第16話:天界の電波は圏外です 〜迷い込んだ『バズ』の亡者〜
渋谷での狂乱の夜明けから数日。
天界は、かつての「完璧で退屈な静寂」を失っていた。
知恵の神ソフィオスは、純白の法衣の下にヒョウ柄のステテコをチラ見せしながら、びっくりチキンの音階を数学的に解析している。
死神タナトスは「めろんちゃん」の法被を神殿の柱に飾り、毎朝一礼するルーティンを欠かさない。
そんな中、全知全能のドジっ子女神アストラは、天界と下界を監視する「次元の鏡」の前で、優雅にコーヒーを飲んでいた。
「あ」
手元が狂い、熱々のコーヒーが鏡の表面に盛大にぶちまけられた。
バチバチバチッ!
次元の境界がショートし、空間にポッカリと黒い穴が開く。
「……痛っ! なんだよこれ、新手のドッキリ!?」
穴から神聖な大理石の床に転がり出てきたのは、一人の若い人間の男だった。
片手にはスマートフォンを固定したジンバル(撮影用機材)を握りしめ、首からはリングライトを下げている。金髪にオーバーサイズのパーカー。人間界で「迷惑系」あるいは「バズり至上主義」と呼ばれる動画配信者、ツバサ(登録者数50万人)である。
「……アストラ。貴様、また次元の綻びを作ったな」
威厳に満ちた声が響く。最高神ゼウスだ。彼は渋谷でついたスーツの泥汚れを「これぞアオハル(青春)の証」として、あえてクリーニングせずに着続けていた。
(うっわ、人間落ちてきた! てかアイツ、カメラ回してね!? 画角! 画角に入ってる俺、今イケオジ風に決まってる!? やば、プリクラで学んだ『顎引き45度』を自然に繰り出さなきゃ!)
ツバサは立ち上がり、周囲の神々を見て目を輝かせた。
「え、ヤバ! 何この空間、CGスゲェ! 秘密のVRイベントっすか!? おじさんたち、コスプレのクオリティ高すぎ! ちょ、これ絶対バズる! 『謎の神様カルト集団に潜入してみたw』で生配信しよ!」
ツバサがスマホの画面をタップしまくる。
だが、その表情が瞬時に青ざめた。
「……え? 嘘でしょ。……圏外? Wi-Fiは? ……おいおいおい、嘘だろ、配信繋がらないんだけど! 俺の同接(リアルタイム視聴者)が! エンゲージメントが死ぬぅぅぅ!」
ツバサは、神聖な天界のど真ん中で、まるで酸素を絶たれた魚のようにスマホを掲げて走り回り始めた。
その姿を見て、神々は顔を見合わせた。
「……憐れな」
ソフィオスが、チキンをグェッと鳴らしながらため息をつく。
「あの小さな板の数字に、自らの魂の価値を依存させている。なんと非効率で、脆いシステムだ」
「全くだ。あのような薄っぺらい『いいね』など、我らが渋谷のカラオケで流した泥と汗の『エモさ』に比べれば、塵に等しい」
ゼウスが、腕を組んで深く頷く。
(てか、圏外とかマジウケるwww ここ天界だし! Wi-Fi飛んでるわけないっしょ! どんまいツバサ君! スマホ見てないで、目の前のリアル(最高神のドヤ顔)を見なさいっての!)
アストラは、こぼれたコーヒーを雑巾で拭きながら(神力で消せばいいのに、あえて手作業で拭いている)、ツバサに声をかけた。
「あの、ツバサさん。ここは天界です。電波もなければ、あなたを評価する『フォロワー』もいません。あるのは、絶対的な『今』だけですよ」
「はぁ!? 天界!? ふざけんな、俺は毎日動画上げないとアルゴリズムに見捨てられるんだよ! 頼む、神様ならフリーWi-Fiくらい飛ばしてくれよ!」
ツバサがゼウスの足元にすがりつく。
ゼウスは、泥だらけのスーツの裾を少しだけ持ち上げ、哀れみと、わずかな優越感を込めてツバサを見下ろした。
「……愚かな人間よ。貴様は『効率』と『数字』という檻に囚われている。……よかろう。かつて貴様らの世界で『無駄の美学』を学んだこの余が、今度は貴様に……」
ゼウスは、どこからともなく竹馬を取り出した。
「……『映えない娯楽』という名の、真のドーパミンを教えてやろう」
「は? 竹馬……? いや、それ動画的に地味すぎて絶対回らないから!!」
ツバサの絶叫が天界に虚しく響き渡る。
数字の奴隷となった現代っ子と、「非効率」の虜になった神々。
まったく噛み合わない異文化交流が、いま幕を開けた。
人間が神々の前に現れたらどんな反応するものなんですかね?




