狼の嫉妬と、狐の正体
数日が過ぎた。
リュシアンはまだ戻れない。
いや、正確には――戻れないのではなく、戻るきっかけを失っていた。
アルヴェインの溺愛が、あまりにも甘すぎたから。
「ルカ、こっちへ来い」
低い声で呼ばれると、条件反射のように駆け寄ってしまう。
小さな足でとてとてと走ると、アルヴェインは自然に腕を広げる。
抱き上げられる。
高い位置。
安心する高さ。
「今日は客が来る。離れるな」
こくりと頷く。
その言い方がすでに独占欲だと、本人は自覚していない。
応接室には、若い豹族の商会長が訪れていた。
人懐こい笑顔の男だ。
「ほう、その子が噂の」
噂になっているのかと、リュシアンは内心青ざめる。
「迷子だ」
アルヴェインは短く答える。
声が少し低い。
「可愛いですね。狐族の子は珍しい」
豹族の男が近づき、自然に目線を合わせてくる。
「おいで」
反射的に、ルカは一歩後ずさった。
その瞬間。
ぐっと、抱きしめられる。
アルヴェインの腕が明確に強くなる。
空気が変わる。
「触るな」
低い。
明らかに怒気を孕んだ声。
商会長が目を瞬かせる。
「おや」
「この子は俺が保護している」
はっきりとした宣言。
所有の響き。
リュシアンの心臓が跳ねる。
そこまで、言う。
商会長は肩をすくめて下がったが、視線は興味深そうに向けられたままだ。
「旦那様、子供は苦手だと聞いていましたが」
空気が止まる。
リュシアンの鼓動が早まる。
ああ、その噂。
アルヴェインの瞳が細められる。
「誰が言った」
冷たい声音。
「誤解だ」
はっきりと断言する。
そして。
ルカの頬に手を当てる。
「俺は、好きだ」
低く、確かに。
「子供も」
一拍置いて。
「リュシアンも」
世界が止まる。
商会長は目を見開く。
「……それは」
「白い契約は、俺の臆病さだ」
はっきり言う。
「本当は、番契約を結びたい」
心臓が痛いほど鳴る。
感情が溢れる。
嬉しい。
苦しかった。
ずっと誤解していた。
ずっとすれ違っていた。
涙が溢れる。
魔力が震える。
胸の奥が熱い。
「……ルカ?」
アルヴェインが気づく。
体が光り出す。
今までで一番強い光。
魔力が暴走する。
狐族は、感情が限界を超えると姿が揺らぐ。
光の中で、輪郭が伸びる。
小さな手が大人の指に変わる。
衣服がきらめく。
商会長が驚愕する。
「これは……」
アルヴェインは動かない。
ただ、見ている。
光が消えたとき。
そこにいたのは。
涙で頬を濡らした、大人のリュシアンだった。
静寂。
時間が止まる。
視線が絡む。
金の瞳が、揺れる。
確信。
「……やはり」
アルヴェインがゆっくり歩み寄る。
リュシアンは動けない。
逃げたい。
でも逃げたくない。
「ルカ」
優しく呼ぶ。
そして。
「リュシアン」
本当の名前。
腕が伸びる。
抱きしめられる。
今度は、大人の体を。
強く、強く。
息が詰まるほど。
「どこにも行くな」
低い声が震える。
「俺から離れるな」
独占。
完全な狼の声。
商会長は空気を読んで静かに退出していた。
二人きり。
アルヴェインはリュシアンの顔を両手で包む。
「最初から気づいていた」
低く告げる。
「だが、お前の口から聞きたかった」
真っ直ぐな視線。
逃げ場はない。
「俺を、どう思っている」
問われる。
リュシアンの唇が震える。
もう隠せない。
「好きです」
涙と一緒に溢れる。
「ずっと、好きでした」
アルヴェインの瞳が揺らぐ。
次の瞬間。
深く、強く抱き寄せられる。
「俺もだ」
低い声。
「愛している」
今度は迷いがない。
白い結婚は、終わる。
狼の尻尾が大きく揺れ、狐の尻尾が絡む。
すれ違いは、完全に解けた。
そしてアルヴェインは囁く。
「番契約を結べ」
それは、愛の告白であり、未来の約束だった。




