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白いカーペットがお気に入りのヒト。

作者: 春鳥


ボーイズラブというほどではありませんが、精神的に共依存気味な男性二人のお話です。

ニガテな方はお戻りください。

命短し、恋せよ乙女。

紅き唇、褪せぬ間に。



 春は嫌いである。

 また命が巡るから。

 夏は嫌いである。

 痛いほどの熱射が、肌を刺すから。

 秋は嫌いである。

 舞い落ちる葉が私よりも先に死ぬから。

 冬は好きである。

 雪に音を吸い取られ、世界が無音と化すから。

 無音の世界はまるで異なる世界のようで。

 ネットの掲示板に「別の世界に紛れ込んだっぽい」なんて釣りスレを立ててみたくなる。

 その場合のネタばらしは、やはり定番にたて読みだろうか。

 それとも、トンネルを抜けてごらんと云ったおじいさんのメモを書き写したものに「よく釣れたクマー」とでも書いておくか。

 いや、スマートフォンに見知らぬアドレスからメールが届いた、とでもいってスクリーンショットを掲載して、意味のない文章の羅列と共に左上から右下への斜め読みで「つりでした」と書くのが、意外と乙ではないだろうか。

 そもそも別世界に行ったとして、何故電波は繋がっているのだろう。

 定義として今在る世界を「此の世」として、別世界を「彼の世」とするならば、二つの世界が電波で繋がっているなら、今頃私達のスマートフォンは彼の世の住人からの悪戯メールで一杯なのではないだろうか。

 実は、登録した覚えのないサイトからのダイレクトメールや振り込め詐欺のメールは、須く彼の世の住人からの悪戯メールだと思うと、いちいち削除するのも面倒ではなくなる気がする。

 しかしそう考えるならば、彼の世というものは随分と暇なものだ。

 つらつらと意味もなく脈絡もなく結果もなく結論もなく、よくわからないことを考えていたら、ふと顔に影がかかった。

 足音もさせずに器用な奴がいるものだ、と気怠い頸を軽く持ち上げてみる。

 黒い靴だ。革靴だ。悪趣味な奴だ。艶々と光らせやがって。

 もう少し視線を上げてみた。黒と見紛うグレーの生地に、縦のストライプがさり気なくまじったスタイリッシュなスラックス。スタイリッシュの後に括弧笑いを付けてやりたい。

 もう少し視線を上げてみた。

 手が見える。左手首には銀色の男性用腕時計。有名なブランドのものらしいが、私にはすべて同じに見えるので、コメントするならば、文字盤がローマ数字で読みにくそうだな、ということか。

 手は節榑立っていて、けれど華奢ではない。しっかりとした厚みのある手だ。触るとゴツゴツしていて痛そう。けれどその手が優しくものに触れることを知っている。

「なにを見ている?」

「べつに、なにも」

 しげしげと眺めていたら、呆れたような声が上から降ってきた。

 随分と上からものを云う男だ。精神的な意味ではなく、限りなく物理的に。

 フローリングに敷かれたカーペットの上にへたりこんでいる私と、しっかりと地に足を着けて立っている男の顔と顔の距離は、どれくらいだろう。

 見上げるのも面倒で、ついと視線を逸らしてまたカーペットを見る。

 毛足の長く白いカーペットは、部分的に赤く染まっている。赤黒く染まっている。

 敷かれた当時は、大変綺麗な真珠色で、手が滑って珈琲でもこぼしたら一大事だなと眉をしかめたものだ。

 そのとき、カーペットを敷いた張本人は、腕まくりをしたまま「汚れたらクリーニングに出せばいい」とのたまった。

 金持ちの云うことはこれだから、と眉間のしわを深めると、男ははぁと溜め息をついて、私の頭をくしゃりとした。

 そういえば私はこの男を呆れさせてばかりいるなぁ。

 出会ってから、奴が私を見て吐いた溜め息の数は、きっと出会うまでに奴が吐いた溜め息の数を大きく上回っていると予想する。

 それは少し気分がいいかもしれない、と思った。

「またやったのか」

「なんのことだい」

「わかっているくせに」

「さぁ、なんのことだかさっぱりさ」

 また男は、はぁと溜め息。

 真珠色のカーペットは、私が数分前に汚したばかりだ。

 敷かれてから大切に使ってきた。

 私は自覚のあるどじなもので、よく飲み物をこぼすから、カーペットの上を歩くときは、いつもどきどきしながら慎重に歩いていた。すいすいと、事も無げにマグカップ片手に歩く男を恨めしげに見ながらも。

 だって、床に座るのが好きな私のために、わざわざ敷かれたカーペットなのだ。

 敷かれる要因になった者が、汚しては駄目だと思ったんだ。

 なにより、男が、気に入っていたから。

 毛足の長いカーペットにごろんと寝ころんで、肩肘をついてテレビを見るのを好んでいるようだったから。

 こいつがクリーニングにでも出されて、幾日かでも床に敷かれていなかったら、男は悲しむかなぁと。悲しまずとも、しょんぼりしてしまうと思ったから。

 思ったから、大切にしていた。

 毎日せっせとコロコロをかけて、天気のいい日は飛んでいかないようにどきどきしながら、ベランダに干してみたり、飛び出した毛があればちょんぎって長さをそろえたり。

 大切にしていたのだ。

 だから、むしゃくしゃした。


お前は、いつも綺麗でいやがって。


 だから、汚してやったのだ。

「痛くないのか」

「馬鹿なことを訊くなよ。痛いに決まってるだろう」

「……そうか」

 しゃがみこんだ男は、じいっと私の手のあたりを見て、くだらないことを訊いてきた。

 私はマゾヒストでも解離性障害の持ち主でも無痛症でもない。

 血が出る怪我をしたら痛いに決まっているのに。

 また、はぁと溜め息。

「手当をしよう」

「そうしてくれ、痛くて自分では出来ないんだ」

「自分でしろよ」

「キミはなにもわかっていないね。切ったときよりも、傷口を水洗いなり消毒液なりで濡らした後の方が、痛いんだよ」

「それくらい我慢できるだろう」

「ひとりで呻くよりは、誰かに文句を云える方が楽だろう? 自分に文句を云ってもむなしいだけさ」

 はは、と笑ってみせると、男は呆れたように笑った。

 私は、男の呆れ顔が好きだ。

 呆れるというのは、対象にまだ興味がある証だろう。

 ああ、またやったよ、仕方ないなぁ。そう思ったときに、人は呆れながらも笑うのだと、私は思っている。

 興味がなくなったとき、人は呆れすらもしなくなる。

 ただ眉をしかめ、見ない振りをするのだ。

 私はそれが耐えられない。

 世界中から興味を失われたら、人はどうなるのだろう。


 男は私を引きずって洗面台まで連れて行き、蛇口を捻り、溢れ出てきた水流の中に何のためらいもなく私の手首を突っ込んだ。

 ただの手首ではない。真珠色のカーペットを赤黒く染めた犯人である、傷だらけの手首を、である。

 ビリッと走った痛みに、思わず体が跳ねて、「ぎゃっ」という悲鳴が上がる。

 歯を食いしばって耐えていると、更に容赦のないことに、男は備え付けの棚からガーゼを取り出し、手に持ったガーゼで傷口にこびり付いて固まった血液をゴシゴシと削り落とし始めた。

「莫迦! 痛いじゃないか! 痛い、痛いって! 力が強いんだよ! おい、やめろ!」

 暴れて抵抗しても、ガッチリと掴まれた左手首は動かないし、あまり動くと更に痛くされそうで、思い切った抵抗が出来ない。

 いや、そもそも、手当していただいている立場で抵抗するなと、男は思っているだろう。そうに違いない。そういう男だ、こいつは。

 やっと男が手を離したときには、こびり付いた血液は綺麗になくなって、ぱかりと空いた幾本かの傷口だけが残されていた。

 何本も、何本も、刻んできた。

 その名残がくっきりと残る左手首さんに、新しい仲間が加わった。

 名前は、まだない。つけるつもりもないけれど。

「今回は、またなんで」

 新しいガーゼを当てて、包帯をきつめに巻きながら、男は訪ねる。

「煙草を吸わせてくれよ」

「体に悪い」

「だからだろう」

 包帯を巻き終えた男は、またひとつ溜め息をついて、洗面所を出て行く。

 のそのそと後ろをついて行くと、男はリビングのソファに座って、赤黒く染まったカーペットを睨みつけていた。

 元来目つきの鋭い男である。大変に近寄りがたいが、煙草は男の前のローテーブルだ。仕方なく近付いて、カーペットにどかりと座って煙草に火をつける。

 何度かふかしてから肺に煙を送り込む。

 ふー、と煙を吐き出すと、メンソールの冷たさが目の前をしゃっきりさせてくれて、ぼやけた頭にはちょうど良かった。

「それで?」

「なにがだい」

「今回はなんで切った」

「愛用のカッターさ。やはりこの子はよく切れるね。しかし、痛かった痛かった。大変だったよ、たくさん血を出すには深く切らなきゃいけなかったから」

「そこじゃない」

「ふふ」

 はぐらかすように答えると、舌打ちとともに否定の言葉。

 カーペットはそんなにお気に入りだったかい。だからだよ。口には出さない。

「死にたい気分だったのさ」

「何で生きてる」

「生きていたい気分でもあったんだよ」

 一本目の煙草を吸い終えて、すぐに二本目に火をつける。それにもまた、舌打ち。

 短気な奴だ。

「なにがしたいんだ、結局」

「今回はそうさな、寿命を削りつつ、カーペットを、汚してやりたかったんだ」

 だって、こいつばっかり綺麗で、ムカついたんだもの。

 にっこりと笑いながら煙を吐き出す。男はまた溜め息をついた。

「大丈夫、クリーニングに出せば綺麗になるさ」

「このカーペットはお前の血液吸収ポリマーじゃないんだが」

「ポリマーってプラスチックだろ? そんなことわかってるさ。大丈夫、今度は絵の具にしておくよ」

「そして犠牲になるのはベッドか?ソファか?」

「さぁて、なんだろね」

 お前が気に入ってて、綺麗なものさ、とは、口にしない。

 収集癖のある男だ。

 気に入ったものは手元に置いて、長く大切にする。壊れるまで。

 私もそうだ。声をかけられて、幾度か話して、気に入られて、コレクションされた。

 思い違いがあったとすれば、私が幸せなときは凝縮してさくっと死にたい人間だったことか。

 だらだらとした人生に、興味がないんだもの。

 血を流すのも、薬を飲むのも、煙草を吸うのも、寿命を削り取るため。

 一瞬だからこそ、美しいものがあることを、十分に知っている男は、そんな破滅的な生き方を好む私を、コレクションして、愛でて、私が壊れるまで、私に困らされて、呆れさせられて、許して、溜め息をつくという日常を選んだ。

 選んだなら、付き合って貰わなければ困るのだ。

「明日は雪が降るんだって」

「そうか」

「積もるかな」

「どうだろうな」

「真っ白い雪に、血をかけたら、きっと綺麗だね」

「……カーペットより、後片付けの楽なキャンバスなのに間違いはないな」

「ふふ、出来たら、見せてあげるよ」

「いらん、気色悪い」

「ふふ」






 命短し、恋せよ乙女。

 それは、少女の旬が短いから、花が散る前に咲き誇れと唄ったウタ。

 紅き唇、褪せぬ間に。

 私は、明日にでも死んで良いから。


 いのち、みじかし。


「ふふ。キミは、我が侭なヒトだね」

 置いて行かれる前に、死んでおくから。

 

 いのち、みじかし。


 はやく、追いかけてきておくれ。


 


「ふふ、」




end

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