眼鏡のあの娘
早く正確に文章を書ける人を尊敬します。
お昼休みに図書室に来たのなんて、入学以来初めてじゃないだろうか?
わたしは上原つぼみに呼び出され、バドミントン部の友達の輪を抜けて図書室に来ていた。
昼休みの図書室は、普通科の生徒はほとんどいない。頭の良さそうな特進の生徒がチラホラ本を読んでいるくらいだ。
静かすぎて耳がキーンとしてきそうな気がする。
「小野さん」
後ろから突然呼び掛けられ、わたしはビクッとしてしまった。
「ああ、上原さん。それで話ってなに?」
「ここだと少しアレなんで、もうちょっと奥の方へ……」
上原つぼみは図書室のさらに奥へと歩き出した。
江戸川学院の図書室はかなり広い。蔵書も多くちょっとした町の本屋くらいはある。
つぼみは天井まで届く本棚の隙間を抜け、カビ臭い宗教関連のコーナーまで歩いた。日の光も届かない薄暗い本棚の間に、ボロッちいイスが置いてある。
「わたし昼休みはいつもここで本を読んでるんです」
「そうなんだ……あーわたし本ってマンガくらいしか読まないからなー。上原さんって、あれ、インテリアだよね」
「インテリのことですか? そうではないですけど」
気まずい……。会話が続かなかった。上原つぼみは本棚の背表紙をじっと眺めている。
ちょっとコミュ症にも程があるんじゃない? わたしはだんだんイライラしてきた。
「ちょ、上原さん……」
「小野さん!」
上原つぼみは急に振り替えると、わたしの顔をじっと見た。わたしはたぶん学校に入って初めて、つぼみの顔をまじまじと見た。
ぱっつんの前髪に、古くさい縁無しメガネ。化粧っ毛もまるでない。わたしが言うのもなんだが、もうちょい女子力を磨くべきだと。
「小野さん、わたしが何部だか知ってます?」
「え?」
まずい。文化部ってこと以外知らない。もし知らないなんて言ってしまったら、私のこと興味ないんだって思われてしまう。
「あー、あの……」
そうか! 彼女はきっと吹奏楽部なんだ! それで久保田にセクハラなんかされてて、その悩みを誰にも言えなかったけれど、わたしが久保田から救ってくれたと。うん、きっとそうだ!
「吹奏楽部でしょ? もう安心よ。これからは何もされたりしないから!」
「は? 違いますけど」
「え? あ、あ、あ、あの、ご、ごめんなさい」やっちまったあああ。
「わたしは天文学部です。たぶんこの学校の人はほとんど存在も知らないでしょうけど……。今の時期はアンドロメダやカシオペア。それからペルセウスにペガススみたいなギリシャ神話で有名な秋の星座が、素晴らしい輝きを発してるんですよ。そしてあの一つ一つ輝く星は、何億もの星が集まった銀河なんです。きっとその中には私たちと同じような姿をした人がいるはず……。ロマンチックじゃありません?」
「そ、そうだね」良かった。星の話に夢中で、部活を知らなかったことはそれほど気にしていないようだ。「そ、それで、わたしに話ってなんだったの?」
「それはですね」彼女は急に渋い顔になってうつむいた。「わたしは、毎晩寝る前に天体望遠鏡で夜空を眺めるんです。このまえも秋の大四辺形を眺めていました。ペガススとアンドロメダ……。きっとあの星には悲しみにとらわれたアンドロメダを救ってくれる、ペガススに乗ったペルセウスがいるんじゃないかって思いながら……」
「うんうん」なんのこっちゃ。
「そんなことを考えてたら、私の望遠鏡に変な影が映りました。夜空を覆ってしまうような。彗星かな? 違う、もっと近い。飛行機かしら? それにしては大きさが。私はバードウォッチング用の双眼鏡を取り出しました。それで見えたのは……」
「あー」まさか。
「大きな羽根が生えている生物に乗った小野さんの姿でした」
「わ、わたし?」でしょうねー。「いや、そんな何かに乗って空を飛ぶなんてメルヘンチックな、そんな事あるわけないでしょーに」
「いえ、あれは確かに小野さんです。わたし家にあったお父さんのニコンの超望遠で写真も撮りましたから。小野さんはその羽の生えた何かに乗って、楽しそうに空を旋回していました」
「しゃ、写真って」お兄ちゃんがわたしを振り落としてやるってぐるぐる回ってたときだ……。いかん、楽しさ優先で完全に油断してた。
「あれはやっぱり小野さんなんですね?」
「い、いや、わたしのわけないでしょ。ちょっと、その写真ってのを見せてもらいたんだけど」
「いえ、あれが小野さんじゃないのなら見せるわけにはいきません。しかるべき機関に送ってきちんと学術的検証をしてもらおうと思っています」
「ダ、ダメー! その写真を公表なんてしたら……」
「じゃあ、あれはやはり小野さんってことでいいんですね?」
「いや、そういうわけじゃ」いかん、泥沼だ。認める訳にもいかないし、認めないでその写真を世間に晒される訳にもいかない。いったい、どうすりゃいいの?
「小野さん。お兄様が、小野さんのことをおんぶして帰ったと言っていたじゃないですか。私はきっとあの羽の生えた生き物は、小野さんのお兄様ではないのかと思っています」
「にゃ、にゃんですと!?」するどすぎんだろ!
「小野さん、いいんです。隠さなくても。私はあなたちのこと理解できると思うんです」
「ほえ?」
「小野さんとお兄様は宇宙から来られたんでしょ?」
「は、はいぃぃ?」なんたる急展開。
「宇宙船の不時着かなにかで、あなたたちご兄弟は地球にたどり着いてしまったと思うのです。あの空を飛ぶ能力はきっと、地球人には未知のテクノロジーなのでしょう」
「あの、考えすぎなんじゃ」
「いいんです隠さなくても。私はこの広い宇宙、必ず宇宙人はいると思っていました。宇宙船が裏山に不時着する日が、いつか来るんだろうと確信していました。そして、そこからペルセウスのような方が降りてくるんだろうと……」
やばい、この子はメンヘラなんだ。自分の世界に入り込んで、恍惚とした表情を浮かべている。とりあえず話を合わせて置いたらいいかもしれない。お兄ちゃんがヴァンパイアよりは宇宙人と思っていてくれた方がマシ……いや、そうでもないか……。
「本当ですか?」
「えっ」しまった。話を合わせようと、何も考えずにハイハイと言ってしまった。「な、なんでしたっけ」
「わたしもお兄様の背中に乗って宇宙飛行させてくれるんですね!」