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チョコレイト・リリィの誘惑  作者:
はじまり
1/66

プロローグ:復讐の点火

ってなわけで新連載。

いつも凛が書いているほのぼのとは、また違った感じの何かをお届けできれば…と思っています。

 朝ヶ原(あさがはら)二丁目。とあるアパートの、一室。

 コツリ、と辺りにハイヒールの音を響かせた女は、慎重な手つきで目の前に位置するインターホンを深く押した。

「こんにちは」

 ドアを開けた途端現れた、全身を漆黒で包んだショートカットの女。見覚えのある姿に、男は改まったように急いで頭を下げた。

「……お久しぶり、です」

 ――その節はどうも、申し訳ございませんでした。

 この五年で、重ねた謝罪は幾度目になるのだろう。どれだけ重ねてみせたところで、相手には誠意の欠片も伝わっていないのであろうことも、自分が背負うことになった重すぎる荷物が軽減されるわけではないことも、男は痛いほど理解していた。

 こちらの意図を理解しているのかいないのか、女は柔らかに微笑む。五年ぶりに顔を合わせた女は、セーラー服を着たあどけない高校生の少女から、物腰豊かな大人の女性へとその姿を変えていた。

 能面のような無表情を浮かべた、額に包帯をした少女。彼女がかつてその額から血を流した、大破した乗用車の中、隣でぐったりと力尽きていたのは――……。

 封印したくてもしきれない、五年前のあの日のことを思い浮かべ、ズキリと頭が脈打つように痛む。無意識に、手が震えた。

 けれど目の前にいるその女は今、怖いほどに穏やかで、波風一つない落ち着き払った微笑みを湛えていた。こちらの波立った感情など、まるで知る由もないとでも言うように。

「今日はまた、どうしてこちらに」

「えぇ……」

 外は今、雨が降っているらしい。女の傍らに畳まれた黒い傘は、柄の先からポタリ、と滴を垂らし、足元のコンクリートを淫靡に濡らした。

「わたし、春からこの街で働くことになりまして。先日引っ越して来たんです。……それで、ご挨拶に」

「よく、ここが分かりましたね」

「この五年間ずっと、欠かさず手紙を書いてくれていたでしょう。そこに書かれていた住所を……頼りに」

「そう、でしたか」

 自然と、男の声が震える。

 あれからもう、五年の月日が経った。かつて血を流したその額には、今や少しの傷も残っていない。

 それでも、あの日彼女が心に負った深い傷など、その程度の年月の経過では癒えるわけがないだろう。彼女も成人し、もはや立派な大人だ。もしや、五年越しに恨みを晴らしにやって来たのだろうか。その可能性も否定できない。

 背中に冷や汗が伝うのを感じつつ、目の前の彼女に悟られぬよう一瞬だけ瞳を閉じ、再び開く。少しうつむきがちに立っていた女は、ゆっくりと顔を上げた。

 その一挙一動が、スローモーションのごとくゆっくりと、確実に、男の網膜に焦げ付くように痕を残していく。

「ねぇ。もう、苦しまないで」

 あの日流された血のように真っ赤な唇をゆるりと歪めた女は、しっとりとした声で言った。

「わたしは、最初からあなたを恨んでなんていないのよ」

 どくり、と胸が嫌な音を立てて高鳴る。

 まさか、彼女は……?

 ふと考えて、そんなわけがないとすぐに否定する。あの時のことは……本当のこと(・・・・・)は、誰も知らないはずだ。

 そう、自分と()以外には、誰も。

「どういう、ことです?」

 強がりを言う時みたいな、少し上ずった声で尋ねれば、彼女の唇が愉快そうに動いた。

「分かっているくせに」

「何を……」

「あの人を殺したのは」

 男の言葉を遮り、女は言った。きっぱりと、断定するような響きで、強く。

「あの人を殺したのは、あなたじゃない」

 あなたには、庇っている相手がいる。

「……そうよね?」

「……っ」

 違うと、言いたかった。いや、言わなければならなかった。あの人を……どうしても、守らなければいけないから。

 けれど、唇は思うようにうまく動いてくれない。ただだらしなく半開きになったまま、小刻みに震えるだけだ。

「僕は……」

「ねぇ」

 やけに甘くねっとりとした声が、緩んだ女の唇から零れる。奔放な悪女のような口元とは裏腹に、その瞳は何かを決意した時のような、強い光を宿していた。

「本当は、あなたも――……」

 憎いのでしょう?

「あなたに全ての責任を押し付け、今も素知らぬ顔でのうのうとトップの座に君臨し続けている、あの男が」

 にぃ、と口角を上げ、漆黒の女は囁く。男の心に残ったままの醜い焦げ跡が、再び息を吹き返すように疼いた。

「あなたは、ただわたしの言うとおりにしてくれればいい。だから」

 ――ねぇ。わたしと一緒に、恨みを晴らしましょう?

 かちり、

 男の耳に、やけにはっきりとした音が響く。幻聴であることは分かっていたけれど、男の耳には実際にそれが聞こえた。

 それは、男の心に火を点ける音。今まで押さえていた男の復讐心に、改めて点火された音。

 真っ青になるほど唇を噛み締めた男は――……やがて、反応を待つ女の腕を取り、薄暗い部屋の中へ引き込んだ。

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