ伏していた『犬』は観念したようにそっと起き上がった。ふらふらと立ち上がり、言われた通り埃まみれのセーラー服に手を掛ける。

 セーラー服の下には、少し薄汚れた体操服。それも脱げば、発展途上の胸を、白地に水色のラインが入ったシンプルなスポーツブラジャーが包んでいた。

 それも取るように言えば、一瞬ためらったもののおずおずとずらし、ほとんど膨らみのない胸をあらわにする。多少崩れたようなお椀型の双丘にはまだ真新しい、まるで乱暴に鷲掴まれたような跡があった。

 下はまだスカートを履いたままだが、少女を全裸にしてその身体をまじまじと眺めるような趣味は、あいにく帆波にはない。

 服を着直すように指示しようと口を開くと、『犬』は足を少しずらした後、何故か激痛に顔を歪めた。

 どうしたのだろうと思っていると、小刻みに震える足を伝って、鮮血がつぅっと垂れるのが見えた。

「生理? ……あぁ、お腹が痛いだろうに、あんなに踏んづけちゃって。少し悪いことをしたわね」

 ちっとも悪いと思っていなさそうな口調で帆波が呟けば、『犬』は自身の胸を掻き抱きながら、ボロボロと涙を流し首を横に振った。

 立ち上がった帆波が近づき、湿ったスカートを僅かにめくった。下着付近に、きらりと何やら光るものがへばりついているのを見つける。

 手に取ってみれば、乾きかけのどす黒い血で汚れたそれは薄いガラスの破片だった。多分、これ以外にも細かいのがまだいくらか下着の中に忍んでいるだろう。

 なるほど、痛いはずだ。

「……そういえば」

 思い出すのは昨日の、理科の授業だ。

 その日は理科室でちょっとした液同士の混合に関する実験をしたのだが、その時に教卓で黒いワンピースの上に白衣を羽織った女教師が、首を傾げていた。

『あら、試験管が一本足りないわね。誰か、知ってる……訳ないわよね。理科室はさっき開けたんだもの』

 他のクラスの子が割っちゃったのかしら、それとも盗まれた? どっちにしても嫌ねぇ、などと香澄は笑っていたが……。

 先ほど掃除の後にゴミを出しに行った時、燃えないゴミのところに割れた薄いガラスが散らばっていた。今思い出せばあれは筒状だったようにも思えるし、ところどころに血が付いていたような気もする。

「なるほどね」

 先ほどの見覚えのない火傷跡も、おそらく関係があるだろう。以前とある少女がいじめられていた時と、クラス内はほとんど何も変わっていない。

 おそらく、生贄(ターゲット)が変わったのだろう。

「……ま、自業自得だわね」

 帆波が彼女にこうして暴行を加えるのは、毎日ではない。気が向いた時や、前日に家でストレスが溜まった時などだけ呼び出す。場所は決まって、この空き教室だ。

 『その時』がいつ来るのかびくびくと怯えながら、こちらの様子をちらちらと伺う『犬』の姿は見ていて愉快だったのだが、そんな余裕もないほどにここ最近は衰弱している気がして少々退屈だった。

 昼休みや放課後など、姿が見えなくなることもしばしばあったが……なるほど、そういうことだったか。

 中学生なんていう年頃は、中途半端にものを知っている。だからこそ、好奇心から簡単に残酷なことができるというものだ。

 盗まれたのであろう試験管はいつ、彼女の胎内に仕込まれたのか。おそらく、昨日の放課後か……今日の、昼休みか。

 そういえば、今日は動きが少々ぎこちなかったような気もする。さっき散々暴行を加えた時に彼女を纏った血の中にも、胎内からのものが少なからず混じっていたのかもしれない。

 どっちにしても、今更血が出てきたということは、中で割れた破片が残っていたのだろう。その痛みを考えると、さすがにやりすぎじゃないかと少し引いてしまう。

 まぁだからといって、助ける気もないけれど。

「さて、いつまで持つかなぁ」

 一人の少女の悲痛な鳴き声さえも心地よいBGMとするように、ポケットから出した携帯電話を見ながら、帆波は呑気に呟いた。

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