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gomibako

こんな彼女が欲しい

作者: 北田啓悟

「おはよーけいごくん!」

「…………」

「見てみて、今日は五本も引いちゃったんだよ! すごいでしょ!」

「また切ったの?」

「うん!」

 腕をまくって見せてきたのは、リストカットの跡だった。

 手首の外側に切傷が何本も記されている。赤みがかったものは最近のもので、紫色っぽいのが古い傷だ。

「今回はすっごくヤバかったんだよ! こうテンションが……、落ちて落ちてからの……ぎゅぃぃぃいいーん! みたいな感じで!」

「そうなんだ」

「けいごくんが構ってくれないからだよー?」

「ごめん」

「もうっ」

 といって彼女はぼくに抱きついた。

 温かい。

「手首のほうは切らないの?」

「手首のほうは切らないの。だって死ぬかもしれないじゃん」

「死にたくはないんだ?」

「うん。死んだらけいごくんといっしょに居れなくなるから」

「ぼくもいっしょに死ねば、いっしょのままこの世を去れるよ」

「あはは。あの世なんてあるわけないでしょ。死んだら土になるだけだよ」

 彼女は、ベッドの上に乗っかってきた。

 座っているぼくの膝の上に乗ってきて、そのままぼくの顔を腕と胸で抱きしめる。

「こうしていっしょにいれるのは、わたし達が生きてるからなんだよ。死んだら意味ないよ」

「そっか」

「けいごくんは死にたいって思ってる?」

「思ってるよ」

「どれくらい?」

「いつも。死にたいか、殺したいか、そのどちらかだけをずっと考えてる」

「へー。そうなんだ」

「引く?」

「引かないよー! わたしも同じだからっ!」

 むぎゅむぎゅとおっぱいを顔面に押し付けてきた。

 窒息しそうになるけど、意識が遠のいていく感じがこれはこれで気持ちいい。

「ねね、けいごくん」

「?」

「セックスしよっか?」

「…………」

「しない?」

「しない」

「なんで?」

「性欲がない」

「えー」

「メイドのコスプレしてくれるならいいよ」

「そんなのないよー」

「通販とかで買おうか?」

「お金ないじゃん」

「そうだった」

 などというやりとりをしていながら、彼女は、ぼくの胸元に手を入れてきた。そのままぼくの貧弱な胸板や乳首をまさぐってくる。こそばゆい。

「いっそのことわたしが体を売ってあげてもいいけど」

「ダメだよ」

「どうして?」

「ぼくは潔癖症なんだよ。他の人に抱かれたら、●●を愛することができない」

「そっか」

「●●はどうなんだよ。ぼくが浮気したら、もうぼくを愛せない?」

「そんなことないよ。わたしは、浮気されてもけいごくんを愛し続ける」

「へぇ」

「でもけいごくんを誑かした泥棒猫は殺す」

「ぼくは殺さないの?」

「殺さないよー。言ったでしょ? けいごくんが死んだら、もういっしょにいれなくなるんだもん」

「そのときにはもうぼくのことを嫌いになってるよ」

「ならないよ」

「ならないの?」

「ならない」

 ぼくは彼女を抱きしめた。

 その優しさに、涙がこぼれ落ちた。

「ん……。ね、けいごくん。やっぱりエッチしようよ」

「…………」

「気持ちいいよ? 動かなくてもいいから。騎乗位でするし」

「…………」

「じゃあキスだけ」

「……うん」

 ぼくは彼女とキスをした。

 嬉しすぎてゲロを吐いた。


 *


 ぼくは作家志望である。

 まだ十八歳の若輩者だが、プロになることを夢見ている。

 否、プロにならなければならない。

 なぜなら小説家になることを諦めてしまえば、もうぼくには生きる価値がなくなるから。

「じゃあ、首を締めて」

「ほんとうにいいの?」

「いいんだよ。本気でやってよ? 本物の殺意がないと、リアリティが宿らないんだから」

「うー……。いくら好きな人からのお願いとはいえ、首を絞めるのは辛いよー……」

「ごめん」

「いいけどね」

 小説を書く際、ぼくはリアリティをとても大事にしている。

 リアリティがないと上手い小説が書けないと思っている。

 今回、書いている小説のワンシーンのなかに『敵から首を締められる』という描写が出てきた。だからぼく自身が『首を絞められ』て、その時どう思うか、どう感じるかなどを経験しようと思ったのだ。

「じゃあいくよ」

「うん」

 彼女は、豹変した。

「はぁ……。はぁ……、ついに見つけたぞ、ドブ野郎……!」

 いつもの彼女からは想像できないほどの迫力。

「てめぇを殺すために俺がどれだけの辛酸を舐めたかわかってんのか……? 俺の憎しみが! どれだけ増幅したのか! てめぇにわかるか! あァ!?」

 本物の、鬼気迫る迫力が宿っている。

 演技だとわかっていても気圧されそうだ。

「この時をどれだけ待ったか……、ごらァっ!」

 と、いきなり彼女はぼくの腹を殴ってきた。

 そんな描写は小説にないのだけども、演技を高めるうえでアドリブが出てしまったのだろう。咎めることはない。

 っていうか気持ちいいし。

 ついにぼくの首に手をかける彼女。

「きひ……、ひ、ひ、いひひ……っ! ぐひっ! ひ、うひぃ! けひひひゃ!」

 下衆い笑い声。

 醜悪な笑顔。

 それがぼくを殺しにかかる。

 喉仏をグッと押し込まれ、今まさに殺さんとする人の表情が眼前にまで迫ってきているその恐怖に、脳みそが白くなる感覚を覚えた。

 これが死ぬということ。

 気持ちよすぎる。

「あははは! はは! あははははははははははは! はははあああはははあはははははははっははッ! 死ね! 死ね! 死んじゃえ! ああはははは!」

 あ。

 ヤバい。

 素の彼女に戻ってきている。演技がどんどん剥がれてきた。

「あは! あはは! 大好き! 大好き! けいごくん、大好き! えひひ! あひゃ! あひゃはやあはやはははあ!」

 ぼくは、彼女の顔面を殴った。

「がぼふっ!」

「はぁ……はぁ……」

 窒息死しそうだったので、必死にぼくは呼吸する。

「な、なにするのいきなり!? 反撃はしないんじゃなかったの!?」

「ご、ごめん。こうしないと止まらないかと思って……」

「ひどいよ……。うあー、もう、鼻血出ちゃったし」

 だらだらと、彼女の鼻から赤い液体が垂れていた。鼻の筋を通り、口の中に入っていくと、彼女はプッとそれを不快そうに吹き出す。

「ごめん。ほんとうに」

 そういってぼくはしゃがんで、彼女の鼻に舌を伸ばす。

「んく……っ。んっく……」

「あうー」

「ん……。んくっ……」

「けいごくんのばかー」

 彼女の頭を撫でながら、彼女の鼻血をひたすら飲む。

 おいしい。


 *


「ごめん。あの小説、やっぱボツにすることにした」

「ふーん」

「首まで締めてもらったのに、ほんとうにごめん」

「いいよいいよ。よくあることじゃん」

 煎餅を齧りながら、彼女は手をひらひらとさせた。

 ぼくは土下座の体制から頭を上げる。

「お詫びがしたい」

「?」

「足を舐める」

「えー。それむしろご褒美じゃない?」

「かも。だけど舐めたい」

「わがままだなー」

 彼女は靴下を脱いで、蒸れたそれをぼくの前に突き出した。

 ぼくはそれを両手で大事そうに持ち、舐めていく。親指から小指までを丁寧に舐めては、口に含んでむしゃぶりついたり、唾液を塗りたくるように必死に舐めまくる。

 しょっぱさが舌に広がるたびに、許されている感覚がする。

「ほれでね、ふぎはべつの小説を書こうと思っへ」

「ふーん。どんなの?」

「虐待されてる小学生が、保健の先生と仲良くなっていくって感じの小説。よくない?」

「どう仲良くなっていくの?」

「虐待跡を先生に見られちゃってさ……。れろれろ、それで、その子は家庭の事情をどんどん話していくの。んで、どうにかしないとって思った先生が、その子のことを慰めていく」

「それが恋愛になっていくの?」

「そんな感じ……ぺろ、むちゅっ。ん……」

「いいんじゃない?」

「でしょ」

「小学生と先生の恋愛ねー。いいねー」

「十歳と二十九歳の設定でいこうと思うんだ。十九歳差」

「やっぱりエッチな感じにするの?」

「そうだね。襲われる系のエッチを書きたい。おねショタって好きだから」

「二十九歳をお姉さんと呼ぶのはかなり苦しいと思うけどなー」

 ぼくは彼女の足を畳に置いた。ご馳走様だった。

「ねー。ゲームしようよー。買ってきたやつ積みっぱなしじゃん」

「えー。あれほとんどその場のノリで買ったやつだし」

「むー。じゃあそれじゃなくてもいいけどさ……、なんかして遊びたいー」

「遊んでる暇なんかないってば。今すぐその小説を書かなきゃ」

「頑張りすぎじゃない?」

「そんなことないよ。むしろぼくは遅れてるくらい」

「むー」

「ずっと書き続けてるのにぜんぜん認められてないしな」

「世間はいつもわかってないもんねー」

「いや、ぼくの実力不足。わかってもらう努力が足りないだけだ」

「…………」

 彼女は、しらーっとした目でぼくを見てきた。

「けいごくんって、なんでそこまでして自分を貶すの? けいごくんの小説は面白いじゃない」

「それはぼくも思ってる。けど現に評価されてないんだから、ダメってことだろ」

「わたしは面白いと思ってるけどなー」

「●●一人に面白いと思われても、仕方ないんだよ」

「は?」

「ん?」

「なんでそんな言い方するの?」

「え、なにが?」

「なにそれ。じゃあわたしなんていらないってこと? わたしが面白いって思ってるのに、それじゃ意味がないって……じゃあわたし要らないじゃん」

「ごめん。間違えた」

「はぁ? 間違えたってなによ。……もうさ、もうちょっとけいごくんは……なんていうか」

「ごめん」

「謝るくらいならなんとかしなよ、その性格」

「ごめん」

 頬を蹴られた。

 歯が折れるかと思った。

「キモいキモいキモいキモい。なんなのほんとうに。謝んなっていってんでしょ。バカじゃないの。ほんと死ねよ」

 いわれながら、ぼくは彼女からなんども全身を蹴られた。背中や脇腹だけでなく、顔面だって狙ってくる。いっさいの容赦なく暴行を繰り返す。

「ご、ごめん。ごめんなさい。ごめんなさい……」

 ぼくは泣きながら謝った。

「ほんと殺すよ? なんで言ってもわかんないの? バカ?」

 蹴飛ばされた。

 ぼくは赤ん坊のように涙をダダ漏れさせた。

 彼女に怒られたこの感覚が――気持ちよすぎて、幸せすぎた。

「もう、ほんと、しょうがないなぁ……」

 彼女は、ぼくに近寄ってきて、抱きしめた。

 それから頭をなでなでする。

「ダメでしょ? 身近な人を大切にできない人は、離れた人も大切にできないの。違う?」

「……うん。その通り」

「じゃあわたしのことをどうでもいいなんていっちゃダメでしょ?」

「……そうだった」

「わたしのこと、大好きだよね? 愛してるよね?」

「うん。大好き。愛してる」

「ならよし」

 むぎゅぅぅ、と彼女はぼくを強く抱きしめた。

 ぼくも彼女に抱きついた。

 彼女の胸のなかで、ぼくは泣きに泣く。

「疲れたね。もう寝よっか」

「うん」

 電気を消した。


 *


「ねえ見て」

「うわ! なにそれ!」

「ぼくも切ってみたんだ」

「うわ、すご! めちゃくちゃ切ってるじゃん! 腕毛みたい!」

 ぼくもリストカットをしてみた。

 初めは恐怖で意識が飛びそうだったけど、しているうちに全身がじんわりとする感覚が続いた。

「ぼく、もっと●●を大切にしたいと思う」

「ほんと? 嬉しいなっ」

「たぶん、●●がいないと自殺するよ」

「大丈夫。わたしも、けいごくんがいなくなったら自殺するから」

「じゃあぜったい離れられないね」

「ぜったい離れられないね」

「これからもよろしく」

「こちらこそ」

 愛。

 ぼくと彼女はキスをした。

 広がった味は、救いようもないくらい退廃的だった。

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