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戦争責任と戦後日本の違和感  作者: カトーSOS


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13/13

第13回 戦争責任とは結局なんだったのか

挿絵(By みてみん)


第13回 戦争責任とは結局なんだったのか


 ここまで、

 A級戦犯、

 東京裁判、

 空襲、

 南京事件、

 戦後冷戦などについて、

 自分なりに考えてきた。


 そして最後に残るのは、

 やはり、


 「戦争責任とは結局なんだったのか」


 という問題である。


 もちろん、

 簡単に答えが出る話ではない。


 むしろ、

 簡単に整理できないからこそ、

 今でも議論が続いているのだと思う。


 まず、

 国家には責任がある。


 戦争を始める。


 外交に失敗する。


 国民を戦場へ送る。


 結果として、

 膨大な死者が出る。


 国家指導者に、

 重大な責任があるのは当然だろう。


 だが一方で、

 国家というものは、

 一人で動いているわけではない。


 政治家。


 軍。


 官僚。


 経済界。


 報道。


 世論。


 多くのものが絡み合って、

 国家は動いていく。


 だから、

 「誰がどこまで責任を負うのか」

 は非常に難しい。


 個人責任も同じだ。


 命令した者。


 実行した者。


 止められなかった者。


 従わざるを得なかった者。


 戦争では、

 立場によって責任の形が変わる。


 しかも、

 極限状態では、

 平時の倫理そのものが壊れていく。


 空襲。


 原爆。


 捕虜虐待。


 民間人被害。


 どの国でも、

 平時なら許されないことが起きる。


 私は、

 そこに戦争そのものの恐ろしさを感じる。


 国家も、

 組織も、

 人間も、

 少しずつ理性を失っていく。


 そして戦後、

 その責任を裁こうとする。


 だが、

 ここにもまた難しさがある。


 裁判は必要だったのかもしれない。


 巨大戦争の後で、

 「誰にも責任はない」

 では済まされない。


 世界は、

 何らかの形で、

 戦争責任を整理しようとした。


 その気持ちは理解できる。


 しかし一方で、

 東京裁判には、

 どうしても政治性が入り込む。


 勝者が敗者を裁く。


 しかも、

 冷戦が始まれば、

 昨日まで裁かれていた人物が、

 今度は反共政策の中で必要とされる。


 そこには、

 純粋な法だけでは説明できない現実がある。


 結局、

 国家というものは、

 理念だけで動いていない。


 安全保障。


 国際秩序。


 外交。


 感情。


 報復。


 すべてが混ざる。


 だから、

 戦争責任もまた、

 単純な白黒にはならない。


 私は、

 このシリーズを書きながら、

 何度も考えた。


 A級戦犯とは何だったのか。


 東京裁判は法として成立していたのか。


 空襲は本当に正当化できるのか。


 南京事件の実態は何だったのか。


 そして、

 なぜ日本はあの戦争へ進んだのか。


 だが最終的には、

 単純な答えにはたどり着かなかった。


 むしろ逆に、

 歴史というものは、

 きれいな正義だけでは整理できないのだと感じた。


 人間は、

 後からなら、

 いくらでも正論を言える。


 だが、

 当時を生きていた人々は、

 その時代の空気の中で判断していた。


 恐怖。


 焦り。


 国家意識。


 報復感情。


 生存本能。


 そうしたものの中で、

 戦争は進んでいく。


 だから私は、

 歴史を語るとき、

 簡単に「善」と「悪」だけで割り切ることに、

 どうしても抵抗がある。


 もちろん、

 不法行為は否定されるべきだ。


 民間人虐待も、

 捕虜虐待も、

 正当化できない。


 だが、

 同時に、

 戦争そのものが、

 人間を極限状態へ追い込む巨大な暴力でもある。


 私は、

 そこから目をそらしてはいけないと思っている。


 そしてもう一つ感じるのは、

 現代の私たちも、

 決して歴史の外側にいるわけではない、

 ということだ。


 国家対立は今も存在する。


 核兵器も存在する。


 安全保障問題も続いている。


 つまり、

 戦争責任という問題は、

 過去だけの話ではない。


 だからこそ、

 感情だけでも、

 イデオロギーだけでもなく、

 できる限り冷静に、

 歴史を見続ける必要があるのだと思う。


 私はこのシリーズを通して、

 日本を正当化したかったわけではない。


 逆に、

 日本だけを絶対悪として見たいわけでもない。


 ただ、


 「国家はどこで壊れるのか」


 「人間は戦争で何を失うのか」


 そして、


 「法と正義はどこまで機能するのか」


 それを考えてみたかったのである。


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