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狼は壊れるほどに愛を知る

それに気づいたのは、ほんの些細な違和感からだった。


朝の食卓。


焼き立てのパンの匂いに、リュシアンはふと眉を寄せた。


「……?」


いつもは好きな匂いなのに、今日は少し重たい。


胸がむかつく。


「リュシアン?」


向かいに座るアルヴェインが即座に立ち上がる。


反応が早すぎる。


「顔色が悪い。熱か?」


額に触れる大きな手。


冷たくて心地いい。


「だ、大丈夫です。ちょっと……」


言い終わる前に、アルヴェインの耳がぴくりと動く。


狼の嗅覚が、何かを拾った。


一瞬。


ほんの一瞬だけ、彼の瞳が金色に強く光る。


「……医師を呼ぶ」


有無を言わせぬ声。


数刻後。


屋敷の医師は穏やかな笑みを浮かべていた。


「おめでとうございます」


その一言で、空気が止まる。


「ご懐妊です」


沈黙。


そして。


「……は?」


低い、呆然とした声。


アルヴェインだ。


医師が丁寧に説明する。


魔力の波動、番契約後の兆候、獣人特有の反応。


全て、間違いないと。


リュシアンは、自分の腹にそっと手を当てた。


まだ何も感じない。


でも、そこにいる。


二人の命。


「……アルヴェイン?」


振り向いた瞬間。


狼は固まっていた。


数秒。


そして。


「下がれ」


低く言い、医師を退室させる。


扉が閉まる音。


次の瞬間、リュシアンは強く抱きしめられていた。


苦しいくらい。


でも優しい。


「本当に……?」


掠れた声。


「俺の……?」


震えている。


あの完璧なスパダリが。


「俺たちの子です」


そう言うと。


アルヴェインの膝が、がくりと崩れた。


床に座り込む。


リュシアンを抱いたまま。


「……壊れる」


ぽつり。


「嬉しすぎて壊れる」


狼の尻尾が暴れている。


理性が崩壊寸前。


「子供は嫌いだと思っていました」


リュシアンがそっと言う。


するとアルヴェインは顔を上げた。


「嫌いなわけがない」


真っ直ぐな瞳。


「お前との子だぞ?」


重い。


愛が重い。


「世界で一番、欲しかった」


リュシアンの目が潤む。


「俺は……お前を守る。絶対に」


腹に触れる手は、まるで宝物に触れるよう。


「誰にも触れさせない」


物騒なことを言い始める。


「外出は控えろ」


「階段は禁止だ」


「冷たいものは駄目だ」


「いや、そもそもこの屋敷は安全か?」


暴走。


リュシアンは慌てて腕を掴む。


「だ、大丈夫ですから!」


「大丈夫じゃない」


即答。


狼の本能が全開だ。


「俺が四六時中そばにいる」


「仕事は?」


「辞める」


「駄目です!」


本気で言っている顔。


でもその瞳は、ひどく優しい。


怖いくらいに。


「……ありがとう」


小さく言うと、アルヴェインは静かになる。


額を腹に押し当てる。


「聞こえるか」


真剣な声。


「父だ」


リュシアンは思わず笑ってしまう。


「まだ早いです」


「いや、今から刷り込む」


本気。


完全に壊れている。


でも、その壊れ方が愛おしい。


やがてアルヴェインは立ち上がり、リュシアンを抱き上げた。


「歩くな」


「歩けます!」


「駄目だ」


そのまま寝室へ。


過保護が止まらない。


ベッドに下ろし、毛布をかけ、枕を整え。


完璧。


「何か欲しいものは?」


「……あなたの隣」


一瞬。


狼の理性が再び崩れる。


無言で隣に滑り込み、抱き寄せる。


「離れない」


低い誓い。


腹にそっと手を添えたまま。


「俺は、良い父になれるだろうか」


不安が滲む。


リュシアンは彼の頬に触れた。


「もう十分、最高の夫です」


「……夫、か」


噛みしめるように。


「父にもなる」


誇らしげに、でもどこか泣きそうな声。


狼は壊れた。


でもそれは、愛の形。


やがて、二人は静かに寄り添う。


未来が、確かにそこにある。


狐と狼と、小さな命。


幸せは、まだ始まったばかり。

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