第17話:スマホと深淵の釣り堀 〜バズの終わりと、巨大なる命の質量〜
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「……圏外。どこまで歩いても圏外。俺のエンゲージメントが死んでいく……」
天界の美しい庭園。ツバサは、絶望的な顔でスマホ(ジンバル付き)を見つめながらフラフラと歩いていた。動画がアップできないインフルエンサーは、エラを塞がれた魚と同じだ。
「ツバサさん、そんな小さな板ばかり見ていないで、深呼吸してください。ここは天界屈指の景勝地、『星霊の泉』ですよ」
アストラが微笑みながら案内したのは、信じられないほど透明な水を湛えた巨大な泉だった。水面には、幾千もの銀河が反射して輝いている。
「……あ、これヤバ。超絶チルい。エフェクトなしでこの透明度!? オフラインで録画しとこ。絶対ショート動画でバズる!」
ツバサは本能的にスマホを構え、泉の縁に身を乗り出した。
その時である。
「あ、ツバサさん、足元が滑りやす――わっ!」
アストラが、見事に何もない平坦な大理石でつまずき、ツバサの背中にドンッ! と頭突きをかました。
「えっ」
ツバサの手からジンバルがすっぽ抜け、スマホは美しい放物線を描いて『星霊の泉』の中央へポチャリと落ちた。
「……あ」
ツバサの全データ、全アカウント、全人生が、ゆっくりと水の底へ沈んでいく。
「あわわわ! ごめんなさいツバサさん! でも、あの泉、天界の浄化システムに繋がってるから、もう次元の底まで落ちちゃったかも……」
「俺の人生終わったァァァァァッ!!」
ツバサが絶叫して泉に飛び込もうとするのを、後ろから屈強な腕がガシッと掴んだ。
「騒ぐな、人間! 落とし物をしたなら、拾えばいいだろう!」
軍神マルスである。彼の手には、隕石を削り出して作ったような、禍々しくも巨大な『釣り竿』が握られていた。
「拾うって……どうやって!? スマホ見えないくらい深いんすよ!」
「この『星霊の泉』の底は、光の届かぬ深淵に繋がっている。全知全能の私の筋肉で、底の底まで釣り糸を垂らしてやろう!」
マルスが豪快に釣り糸(星の光で編んだ強靭な糸)を泉に投げ入れる。
すると、美しかった泉の底が突如として漆黒に染まり、底知れぬ「暗黒の海溝」が口を開けた。
ツバサは、その暗闇を見た瞬間、本能的な恐怖で膝から崩れ落ちた。
吸い込まれそうな漆黒。太陽の光が決して届かない、圧倒的な水圧と冷気の気配。そして何より恐ろしいのは、その無限の深淵から、「人間の理解を超えた巨大な何かの影」が、ゆっくりと浮上してくるのが見えたことだ。
「……来たぞ! 途轍もない大物だ!」
マルスの太い腕の筋肉がはち切れんばかりに膨張する。
ズゴゴゴゴゴォォォォッ!!
泉の水が爆発するように吹き上がり、暗闇の底から『それ』が引きずり出された。
「……ヒッ……!?」
ツバサは声にならない悲鳴を上げた。
現れたのは、スマホではない。
深海のさらに奥底、極限の環境で独自の進化を遂げたかのような、超巨大な水棲の異形だった。何本もの巨大な触手、ぬらぬらと光る分厚い外皮、そして空間の物理法則を歪めるような、規格外の質量。
人間が直視すれば、その巨大さと未知の恐怖で精神が崩壊しかねない、深海ホラーの具現化のような存在。
「ア……アァァ……バケモノォォォッ!!」
ツバサは泡を吹いて後ずさった。世界が終わる。人類の限界を超えた恐怖がここにある。
しかし。
「ガハハハ! これは見事な深淵の獲物だ! 筋肉が喜ぶ極上のジビエ(野の肉)だぞ!」
マルスが、恐怖の権化のような巨大触手を素手で軽々と締め上げている。
「……ふむ。この分厚い皮、見事な断熱構造だ。丁寧に剥いでなめせば、極上の皮革になる。それにこの巨大な骨……粉砕して天界の土に混ぜれば、最高の肥料になるはずだ。無駄な部位が一つもない」
ソフィオスが、ヒョウ柄ステテコ姿のまま、メジャーを取り出して怪物の骨格構造を嬉々として計測し始めた。
タナトスに至っては、怪物の放つ「深海の冷気」を浴びながら、「……この絶望的な暗黒感。めろんちゃんの3rdシングルのCメロに似ている。……尊い」と合掌している。
(何この超巨大生物! トラウマ級に怖いんですけど! ……でも待てよ? 皮をなめす? 骨を肥料に? このヤバいおっさんたち、このバケモノを『資源』として余すところなく解体する気か!?)
ツバサは、狂気と混沌の光景を前に、放心状態で座り込んでいた。
「……炎上? ……オワコン? ……アルゴリズム?」
ツバサの口から、今まで彼を縛り付けていた言葉がこぼれ落ちる。
「……あんな深海のバケモノがいて……それを笑って解体して、皮から骨まで使い切ろうとしてるヤバいおっさんたちがいるのに……俺の『いいねの数』なんて……ミジンコのフン以下の悩みじゃねぇか……」
圧倒的なスケールの違い。
深淵の底から引きずり出された巨大な命の「重さ(リアル)」の前に、デジタルな数字(虚構)は、あまりにも無価値だった。
「ツバサさん! お刺身、切れましたよ!」
アストラが、切り分けられた透明な肉の塊(まだピクピク動いている)を皿に乗せて持ってきた。当然、未検査の野生の生肉である。
ツバサは、震える手でその肉を掴み、一気に口に放り込んだ。
「……ッ!!」
コリコリとした強烈な弾力と、脳髄を直接殴るような野性の旨味。
それは、バズることでは絶対に得られない、生々しく、暴力的で、圧倒的な「命の手触り(身体性)」だった。
「……うめぇ……。なんだこれ、クソうめぇよ……ッ!」
スマホを失った人間のインフルエンサーは、深海の怪物の肉を咀嚼しながら、ポロポロと涙を流した。
彼の心の中から「承認欲求」という名のノイズが消え、ただ「生きている」という強烈な実感と、獣のような狩猟本能だけが残っていた。




