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小鬼の夢  作者: 明日
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退屈な話

 これでもかと趣味全開の話で、且つ色々適当、途轍もなくつまらない話です。

 いつでも終われる話です。

 一度帰宅し荷物を自室に放り、又出掛ける旨をお勝手の食器棚を整理中の祖母に伝え、気を付けて、と祖母の声を背中に聞いて再度家を出た。金属の枠の歪んだ泥落としを踏ん付け、玄関の引戸を閉めるが、勢い余って隙間が出来た。耳を劈く騒音に肝を冷やし、家の中から怒鳴り声がしないか全神経を研ぎ澄まして室内の音響を聴くが、誰の反応も無いので胸を撫で下ろした。だが油断はならない、帰宅後に祖父か父か母に呼ばれ、今の戸の開閉の乱暴さ加減を叱られる可能性も否めず、帰りは祖父や両親の目に注意して、静かに戸を開け閉めしようと決めた。これが、当時は決意したばかりだから良いが、帰った時、実際に戸の開け閉めをすると音が五月蠅い。多分怒られるだろう。

 玄関の直ぐ目の前は祖母の趣味の植木が茂り、種類も品名も知らなぬ一列に並ぶ樹木の脇を過ぎ、屋根が無いから車庫でない自家用車を置く駐車場の手前、祖父の趣味のトタン屋根の工場を覗いて人気の有無を確認する。玄関先五メートルも離れていない工場に厳格な祖父が居れば、先刻の戸の音を聞くと、忽ち満面朱を濺いで工場を飛び出し、拳骨を振り翳して孫娘の脳天を殴る位礼儀作法に煩く、遊びに行く所の首根っこを掴んで玄関に引き摺り一時間に及ぶ説教が始まるに違いない。平生は孫に大変甘い祖父だが、事礼節に関しての妥協は無く、自分の娘や孫娘に茶道やお筝を習わせようと考える程である。祖母と父の反対で、母と孫娘の作法の教育云々は無事御蔵入りとなって、現在の私が居る。

 真っ黒の油塗れの機械の散らかる小屋は祖父の城だ、祖母も孫も近寄らぬ此処に、定年を迎えて久しい祖父は一日中籠もって好きな機械を弄り倒す。近所の金物屋から壊れた草刈り機等を貰い、持ち帰って弄って、直ると店に返し小遣いを稼ぐ。定年後の楽しみらしく、怪我が無いなら宜しい、と祖父の子の母は言う。実子が許可するなら孫が幾ら言っても聞かない、抑も機械弄りを止めさす理由も無いし、当人が二十年三十年の余生を満喫せんと見い出した趣味だし、もう一つの趣味の煙草と酒より遥かに健康的だと思われる。三年前、心筋梗塞で入院し手術し、病室で煙草を思う存分吹かす夢を見る程の煙草好きの人を想えば、煙草を忘れる程の趣味が出来ればと思わずにいられない。況んや煙草お酒はそれだけ依存性が有り、人生を謳歌するに肝要な健康を狂わす劇薬で、危ない薬程飲みたくなる物はないと言う理屈である。

 寿命をへずっても吹かしたい飲みたい、煙草お酒大好きの祖父の城を横切り駐車場を過ぎ、直ぐ前が国道何号線か忘れた道路があって、左手に親戚の運営する硝子工房、右手は余所様の経営される飲食店とその店の規模に不相応の広大な駐車場、土地は祖父母が管理を面倒臭がり貸したものが使われ、数年前に完成した。隣の店の駐車場が満車になる所は、完成から数年経つが、未だ見た覚えはない。前述の通り店の規模に不相応の面積を誇る駐車場、両親は自分達の自動車の出し入れに邪魔だと文句を言っていた。

 運転免許を持たぬ私が言っても真剣さ、切実さが伝わらないので愚痴を綴るのも止めるが、両親の自動車に乗って出掛けて帰る時、中々家の駐車場に入れない時は苛々する。こう言う場合は、両親の愚痴も尤もだと思う。

 駐車場を出て右折し、飲食店の横を通って真っ直ぐ行き、個人経営の飲食店が国道沿いに軒を連ね、毎度仲見世通りの気持で店の途切れる十字路まで歩き、右折して本屋服屋人家の点在する道路を、奥の商店街と手前の人家を区切る踏切が見える距離に一度立ち止まる。前後の自動車や左右の電車を確かめ、踏切を渡ると同時に警報器が鳴り響き、黒と黄色の遮断機が下りた。右手に地域で最大規模の本屋があり、左に伸びる道を行くと駅がある。目的地は真っ直ぐの道路を更に行った先の十字路を、まだ真っ直ぐ行って、又十字路を右折し、ご大層な名前の塾を通り過ぎる。すると近所の幼稚園児や下校中の小学生が集まる公園があって、公衆便所脇の車止めを擦り抜け入ると、最奥に神社の鼠色の鳥居が見える。鳥居の横は横幅の広い石段が設置せられ、境内に繋がっている。

 公園を突っ切り、年代物の何かの石碑を横切り、境内に入って御神木を囲う棒杭の傍に佇む人影を認めて溜息を吐いた。相手より先に到着した事がない。約束の時間内に来てはいるけれど、相手はその時間のもっと前から居る。荷物も無く空手だから帰宅後に出直して、それで私の決して速くない駆け足で駆け付けるも既に此処で長期待機の姿勢で突っ立っている訳だ。

 負けた、と言う気持が先行して、お待たせした、と言う気持は二の次で、相手が私を認めて片手を振った。こちらも手を振って応え、漸くお待たせと通り一遍の謝辞を述べる。

「慌てなくて良いよ」と相手の男の子は言った。

「そうも行かない。君を待たしている事実は変わらないもの」と私は答えて呼吸を整えた。

 賽銭箱の置かれた社殿の階段の一番下の段に腰を掛け、汚れて木目の見え難い賽銭箱の裏で日課の密会に興じ、本日の出来事を語り合い、つまらない毎日の繰り返しの確認作業の様な話に、少し面白くなって咳き込む様に笑った。余り笑い過ぎて本当に咳をしている風に見られ、激しく跳ねる背中を撫ぜられた。

 私は大丈夫の意を片手を振って表し、彼も手を止め嫣然として頷き、膝を抱えて社殿の屋根の裏側の複雑な骨組み部分を見詰めて吐息を吐いた。

「前は、この隣に幼稚園があった」と私は往時の光景を瞼の裏に再生して言った。

「移動したんだ」と彼は言って頼りない笑顔でこちらを見遣った。

「普通、人の通う建物の移動は大事だから、簡単にはいかないけれど、隣の幼稚園は確か向うの小学校の近くに移動したって。何年前か知ら、建物は、翌年に壊して、今の塾が一昨年出来たんだ」

「その割には建物の汚れが目立つね」

「近所の悪い高校生達が落書きして、業者に頼まず塾の人の手で掃除されて、だからじゃない」

「大変だ。でも、自分達の物を自分達で綺麗にしたのか、それは良いね」

「お金が勿体無かったんだろう。落書きも沢山あったし、変なスプレーを使われたみたい」

「落書きした高校生は見付かった?」と小首を傾げて彼は言った。

「見付かる訳ない、掃除の後も何度か落書きされて、諦めて掃除を止めて、大分経って掃除したら、もう何もされなかった。高校生も面倒臭くなったんだろう」

「よく解らない人達だ。俺は、今年から此処に住み始めて、だから前の事は知らないが、碌でもない連中に垣根は無いね」

「そうかい」

「そうさ。俺が前に住んで居た所も、洋服店なんだけれど、閉店後はシャッターを下ろす。そのシャッターに落書きされて、警察沙汰になった」

「そりゃあ、大事だね」と私は目を瞬いて得意げな彼の顔を覗き込んだ。

「矢っ張り近所の高校生だった」

「何故、高校生が多いのか」

「受験勉強で疲れて、発散する為にやったそうだ。でも、犯人の高校生を捕まえても、暫くすると新しい奴が落書きを始めた」

「シャッターを取っ払っちまえ」

「業者に頼んでシャッターに絵を描いて貰って、次から落書きが無くなったそうだ」

「何だ、解決したのか」と私は自然に力んでいた肩の力を抜きながら笑った。

 会話を終えて、すっかり暮れた空を仰ぐ。夜の帳が下り切って墨汁を蒔いた様な真っ黒の夜空に、田舎の灯火の影響を受け、地上に居る私達の目に届かぬ星の瞬きの内、余程強く輝く星を二、三個見付けて、いつか北海道旅行の際に見た天の川の、塵の塊を髣髴させる輝きを思い出す。星屑と言う言葉があるように、肉眼で捉えられる程燦爛と光り輝く星の集合体は、見上げると見慣れぬ者には塵の塊にしか思えない。そう隣の相手に漏らし、機会があれば今度は一緒に行こう、と言われた。私は星座や神話に不案内で、空を見上げて何座だよ、と説明されても解らない、どの星を指しているか、その段階から解らないのだ。

 彼は良いと言う。幾らだって教える、一緒に行けるなら何処でも楽しい、一緒なら何でも構わない、機会があれば一緒に見に行こう。

 君が良いなら良い、機会を作って行って見よう。

 彼は莞爾として笑い、何度も頷いて抱えた膝に顎を押し付けた。中途半端に長い美艶な黒髪が頬に被さり、長い後ろ髪に比例して長い前髪が顔面を覆い、目を悪くするよと断って、髪の束を肩に掛けてやった。癖の無い長髪が羨ましく、又癖が無さ過ぎる上にさらさらしている為、一寸身動きしただけで肩に掛けた髪の束も体の前面に垂れて来る。以前縛る事を提案したが、癖が付かなくて解け易いとか。本当に羨ましい髪質である。

 相手持参の懐中電灯を点けて境内をぐるり照らし、社殿の後方の松林の下陰に怖い物を見そうで、松林と奥の石垣の見当を向く懐中電灯を鳥居の方に向けさせ、今日はお開きにしようと言った。同意の言葉を聞くなり賽銭箱の裏から飛び出し、目の前の石畳の道を避け、鳥居を潜って公園に出た。車止めの所で別れ、家路を急ぎ、結局冒頭の玄関の戸の開閉の注意事項を忘却の彼方に追い遣って、けたたましい戸の閉まる音が庭と、恐らく隣の硝子工房の中や飲食店の駐車場に迄響き、子供の不行儀に激昂した祖父と母に引っ立てられ、畳の部屋と呼ばれる和室で正座の説教を頂戴した。最後の鬼、父の帰宅を戦々恐々として待つ羽目になったが、祖父も母も言わずに居て、家族仲好く晩御飯を認めた。

 食事の後は、常と変わらぬ順序で団欒し、風呂に入り、自室に蒲団を敷いて寝た。深更、夢を見た気がしたが、翌朝目覚める間際のくしゃみで忘れてしまった。


 ❀ ❀ ❀


 驟雨の立てる水音を、草鞋を編む際の葉擦れと共に聞き流し、雨音の止む頃に完成した一足を土間の隅に置き履いて具合を確かめる。丁度好い履き心地に満足して戸の壊れた出入り口の向うの水溜まりの群れを見て、不意に風が人声を運んで来て眉根が寄るのが解った。矢庭に土を蹴って水面を渡る水黽を踏み潰す勢いで表へ、地面の泥濘の乾く間も無い時刻に作り立ての草鞋で飛び出すから、忽ち新しい草鞋は汚れ、泥が撥ね、着物の裾を汚す。藁の隙間を縫って水気が足の裏を濡らし、季節の御蔭で大した冷気を感ずる事はないが、不快な感触と聞こえる声に段々渋くなる自身の面を制する事が出来ない。

 泥を撥ねて人声の聞こえる見当に駆け出し、幾つか屋根の穴の直らない人家を過ぎ、菜っ葉の畑を越えた樹木の参差と伸びる枝葉の陰の深い所、蹲る黒色の一塊とそれを囲む顔見知りの子供達の振り上げられた拳や棒や手掌大の石を認めて血の気が引いた。咄嗟に踏ん付けた痛みで気付いた自身の手掌より小さい石を鷲掴み、振り被って、全力で投げた。小石は虚空に半円を描いて子供達の輪の外側に落ち、泥濘の中に落ちて鈍い音がこちら迄届き、敵と思しき人物の奇襲に驚いた子供達は、振り返るなり一散に森の奥へ逃げて行った。黒色の塊の敵の駆逐は成功したが、家に帰ると家族の怒りが怖い、怖いが、放って置く事の方が怖い。子供達は容赦を知らない、大人達の行為を真似るだけなので、悪化する事があっても手を緩める事は、まず有り得ないのだ。

 樹木の下陰に蹲る黒色の塊は、手酷く殴られ蹴られて覚束無い頭を何とか擡げて起き直った。黒色の塊の黒は泥水を吸って汚れた着物の色で、着物の下の素肌も泥塗れで黒っぽく、蓬々と伸びた茶の濃い金茶色の頭髪の先端が泥濘を引っ張る様に地面に垂れて、この黒色の塊が雨の中も子供達に追い回され、引き倒され、殴られ蹴られたのだと、生気の抜けた顔を見て察した。顔面を汚す泥を拭う為、汚れた袖で両の頬を拭い、一層顔を汚して黒色の塊の童子は目線を上げる。目線の先に突っ立つ私を認めて一揖する。

 童子の団栗眼は黒くない、僅かに青味を帯びた銀色で、余り目も良くないらしい。狐の如く目を細め、漸く私と認識し、弱った足腰で立ち上がって頼りなく笑った。

「ああ、痛かった」と童子は言って肩を竦めた。

 綺麗な着物の袖で童子の顔面を拭ってやり、裸足の足下を見遣って草鞋の行方を尋ねようか逡巡し、尋ねる迄もないと想到して溜息を吐いた。別段他意あって嘆息した訳ではないが、他者の行動に少々敏感な童子は胴を震わせ、そうして憤怒の形相の母親の前に立たされた子供のような泣き顔で人様の気色を窺い、ご機嫌取りの要領でにたにた笑う。当人にその気が無い事は自明だが、家族以外の人と接する機会の少ない彼は、自分の笑顔の客観的な感想を知らないのだろう。正直言って、彼の笑顔は不気味だ、不愉快だ。両親は誰に似たか全く解らぬ容姿の息子を憐れんでか、薄気味悪い笑顔について改善を促すような事はない、母親の優しさ、父親の厳しさ等は遠くで見たが、この笑顔の童子を可愛がる風に見えた。

 笑顔の気持悪い異形の童子は着物の裾を絞って水気を除き、石を投げて子供達の関心を掻っ攫い、童子への暴力を中断に追い遣った私に改めて頭を下げ謝辞を述べる。この感謝の言葉も聞き慣れた。飽きが来る程聞いた。私は自身の思う儘に行動し、偶々その行動が童子を救っただけで、彼の感謝の気持を欲した事は一度も無い。只、大人達の童子への態度や子供達の笑い声が不快だから、普段の生活で溜まった憤懣をぶち撒けた結果が石を投げる子供に石を投げ返し、相手が大勢なら飛び込んで殴り合い、童子を蹴るなら同じく蹴った相手を足蹴にして、すっかり暴力童女が板に付いた頃、抑も何故大人達が異形の童子を睨むのかと根本的疑問に撞着した。

 無論答えは上記の通り、両親祖父母の誰に似たか判然しない容姿にある。畑仕事の後も白い肌、黒を知らぬ金茶色の毛髪、黒髪黒目の人達の中に一種異様な雰囲気を醸し出す青味を帯びた銀色の目、森の動物にも童子の持つ色、特に銀色を持つ生き物はいない。彼の両親は、彼が産まれて直ぐ余所の子供と異なる容姿に当惑し、一時は凶兆と恐れ絞めようか悩み、夫婦の合議した結論は、有りの儘の姿で責任を以て育てるに行き着き、異形の子供を生み落とした母親も人の輪を弾かれ、妻を庇う父親も弾かれ、一家は村の端に移り住み、今に至る。

 私が童子の事情に詳しいのは、当然彼を庇い、歩けなくなる程酷い苛めに遭った所を背負って彼の家迄送ってやったからだ。そんな昔の話でない、ほんの一年前の話だ。当時は私も色々の事が辛く、色の違いで石を投げられる子が不憫でならず、我慢の限界が来て子供達と喧嘩した。同年代の子を相手に喧嘩した経験は全く無く、それでも暴力沙汰に発展したのだもの、手加減して自身が怪我を被っては意味が無い。双方手酷い傷を負いながら一時休戦し、各々家に帰り、私も童子を送って、少し話して、家に帰った。家族に喧嘩を咎められ、釈明するも一蹴された。皆、異形の童子が嫌いなのだ。間近に銀色の目を見ると綺麗だが、綺麗と思える程近付くのが怖いのだと、後に私は考えた。

 意図した訳でないが自然溜息が漏れ、泥塗れの足首の横に血の塊を見咎め、歩くに支障は無いと断じられる程度の怪我だが痛みに堪え性があっても、人様に叱られた時に堪え性の無い童子の心情の露となった顔色を想見し、擁護の姿勢を貫き通すならと背中を向けて屈み込んだ。相互の関係を心得た童子も躊躇う事無く私の背中に乗っかり、体格に大差の無い私達は、泥を吸って重たい着物を着込む相手に四苦八苦しつつ、蹌踉と帰路に就いた。

 童子の家には身重の母親が待って居て、帰らぬ我が子の影を村の畑の見当に探し求め視線を彷徨わせ、常の童女に背負われ家路を辿る様に胸を撫で下ろす。干し大根の簾の前で童子を下ろし、奥の竈の灰色の煙の筒と鍋の蓋の隙間に揺蕩う湯気の帯を見付け、中の煮物の具を想像した。彼の母親と何処で何をしていたか話し、村の畑に踏み入る事を禁じられた一家の食糧確保の要衝、家の裏の畑と森の境目の木の根元で乾物の下拵えに勤しむ父親が顔を覗かせ忽ち満面に朱を濺いで駆け寄り、息子の脳天に拳骨を見舞った。曰く、男が女に庇われる事がどれ程の恥だ。毎度護送後に見る光景は慣れたもので、顔を真っ赤にして激痛を堪える童子の姿も、最初こそ憐れに見えたが、見る度に父親の躾と情愛が窺えるので言及は避けた。

 父親母親の二人の礼を受け、軽く手を振り童子と別れ、私は一路実家目指し村の畑を越え、幾つか人家の脇を通り抜け土間に腕組みして屹立する兄弟の憤怒の形相に二の足を踏んだ。兄弟達は童子と一緒に居る私に容赦無い。元々私を嫌っている節があるから、異形の童子の傍を離れぬ事を幸いと、父の叱責を潜り抜ける正当な事由の扱いで末の兄妹の身勝手な行動を見過ごすが、帰って来れば怒髪、冠を衝いて怒鳴り散らす。長兄次兄は勿論、長姉に三番目四番目の兄も私の存在を忌み、顔を合わせば罵詈雑言を浴びせ、兄弟の暴言に言い返したい百万言を飲み込み耐える日々を送った。家族の言い分を、幼心に受け止め、理解していた為だ。仕方ない、そう言う思いを自覚していた。

 戸の無い出入り口の前に立って兄弟、次兄の憤怒の露な顔を見上げた。次兄が言う。「仕事もしない碌でなし、又不気味な小鬼の所か。お前は疫病神だから、鬼と一緒が心地好いだろう、いっそ鬼と共に棲家に帰れば良い」

 つまり出て行けと言う。

 私は平身低頭して仕事を疎かにした事実を詫び、家に入れてけろと懇願した。次兄は土間を出て、乾かぬ泥濘を蹴飛ばし私の頭に押っ被せ、鼻を鳴らして畑仕事に出て行った。

 土間の石段の上に草鞋を脱ぎ、一段高い床に上がって年中敷きっ放しの薄汚れた茵の掛布を捲り、黄色く変色した布地を見詰めて、項垂れた。掛布を戻して家の隅に寄せた藁の束を抱え、茵を離れ草鞋を編んだ。一方の足趾に紐状の藁を引っ掛け、撓まぬよう張り詰め、気合を充分に編もうとした時長姉が帰り、仕事を放って異形の童子の許に駆け付けた私を見るなり溜息を吐いた。溜息は我が家で聴く限りだと、一日朝晩で十は軽く数え、一家の癖の様な溜息は当然私も持って、先の様に異形の童子すら怯えさせる。兄弟の溜息を素知らぬ顔で遣り過ごし、草鞋を編み上げ、一足二足三足と作っていく。

 表が暮れて身辺が暗闇に埋没する頃、家族が揃い、そうして茵を避けて寝入った。次に目を開けて朝餉の支度と仕事を済まし、隅の藁の山を低くして、出来た草鞋や簑を同じ隅に戻す。何気無く出入り口の向うの空を見遣り、暮れ泥む夏の空の赤色の雲の流れる様子を、父が畑仕事から帰る迄飽きもせず眺めて居た。

 はっくしょん、でも、へえっくしょん、でもない、何だか文字に変換し難いくしゃみが出て目が覚めた。

 鼻を擦りつつ半身を起こし、身の周りの物を確認して行き、昨晩寝る時と変わらぬ様子に安堵した。鬱陶しく伸ばす事を嫌って短く切った頭髪を掻き毟り、鳥の巣宜しく縺れた頭を手櫛で整え、無論直る訳ないけれど、階下の家族の待つ食卓へ向かう前に見苦しくない程度には髪型を整える可きである。祖父と母が身嗜み云々と煩く、仮令家族の前でも余所様の前と同じ心構えで在れ、気の緩みは必ず大変な失敗を齎す、と言って一昔前の教師の様な訓戒を垂れて実の孫娘、愛娘に気の休まる時を与えない。少々大袈裟の感はあるが、祖父や母の言い分は納得出来る面もあり、又大袈裟が過ぎて長い髪宜しく鬱陶しい。良い加減に髪を整え階下の茶の間に行くと、きちんとした恰好の祖父と母が居て、父や祖母に挨拶し、祖父と母の前に座った。

 朝食を認めながら夢の内容を思い出そうと首を捻るが、目覚める間際のくしゃみの衝撃で明後日の方へ吹っ飛んでしまったらしい。つまり、それは、夢が大した内容でなかった事の証左である。つまらぬ夢に拘っても仕方ない、と味噌汁を舐めて鼻を鳴らした。

 こっちの方が気楽に書けるので、こっちを書きます。

 私が高校生の時に書いた小説の書き直し版です。

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