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五語り、〈銀河の播種〉1

「ごめん、きちゃった」


 三日間の出張を終えた週末、疲労とストレスと情欲が極限まで高まり、二年半つき合っている女を自宅に呼び出し、浴室から突き出された丸顔にそうのたまわれた時、男としてはどういう対応をとるのが正解なのか。もちろん、昨今はモラハラやらDVやらに留意せねばならない。


「…………はあぁ?」


 〝は〟から〝あぁ〟の突き上げるようなイントネーションの一声は、SNSにアップロードされたなら、自称フェミニストから総攻撃を受けるに違いない。わかっちゃいるが平成男の七割は反射的にそう発してしまうだろう。ならば年代的正解として良いのではなかろうか。

 ミヤコはウェーブのとれかかった黒髪から透明な雫を滴らせたまま「ごめんなさい」と繰り返す。叱られた犬のしょげっぷりで。いや、謝られても。

 丸顔、丸鼻、垂れ気味丸目のせいで幼く、もっといえば情けなく見える。ただ血色良く、もち肌で、さわらせてようやくまあぎりぎり俺的予選をギリ通過するぐらいの女。

 おまえさあ、とローテーブルに発泡酒を置き、ソファに横たえていた重い身体を自身で釣り上げる心地で引き起こす。三十路を迎えて数年、身軽さは発泡酒の炭酸をとどめようがないのと同様、徐々に失われつつあった。


「俺出張行くって知ってたじゃん。先方に頭下げて時間もらって、今さらな製品説明して、さらには上司の世話しなけりゃならなかったのも話したよな」


 俺は資材メーカーに勤めているのだが、大手企業による検査改竄のあおりを受け、主に中小企業の社長やら担当者にウチのは安心安全高品質良心価格ですよと説いて回っているのだった。従来の顧客もあれば、新規開拓もある。〝ピンチをチャンスに!〟――とは、やる気だけが空回っている二代目気に入りの格言だ。俺は二代目の子守をしつつ、なんにも資材について理解していない(ぼん)に代わって粛々と実務をこなしたのだった。

 だというのに。


「――きちゃった★って。あんまりにも思いやりに欠ける仕打ちじゃね?」


 きちゃった、のところで顎の下で両の拳を握り、戯画化された口調とポーズを決めてやれば、


「ごめんなさい。でも、フリまでつけてないよお」

「お、も、て、な、し、の精神はどこいったんだよ。東京飛ばしてパリだぞ、全国民に謝れ」


 う、う、う、とミヤコは口に出して呻く。そういうわざとらしさがおたくっぽいんだよな、陰キャの悪ノリって見てる方が消耗させられるよな、なんで俺こいつと付き合ってんだ、とそこはかとないやるせなさに襲われる。

 その物思いをぶち壊したのは、ぐしゃん、ぐしゅん、ぐっしゃん、というミヤコの濁点付きの三連続くしゃみだった。ついでに水滴も撒き散らし、床を濡らす。出張から帰ってきて着替えもそこそこにクイックルワイパーで磨いたフローリングを。

 下半身が初冬の風に吹かれ、急速にやる気が萎えていくのを感じた。その分疲労とストレスがぐっとせり上がった気がして、ぐったりソファに身を沈める。


「……さっさと拭いてあがってこい」

「うん。ごめんね」

「腹減ってんだよ。飯にしてくれ」

「うん、ごめん。ほんとにごめんね」

「ああ、しょうがねえな」

「ごめんね、とっても」

「いいから、もう」

「ごめん。ごめんねなんだけど」

「しつこい、もういいゆうてるだろ!」


 じゃなくて、と。叫んだ俺とは対照的にミヤコは冷静な声音で返し、ぬうと手だけを浴室から出し、指差しをする。その先には女の私物であるところどころ黒ずみ角には穴が空いたトートバックがあった。

 すっぽんぽんでいいじゃねえか、今更恥ずかしいとか面倒くせえ、つかおまえ顎ならぬ指一本で俺使うわけ。

 過ぎる思いは数あれど。

 フローリングだけでなく、ネットオークションで競り落とした北欧ラグまでも汚される可能性に思い至り、俺は不承不承立ち上がった。血痕は染み抜きに難儀するのだ。


 浴室の前にトートバックを置いてやり、その足で二本目の発泡酒を取り出すべく冷蔵庫に立ち寄る。開ければ中にはいくつもの箱が詰まっており、次に引き出した冷凍室も同様で、一見ひどく無機質な印象を受けた。けれど俺はその整然と並んだ様子に満足し、いくつか中身を確認して手前に出したり奥に押し込んだりして順番を変える。

 あれ、全部つかっちゃったっけ、一個ぐらいあったと思うけど、あ、底にへばりついてた~、という間延びした声と、続く独特の紙音を背後に聞きながら思う。とりあえずは最寄りのコンビニへ走る事態は避けられたようだった。


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