傘
梅雨入りももうすぐといった頃、雨の止まない空を見て僕はひとこと、「...だるっ。」とだけ言う。激しい雨で視界は悪く、顔をつたる雫がうっとうしくて仕方ない。駅まで迎えに来てくれているはずの姉もなかなか見つからない。
あっ! 違った、うちの車はあんなデカくない、、。だんだんと全身を覆ってくる寒さと車の見つからないじれったさに僕はイライラしていた。そんなときだった。
遅延に遅延を重ねて、いつもより駅に着くのが遅くなってしまった俺は帰宅部として悔しさを覚えていた。雨の日の最短帰宅記録を更新することはできなさそうだ。駅を見渡すと迎えの車だらけ。「濡れるのがそんなに嫌かよ」なんて心の中で悪態をついてみる。(ほんとうは車が羨ましいだけだが、、。)なんて寂しさと虚しさを感じていたそのときだった。中学が同じだったアイツを見かけた。
「うわっ」思わず僕は声に出してしまった。すぐその場から去ろうと周りを見渡すも車は見つからない。おい。まだかよ。こっちに歩みを進めている角南が右目の端にちらつく。また僕は車を探した。おい、まだかよ。そうこうしているうちに僕を覆うようにして目の前に角南が現れた。結構邪魔ではある。久しぶりの僕に向かって何を言うかと思ったら「傘、、持ってねえ?」
持ってるけど持ってない。
アイツを見てすぐに思い出す記憶は2つ。1つ目は俺の家で一緒にスマブラしたこと。(もっと他にあるだろ)アイツがもう目と鼻の先に見える。やっと辿り着いた。上目遣いで少し怪訝そうに俺を見上げている。
そう、2つ目はアイツに告白したこと。
好きだったんだ。今も。
1年振りの再会で一発目の言葉が「傘、、持ってねえ?」とか聞いてない。気が抜けてしまった。そんなときポケットのスマホがブブッと震えた。姉ちゃんからだ。【渋滞しててなかなか進まない、歩いて帰ったほうが早いかも】そんな内容の文章だった。ガチかよ姉ちゃん。そりゃ探しても見つからないわけだ。目の前の図体だけデカくなった男は僕を上から見下ろしている。避けろと顎で角南を右にどかし、僕は傘を開いた。しょうがなくトボトボと歩き始めた瞬間、ヌルッと右側に角南が現れた。窮屈そうにちぢこまって傘に入っている。ほぼ左肩しか入ってないけど。
これはチャンスだと思った。かすかに見えたアイツのLINEには【歩...帰ったほ..が早いか..】的なことが書いてあった気がする。多分。一緒に帰らしたりしてくれねえかななんて淡い期待を胸にアイツを見つめる。だが、アイツは顎をクイっと動かして俺に無言の圧をかけてきた。はいはい、どけますよーい。水色の傘に包まれて雨の中に消えていくアイツの後ろ姿を見ていた俺はいてもたってもいられなくなった。気づいたら傘に入っていた。雨に濡れているせいかアイツの柔軟剤の香りが鼻を何度もかすめる。雨の日に似合わず、日の光を浴びた布団のような優しい香りがする。なんかきもいか、俺。ごめん。心の中で謝りながらも、秘めていた思いが少しずつ強さを増していた。
傘に入ってくるなんて聞いてない。こいつでかいし。でも度々ぶつかる腕が温かくて、冷え切った僕の体にとっては少しありがたい。
角南は卒業式のときに告白された。一目惚れだとかなんだとか言ってたけどほんとだったんだろうか。当時は罰ゲームで告白するなんて胸糞なゲームが僕の中学校では流行っていた。角南の告白もそれだと思って返事も何もせずに卒業をした。だからだろうか、少し後ろめたさを感じて気まずい。傘の中は静まり返っていた。
少し濡れた黒髪が艶っぽくみえてならない。家に着くまでに心臓が爆発して救急車呼ばれるかもしれん。それで同行者のアイツが俺の手を取りながら、「おい!!!目を覚ませ!!!」なんて涙目になりながら言うんだな。そんで救急隊員の人も「これはキスしないと目を覚まさないかもしれません、、!!」なんて言って、、そんで、俺に向かってアイツが、、、。
『眠れる森の角南』が脳内でクライマックスを迎えようとしていたときだった。「あのさ、中学の卒業式のときのこと覚えてる?」なんてアイツが聞いてきた。覚えてるわアホ。
沈黙に耐えられなくなってとうとう僕は口を開いた。やっぱり卒業式のことが引っ掛かってならない。すると、角南は変顔なのか怒っているのかよく分からない顔でこっちを見ていた。
記念すべき俺劇場第1作目が完成しようとしていたのに。なんてことをぶち込んで来るんだ。怒りと焦りとかなんかいろいろグチャグチャになった俺はとうとう投げやりになってしまった。
「だからお前が好きなの!!今もっ!!!」
語尾きもっ。
角南に質問を投げかけた次の瞬間乙女みたいな返事が返ってきた。あっけに取られた僕は傘を持つ手を少し緩めてしまった。あと少しで僕の手からすり抜けそうな傘の柄を角南がパシッと掴む。と同時に僕の前髪をゆっくりかきあげると、僕のおでこにそっと唇が触れた。僕の前髪を少し整える角南の頬は少し赤らんでいるように見えた。そして、柄を持っている反対の腕で僕の体を優しく抱き寄せた。僕の耳にかかる息が僕にはすこし甘ったるかった。
投げやりになってしまった俺は無敵も同然だった。これを元に2作目『スーパーヒーロー角南』も書けそうと言ったところだ。ああ言ってしまった。とうとう。中学の頃は勢いに任せて告白をしたからそんなに緊張はしていなかった。だが高2にもなるとさすがに照れてしまう。////
アイツとは1年間ほど会っていなかったが、本当は俺は何度もアイツと会っていた。俺が避けていたんだ。卒業式のあの日、告白された身とは思えないほどポカンとした顔で突っ立っていたアイツが目に焼きついている。そのときは「無反応かよ。ケッ。」くらいの気持ちだった。だけどその後、状況をちゃんと理解した俺は一気にアイツに対して気まずさが芽生えてしまった。スーパーで見かけても逃げ、初詣で見かけても逃げ、1人逃走中を何ヶ月か行っていた。ここ最近で頑張ったことといえばそれだろう。だが、高2になってアイツを見かける機会がグッと減ってしまった。そんなときだった。久しぶりにアイツを見た俺はついつい欲が出てしまった。そして、もう話しかけてもいいんじゃないかと。
さっきから耳元で角南がなにか喋っている。さっきおでこにキスしてきた奴とは思えないほど声が小さい。それに比べて僕の心臓はバクバクと大きな音を立てながら一定のリズムで脈打っている。なんでだ。こころなしか顔も熱い。まだなにか角南が喋っている。声小さいんだよ。ばか。視界がだんだん歪んでゆく。次の瞬間僕はぶっ倒れた。
「おい!!!!宇野!!!」すこし鼻にかかった声が遠くから聞こえる。角南か。まあいいや。寝たふりしとこう。、、まだ何か言ってるようだ。
「これはもう伝家の宝刀"目覚めのキス(小声)"を抜くしかないのか、、」
おい。ちょっと待て。あとキスくらい普通に言えよ。さすがに僕は起き上がった。起き上がると唇を突き出したアホ面の角南が隣に座っていた。
いま目の前にアイツが寝っ転がっている。アイツの雨で冷え切った体に追い討ちをかけるようにキスなんかした俺のせいだ。ふ、、、やばいにやける。状況が飲み込めずパニックになったアイツはその場で倒れてしまった。だから今責任をとって俺の家に運んだわけだ。そうだ、私欲のためでは、、ない。なんつて。
無防備に俺の前で寝ているアイツ。肌が透けそうなほど白く、全体的に線が細い。細く整った眉毛は冷えのせいか少し苦しそうに歪んでいる。なかなか起きない。とりあえず名前も呼んでみるも、起きない。いっそキスしてみるか?無敵とも言える俺のマインドは暴走車となんら変わりなかった。あと少しでアイツの唇を奪えると言ったところだった。アイツがむくりと起き上がった。やべ。
アホ面の角南を少し睨んだあと、周りを見渡した。僕が興味ないサッカー選手のポスターとかいつのものかよく分からないペットボトルとかなんか色々散らばっている。ああ、角南の家か。その瞬間にぶっ倒れたときの記憶が呼び覚まされた。恥ずかしくなった僕は角南が用意してくれたであろう毛布に身を包んだ。角南に背を向けて1人で恥ずか死のうとしていると、背後からゆっくりと人影が近づいていた。「起きた?なんか食べる?」という角南の声。やばい、恥ずかしい。僕が何も答えないでいると首元に柔らかい感触が伝わった。驚きと恥ずかしさを覚えつつ、首を手で覆いながらゆっくりと起き上がると角南が爆笑した。おい。
真っ赤じゃん顔。そっぽを向くアイツの顔はしかめっ面とかそんなとこだろうと予想していた。起き上がったアイツはこちらを見ながら耳まで赤くしている。おもろ。もう一回言ってみるか。
僕を見て爆笑したあと何を言うかと思えば、一呼吸おいて真剣な眼差しで僕を見つめてこう言った。
「好き。」
だが角南が真面目な顔を保てるはずもなく、野太い声で叫びながら僕に背を向けた。デカい体を体育座りで折り畳み、顔をうずめている。
僕はだんだん角南に毒されてきていた。甘くてふんわりとした優しい毒に。平常心を保とうと僕は深呼吸をする。鼻腔にやわらかでフローラルな香りが広がる。こいつのイメージに似つかず思いのほかいい匂いなのが腹立つ。
、、今はそんなことはどうでもいい。平常心、平常心を取り戻すんだ。だが、僕は角南の真っ直ぐな気持ちに応えられずにはいられなかった。
また言ってみたはいいものの、なかなかに恥ずかしい。とっさに背を向けたけどアイツはどんな顔をしているだろうか。なんて考えていると俺の体が一気に暖かさに包まれた。うずめていた顔を起き上げてみると、右肩にアイツの顔が乗っかっていた。え、いま俺抱きしめられてたりする?
もう僕には体裁なんて考えていられなかった。ただ思いの向くまま、本能が示すまま、気づいたら動いていた。本当は角南と会えていなかった1年間、ずっと角南のことを考えていた。当時の未熟すぎた僕の態度に対しての罪滅ぼしなんだろうか。そうかもしれない。けど考えない日はなかった。だいたい家が近いはずなのに全く1年間姿を現さなかった角南が悪いんだ。
ああ、僕はこの瞬間を待ってたんだろうか。目の前に角南が現れる瞬間を。知らぬ間に角南を考える時間が、僕の寂しさの穴埋めへと変わっていたようだ。降参だ。取り繕うことは、もうできない。
大学生という華々しいスタートを切った僕は、初日から大雨というなんとも皮肉な状況にうんざりしていた。その瞬間、大きな足音が聞こえたと思うと背後から強く抱きしめられた。抱きしめられたまま僕は上を見上げると、見慣れた顔がそこにあった。少し顔を綻ばせながら「帰ろ」と彼に告げると、彼は申し訳なさそうに顔を歪めた。
「傘、、持ってねえ?」
僕はしょうがなくまた彼を傘に入れる。




